「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 九十九島せんぺい 」

2015-10-28 00:53:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子













    航空祭に来た長崎の知人に

    おみやげをもらった

    香ばしいピーナツに

    懐かしい味がした



航空自衛隊築城基地航空祭 「 第12飛行教育団 ・ T-7 航過飛行 」

2015-10-28 00:00:41 | 戦闘機 ・ 自衛隊関係



















    ブ~ンとプロペラを鳴らして
    4機が編隊を組んでやって来た
    
    この機種のイベントは
    今までなかったような・・・



第5位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント「 ジャム 」

2015-10-27 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

      休みだったけど
      いろいろあって
      慌ただしかった昨日

      カラダは大丈夫だけど
      今日から嫌な仕事が始まる
      それを思うとウンザリである
      そんな今日の順位は5位で
      ラッキーポイントは
      「 ジャム 」 である

      悩みが解決してスッキリしそうな日だそうな
      今日も一日がんばりましょう!

       

沖縄県北谷町 ・ 琉球競馬 「 砂辺馬場跡 」

2015-10-27 02:08:41 | 琉球競馬













沖縄県北谷町の砂辺地区へ国道58号線から入って行くと、
東シナ海にそって南北に延びる砂辺馬場は、
現在整備され 「 砂辺馬場公園 」 になっている一帯が馬場であった。

競馬の観戦場所だったウマイームイ(馬場の森)という小高い丘はは現在も存在しており、
その東側にはたくさんのソテツが生えていたという。




五島の蒲鉾 ・ 「 浜口水産 」

2015-10-27 01:46:41 | グルメ






























































いきなりだが、五島の蒲鉾は美味しい。
福江のターミナルに行くと必ず食べる蒲鉾である。

うどんもそうだが、現地で食べる蒲鉾は最高である。
特に 「 ばらもん挙げ 」 の白は一度食べたら虜になる美味しさである。
うどん同様に、食べたくなったら五島に行ってもいいくらいの美味しさだ。


 「 シャトレーゼ 」 車に轢かれた。

2015-10-27 00:59:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子




















昨日、病院に帰りにエディオンに行き、
そこからシャトレーゼでシュークリームやケーキを買って帰ろうと
立ち寄ったら、駐車場内でバックして来た車に脚をぶつけられた。
正確にはぶつけられたというよりも、
当たった瞬間に踵からアキレス腱にかけて巻き込まれて倒れた。

当然の事ながらいきなりだったのでバタリと倒れたが、
瞬時にカチンと来て、 「 どこ見て運転しよんのや! 」 と言うと、
「 大丈夫ですか?今すぐ救急車を呼びます。 」 と30代の営業ぽい男が言う。
「 俺は大丈夫やけど、おんな子どもやったら骨が折れとるぞ!」って言って店に入って行ったら、
店の中まで追いかけて来て、 「 ホントに大丈夫ですか? 」 って言うので、
「 俺は忙しいからそれどころやないんや 」 と言って返した。

競輪選手時代の落車に比べたら屁のようなものだけど、
最近こういった事故によく遭うから気をつけないと、
今度は3度目だから命が無くなるかも?


第6位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 レザースニーカー 」

2015-10-26 06:01:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ


       今週も始まった
       休みの日があっという間に終わる感じだ

       今朝は寒い朝だった
       東の空に金星と木星が並んで瞬いていた

       そんな今日の順位は6位で
       ラッキーポイントは
       「 レザースニーカー 」 である

       最近酒の量が増えて体調がイマイチなので
       今日は肝機能と血糖値の検査で病院に行くので
       違った意味で骨休めが出来そうである

       今日は新しい自分発見の予感、
       チーム内での交流を深めるといいかも?



福岡県行橋市 ・ 呑河豚で介護職員初任者研修の同窓会

2015-10-26 02:27:27 | グルメ


























































       土曜の夜、現場から帰って、慌ただしくシャワーを浴びて
       久し振りに介護職員初任者研修の仲間と会った。
       集まった同窓生の中で介護の仕事をしていないのはボクだけで、
       ほとんどの人が介護の仕事に携わっているが、
       介護ととは畑違いの仕事だけど、それでも楽しい会話で息抜きが出来た。

       このように、たまには違う職種の人と会うのも
       自分を見つめ直す切っ掛けとなるので良いものである。



航空自衛隊築城基地航空祭 「 第13飛行教育団 ・ T-4 航過飛行 」

2015-10-26 01:27:41 | 戦闘機 ・ 自衛隊関係




















     昨日、福岡県築上町にある航空自衛隊築城基地の航空祭で、
     第13飛行教育団のT-4による航過飛行が行われ、
     4機が息の合ったフライトを披露してくれた。

