Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

麻薬享受の自己責任

2006-12-08 | 生活


禁煙法案が通るようである。禁煙権の履行を徹底出来るように、公共の場での喫煙が禁止される。ドイツ連邦共和国は、EUでは大国だけに実施は遅れたが、これで望まぬ受身喫煙被害は減少する。年間三千人のドイツ人がこうして死亡している。

最終段階に来て憲法違反とならないかが審議される。そして連邦州によって、例えばベルリンの左派政権の様にもともと原理主義的な禁煙権を訴えて、学校や病院や飲食店での計画を立てていた地域も存在する。

今回の決定で、過去にあったような喫煙室は学校や幼稚園では認められなくなり全面禁煙となる。また公共の交通機関や建造物での喫煙も喫煙室が無い限り禁止となる。病院の喫煙はどうなるのだろうか?喫煙者の多い外科医は、全てお役目ご免とはならないのだろうか。

レストランでは、禁煙室を別個に設ける事が必要となり、これはレストランの中心となってはならない。但し、バーや一杯引っ掛ける場所では喫煙可能のままであるが、ディスコは禁煙となる。同時に喫煙は労働権ではなくて、例外無く禁煙は実施されなければいけないとする。

自身が喫煙者かそうでないかによるだろうが、葉巻を防虫駆除に燻らし且つ喫煙習慣の全く無い者としては、嫌煙権の行使には関心がある。同時にアイルランドなどは厳しく、禁煙処置によって医療費が削減されたとすると経済的関心もある。ドイツは、スペインと其れとの中間に落ち着くとされる。

しかし、喫煙がタバコを燻らす仲間の時間や一服の楽しみや女性の解放を意味した文化はこれで一先ず終焉を迎えそうである。今後は、一人で部屋に閉じこもって若しくはバーのタバコパーティーで燻らすと云う文化となりそうである。

同時に飲酒による健康や飲酒運転の事故はあくまでも自己責任であるとする非喫煙者の立場からすると、「大麻やマリファナ等の麻薬摂取にも歴史があり、歴史的文化としては喫煙となんら変わり無い。常習性のあるこれら嗜好品は、同等にその悪影響を自己責任として扱うべきで、其れによる税金の増収や産業を育成をしているのがそもそも大きな過ちである」とする見解が導かれる。

山の上での一服やその時間は見ていても決して悪くは無いので、今後もタバコの煙を大自然の中で貰いつつ、地階のヘビースモーカーの紫煙が漂えば直ちに吹き抜けの窓を開けに行く示唆行為を繰り返すこととなろう。

そもそも、子供時分より受身喫煙者であったので、今更ばたばたしても遅い。もし、そうでなかったとしたら神経質な禁煙原理主義者であったかもしれない。

喫煙や麻薬や飲酒の習慣は、家庭環境や教育に因るものが大きい。特にこれらは青少年への影響が大きいので、何を教育するかは重要と思われる。幸か不幸か、麻薬の楽しみは未だに知らないので、臨終の終末治療の時まで取っておきたい。喫煙も十分に受動喫煙しているので今更必要が無い。飲酒も酔いを楽しむと云う環境には無いので、今後とも健康飲料として楽しんで行きたい。
コメント (4)
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