マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

二十四の瞳(be映画の旅人より)

2013-08-17 | カルチャー 見聞

今日のpeko地方、最高気温は34度、昨夜帰省から戻ってきてから今日一日は風があって、お盆前と比べたら幾分マシになったかなと感じましたが、週間予報ではまだまだ下がりそうもないようで・・・残暑お見舞申し上げます。


さて今回は、帰省前に読んだbeの「映画の旅人」の記事関連でのUPです。


 「二十四の瞳」(原作 壺井栄)の舞台になった「岬の分教場」です。昔一度訪れたことがありますが、今はすぐそばに2度目の映画化のロケセットを保存した、「二十四の瞳映画村」ができていて、映画館では常時「二十四の瞳」を上映されてるそうです。


教室は3部屋だけで、生徒も少なく2学年が一部屋で学んでいたそうで、机の高さは46センチしかなく、天井には濡れた雑巾を投げて拭いた跡があるそうです。本棚にある100冊以上の「思い出長」は訪れた人々の感想で埋まってるとか・・


私はこの「映画の旅人(8月10日版)」の記事を目にする少し前、偶然にも録ってあった「松下奈緒さん」が大石先生役の4日放送のものや、終戦60周年特別ドラマとして放送されたという先生役が「黒木瞳さん」のBSでの再放送を見て、2度感涙したあとで、またこの作品にであったのでした。


先生と生徒たちの苦難や悲劇を通し、戦争の悲壮さを描いた作品で、劇場映画は「高峰秀子さん」で有名なんですよね。このときの映画は「日本映画史上最も多く、最も深く観客を泣かせた映画」といわれ、1954年、キネマ旬報ベストテンで、「黒澤明監督の七人の侍」を抑えて1位になったそうです。


何度もドラマにもなっているようですが、今回BSの再放送で観た、黒木さん演じる「大石先生」が、ご主人のお骨を抱きながら、息子達に、周りの人達がどう思おうと関係ないとの思いで、「あなた達のお父さんがなくなったのよ、今泣かないで何時泣くのよ、泣いていいのよ」と強く言われた場面、終戦前に娘さんを亡くされた直後、子供たちの夕食の支度をする時に、まな板に包丁を思い切り付きさして、慟哭された場面が印象深かったですね~。


最近活躍中の俳優さんが、病気でなくなる「コトエ(コトヤン)」を、4日放送分では「桜庭ななみさん」2005年の再放送分は「蒼井優さん」が、戦争で失明し復員した「磯吉(ソンキ)」を4日放送分が「濱田岳さん」2005年の分は「小栗旬さん」が演じられてました。


大石先生は軍国主義がはびこり、正直にモノも言えない中でも、生徒たちにも「命を大事にする人間になって欲しいと」諭します。この生徒と先生の交流の舞台となった「分教場」は71年に廃校になったそうですが、地元の方たちで保存会ができ、毎年7万人が訪れるといいます。


「昨今の問題がある世の中で、映画が描いた、困ってる人への共感と、助け合う気持ちが人々の心に響くのでしょう」と分教場保存会の方がおっしゃってましたが、あらすじがわかっていても、何度見ても感涙するのは「大石先生」は言うまでもなく、原作者もそうだという「人間としてすじを通した生き方」なのかもしれません。


 


 


 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スライドショー

ポチっとしていただければ幸いです。


人気ブログランキング