音節と歌謡は、リズムとなる。先日の「ファウスト博士」のアナリーゼは、ミサソレムニスへの講釈となって行く。そこで、米国人「クレッチマー」の講演は、ベートーヴェンのフーガについてが主題となっている。そのアドルノがアドヴァイスしたと云われる内容について態々議論する過ちは避けるべきと思われるが、端的に云えばここでは多声音楽は高度に思弁的で数学的な音楽且つ宇宙の摂理と見做される。
そして多声音楽の手本としてヴェネチア楽派の創始者ワレアスとフランドル楽派でイタリアで大活躍したジョスカン・デ・プレが唐突に引き合いに出される。しかし、これは、前者が二重四声合唱の作曲家として有名で、マルティン・ルターが意識した中世からルネッサンスへの橋渡しとなる転機にあった音楽芸術を指して、特に後者の事を「楽譜の巨匠」と呼び、「他の者は楽譜がなるようにしかなすすべが無かったが、彼の思う通りに楽譜はなり」との絶賛が、錬金術的に混合されている。
先月から一月ほど、最古のレクイエムであるオケゲムの作品に興味を持っていた。そのあまりに巧妙に組み合わされた多声の書法から生まれる強力な和声的表出力と圧倒的な表現を語るには及ばず、そしてここに来て、オケゲムの手練手管の技法を自由自在に扱い新境地を開いたジョスカン・デ・プレの処女マリアに纏わるミサやモテットへと目を移した。
中世音楽のメリスマと云う音価を伸ばしてコブシをまわす技法は、あらゆる声部の組み合わせを可能にして多声音楽を構築して来た。そして、その機に及んで、歌詞の音節がシラブルとして区切られて音化されることで、初めてテクストが音楽が共に意味を持つ事となる。つまり、受け継がれて来た固定旋律も細かく分けられる事で、初めてテキストのシラブルに綺麗に当てはめる事が可能となる。
要するに、テキストによって曲のフレージングの頂点が形成され、こうして圧倒的な表出力と共に、「音節が明確な歌詞」の意味が再び顧みられる。楽譜は出版されるようになり、「音楽かテキストか」の議論は近づいて来る。
しかし何よりも、こうして述べると、少しなりともクラッシックの特にベートーヴェンの芸術に関心があるものならば、最も焦点となる楽想の分割に気が付くのであろう。そして、そこには中世における完全な三分割から不完全な二分割へと進んで行った過程がある。
さて、ジョスカン・デ・プレの音楽はこうして大変リズミカルで軽妙な表現力を持ち得て、ベートーヴェンは多声音楽の技法ではなく、そうした楽想の処理技術をもって偉大な表現を獲得するのは分かったが、「クレッチマー」の言及ではジャスカン・デ・プレらの位置付けが欠損している。ただ短く、「ベート-ヴェンは儀礼から世俗への解放の時代からは遠く隔たっている」と、当たり前のことを述べて行を埋めている。
ジョスカン・デ・プレからシュトルツァーへと引き継がれさらにバッハへと、若しくはルターを通しての中部ドイツの宗教改革の音楽の流れを見ることは、同時にルネッサンスのヒューマニズムの芸術と解放の芸術を平行に見据えていく事にもなりそうである。
ヨハネス・オケゲムは、眼鏡をかけた人物とみられ、その死を弔って曲を捧げたヒューマニスムの芸術家ジョスカン・デ・プレの影像は、法被りをしたものしか無い。しかし、この二人の巨匠の芸術は人類の至宝であることは間違いない。
そして多声音楽の手本としてヴェネチア楽派の創始者ワレアスとフランドル楽派でイタリアで大活躍したジョスカン・デ・プレが唐突に引き合いに出される。しかし、これは、前者が二重四声合唱の作曲家として有名で、マルティン・ルターが意識した中世からルネッサンスへの橋渡しとなる転機にあった音楽芸術を指して、特に後者の事を「楽譜の巨匠」と呼び、「他の者は楽譜がなるようにしかなすすべが無かったが、彼の思う通りに楽譜はなり」との絶賛が、錬金術的に混合されている。
先月から一月ほど、最古のレクイエムであるオケゲムの作品に興味を持っていた。そのあまりに巧妙に組み合わされた多声の書法から生まれる強力な和声的表出力と圧倒的な表現を語るには及ばず、そしてここに来て、オケゲムの手練手管の技法を自由自在に扱い新境地を開いたジョスカン・デ・プレの処女マリアに纏わるミサやモテットへと目を移した。
中世音楽のメリスマと云う音価を伸ばしてコブシをまわす技法は、あらゆる声部の組み合わせを可能にして多声音楽を構築して来た。そして、その機に及んで、歌詞の音節がシラブルとして区切られて音化されることで、初めてテクストが音楽が共に意味を持つ事となる。つまり、受け継がれて来た固定旋律も細かく分けられる事で、初めてテキストのシラブルに綺麗に当てはめる事が可能となる。
要するに、テキストによって曲のフレージングの頂点が形成され、こうして圧倒的な表出力と共に、「音節が明確な歌詞」の意味が再び顧みられる。楽譜は出版されるようになり、「音楽かテキストか」の議論は近づいて来る。
しかし何よりも、こうして述べると、少しなりともクラッシックの特にベートーヴェンの芸術に関心があるものならば、最も焦点となる楽想の分割に気が付くのであろう。そして、そこには中世における完全な三分割から不完全な二分割へと進んで行った過程がある。
さて、ジョスカン・デ・プレの音楽はこうして大変リズミカルで軽妙な表現力を持ち得て、ベートーヴェンは多声音楽の技法ではなく、そうした楽想の処理技術をもって偉大な表現を獲得するのは分かったが、「クレッチマー」の言及ではジャスカン・デ・プレらの位置付けが欠損している。ただ短く、「ベート-ヴェンは儀礼から世俗への解放の時代からは遠く隔たっている」と、当たり前のことを述べて行を埋めている。
ジョスカン・デ・プレからシュトルツァーへと引き継がれさらにバッハへと、若しくはルターを通しての中部ドイツの宗教改革の音楽の流れを見ることは、同時にルネッサンスのヒューマニズムの芸術と解放の芸術を平行に見据えていく事にもなりそうである。
ヨハネス・オケゲムは、眼鏡をかけた人物とみられ、その死を弔って曲を捧げたヒューマニスムの芸術家ジョスカン・デ・プレの影像は、法被りをしたものしか無い。しかし、この二人の巨匠の芸術は人類の至宝であることは間違いない。