     T-4のブルーインパルスを含め、他の機種のフライトは、
     これから随時掲載して行こうと思っているのでお楽しみに・・・
     



佐賀県唐津市 「 波戸岬 ( はどのみさき ) 灯台 」

2015-10-26 00:36:41 | 佐賀の灯台



















灯台表番号 / 5894
ふりがな / はどのみさきとうだい
標識名称 / 波戸岬灯台
所在地 / 佐賀県唐津市 ( 波戸岬 )
北緯 / 33-33-20
東経 / 129-50-48
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎5秒に1閃光
光度 / 実効光度 5600カンデラ
光達距離 / 12.5海里
地上~頂部の高さ / 13.36m
平均水面上~灯火の高さ / 20.66m 
地上~灯火の高さ / 12.9m
業務開始年月日 / 昭和24年3月31日
現用灯器 / LC管制器Ⅱ型



山口県萩市 ・ 世界遺産 「 萩反射炉 」

2015-10-25 02:51:41 | 世界遺産


















































1853(嘉永6)年のペリー来航前後の日本では、
欧米列強に対する危機感が高揚、これに対抗するため、
西南雄藩が中心となって海防強化に努め、
旧来の青銅製大砲に代わる強力な鉄製大砲の自力生産が模索されはじめます。

 このような時代のなか、萩(長州)藩では1855(安政2)年に、
西洋の兵学や文化などを広く研究するため西洋学所という教育機関を設け、
1856(安政3)年には恵美須ヶ鼻造船所を設立して、
最初の洋式軍艦「丙辰丸(へいしんまる)」を建造するなど、
兵制の改革、軍備の拡充に努めました。
こうした軍事力強化の一環として、
鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉である反射炉の導入を試みた。

 萩(長州)藩は、1855(安政2)年7月、
すでに1851(嘉永4)年に反射炉の操業に成功していた佐賀藩へ、
藩士の山田宇右衛門(やまだうえもん)らを派遣します。
目的は、鉄製大砲の鋳造法習得でしたが、
製砲掛が長崎に行って不在であることなどを理由に伝授を謝絶されます。
そこで萩(長州)藩は翌8月、佐賀藩が欲していた萩(長州)藩発明の
「砲架旋風台(ほうかせんぷうだい)」(大砲の台)の模型を大工棟梁で、
藩士の小沢忠右衛門(おざわちゅうえもん)に持たせ、
佐賀藩へ派遣しました。

 小沢は反射炉の見学を許され、スケッチをとり、帰ると藩にこれを提出します。
萩(長州)藩では直ちに設計を開始し、
11月に藩士の村岡伊右衛門(むらおかいえもん)を御用掛に命じて、
翌1856(安政3)年から鉄製大砲の鋳造に取り組みます。

 現在残っている遺構は、反射炉の煙突にあたる部分で、
高さ10.5メートルの安山岩積み(上方一部煉瓦積み)です。
上方で二股に分かれているように見えますが、
実際はそれぞれ独立した2本の煙突となっています。
佐賀や韮山(静岡県)の反射炉が、オランダ人ヒュゲーニンの原書どおり、
約16メートルの高さがあったのに比べ、萩反射炉は7割程度の規模しかありません。
砲身に穴を空けるために必要な平錐台(ひらぎりだい)(ドリルのようなもの)を
稼働させるために必要な動力水車用の川又は水路の形跡も見られません。
また、これまで萩反射炉は1858(安政5)年の築造であるとされてきましたが、
現在、記録で確認できるのは、
1856(安政3)年の一時期に反射炉が操業されたということだけです。

これらのことから、近年では萩(長州)藩には実用炉の存在は認められず、
現存する反射炉は試作的に築造されたものであるという見方が有力視されています。

 萩反射炉は、1924(大正13)年12月に国の史跡に指定されました。
国内に現存している反射炉は、静岡県の韮山と萩の2基だけであり、
試験炉ではありますが、自力による近代化初期の資産として重要なものであります。


所在地  / 山口県萩市大字椿東4897-7

長崎県新上五島町 「 黒崎園地から見た野首鼻 」

2015-10-25 01:41:58 | 写真






      頭ヶ島に向かう途中に
      風光明媚な場所がある




長崎県小値賀島 「 小値賀港の夜明け 」

2015-10-25 00:40:41 | 離島めぐり












      港の駐車場には
      佐世保ナンバーの車がずらりと並ぶ
      目と鼻の先に見える上五島では
      長崎ナンバーは目にするが
      佐世保ナンバーを見ることはほとんどない

      佐世保へ出ることが主流の小値賀島に
      朝陽が昇る


      

第10位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント「 歩行者天国 」

2015-10-24 07:01:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ


        やっと土曜日になった
        今週は長く感じた
        今日は夕方から介護職員初任者研修の
        同窓生との飲み会があるので
        それだけが楽しみである
        そんな今日の順位は10位で
        ラッキーポイントは
        「 歩行者天国 」 である

        買い物で後悔しがち 
        慎重な品物選びが大事になりそうな日
        今日も後悔しないように生活しましょう



長崎県久賀島 「 牢屋の窄 ( ろうやのさこ ) 殉教記念教会 」

2015-10-24 02:07:08 | 教会







































江戸幕府からキリスト教禁教政策を引き継いだ明治政府により、
明治元(1868)年、この地で久賀島内の信徒達が捕えられ、
残酷な責め苦を受けました。
後に ” 五島くずれ ” と呼ばれ五島における弾圧のきっかけともなった出来事です。
彼らは自らキリスト教(カトリック)の信仰を表明したために捕えられたもので、
12畳ほどの狭い牢に200名余が押し込められました。
これは畳1枚あたり17人という狭さで、横になることも出来ず、
排泄もその場にしなければならないという想像を絶する惨状でした。
更に男女を問わず牢から引き出され、
子どもまでも厳しく棄教を迫られ苦しい拷問を受けました。
信徒達は8ヶ月にわたりこの状況を耐えしのびましたが、
飢えや病、拷問のために39名が死亡し、
出牢後の死者3名を加えると42名の信徒が命を落としました。
棄教を迫られても信仰を守り抜いた 「 殉教 」 でした。

 現在敷地内には先祖の信仰の強さを讃える『信仰の碑』が建てられ、
内部には迫害を受けた人々の遺骨が子孫の手で納められています。

また殉教者には子供も多く含まれており、
殉教した一人ひとりの年齢と名を刻んだ碑が並んでいます。
この中には殉教時の様子を記したものもあり、
当時の様子をうかがうことができます。
彼らの残した最後の言葉からは、
神を信じる子どものひたむきな純粋さが伝わってきます。

この殉教の場所に建てられているのが現在の牢屋の窄殉教記念教会です。
 最初の教会は、殉教者を顕彰するために、
昭和44(1969)年3月九州電力発電所の建物を利用して、
現在の場所ではなく平地の少し離れた場所に建てられていました。

 昭和44年当時、牢屋の窄殉教記念教会の創設は久賀島内の細石流教会、
永里教会、赤仁田教会の3教会を統合する意味もあり、
牢屋の窄殉教記念教会の創設と同時に3教会は閉鎖された経緯があります。
その後老朽化により昭和59(1984)年、実際に牢屋があった場所に
教会が建設され現在に至っています。

この地では毎年秋に、殉教者をたたえ先祖の信仰に倣うため、
五島内外の信徒や巡礼者が集まり牢屋の窄殉教祭が行われています。

 平成10(1998)年には、駐日教皇大使アンブローズ・デ・パオリ大司教を迎え、
盛大な殉教130周年記念祭が行われました。
秋の久賀路にロザリオの祈りがこだまし、大きな十字架を男性が担ぎ、
司祭団が聖体を顕示し、殉教地まで行列が行われました。
殉教者の子孫による顕花、記念ミサなどが行なわれ、
かつての牢屋の跡地は、全五島のみならず、
島内外のゆかりの人々であふれました。

 現在、牢屋の窄殉教記念教会の内部は床のじゅうたんが色分けされ、
牢の広さが一目でわかるようになっており、
当時の彼らの苦しみを雄弁に物語っています。
 地元信徒によると、ここに立つ巡礼者の中には殉教者の苦しみを思い、
また命よりも信仰を優先した壮絶な生き方に感動し涙ぐむ人の姿もあるとのことです。

【参考文献】
カトリック長崎大司教区発行カトリック教報
地元信徒からの聞き取り

牢死者の碑

ノレンソ 利八 5歳
ジワンナ いそ 34歳
マリア いよ 36歳
カタリナ サキ 24歳
イザベリナ よも 42歳
ジワンナ のわ 56歳
ジワンナ まつ 56歳
マリア はつ 57歳
フランシスコ 好蔵 58歳
ジワンナ ゑつ 85歳
トメイ 政次郎 6歳
ジワンナ つい 7歳
ドミニカ ふみ 9歳
ドミンゴ 三助 6歳
テクラ はつ 13歳
ジワンナ しな 15歳
マダレナ のい 19歳
マダレナ なよ 21歳
ジワンナ しも 22歳
クララ ふい 22歳
ドミニカ たせ 12歳
パウロ 助一 79歳

マリア たき 10歳
フランシスコ 力蔵 55歳
ジワン 藤七 1歳
ルチア すゑ 59歳
マリア サヨ 46歳
ジワンナ ゑつ 9歳
マリア ノシ 7歳
なよ 5歳
ジュリアナ とし 4歳
氏名不詳 幼児
マリア さも 8歳
ジワン 十蔵 59歳
マリア せの 33歳
カタリナ そめ 9歳
ジワンナ かね 9歳
テカラ もよ 5歳
トマス 又次郎 4歳
ペトロ 三蔵 4歳
パウロ 力松 3歳
ジワンナ しも 1歳
カタリナ よし 1歳


同じ人間でありながら、宗教弾圧とはいえ、あまりにも屈辱的な弾圧であり、
地獄以上の人道を外れた仕打ちである。
亡くなった方はもちろんだが、牢屋に入れられ生き延びた方のことを思うと胸が痛む。



所在地  /  長崎県五島市久賀町大開

教会の保護者 /  殉教者の元后