Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

出稼ぎ労働者の行方

2008-08-08 | マスメディア批評
車のラジオを聞いていたら、昨年度だけで2000人の医師が外国へ脱出したと伝える。ドイツ国内の医師の労働環境が悪いかららしい。頻繁にデモンストレーションやストがあるのは周知である。

その中でもスイスの病院勤務は、パーソナルの数や給与などの面で優れていて人気がある。ドイツ人が最も出稼ぎに行くのはスイスに違いない。

患者との方言でのコンタクトなど、同じドイツ語圏と言っても南ドイツのアレマーニッシュやシュヴービッシュを話す人でないと困難もあるようだ。しかし、その後者でもチューリッヒに開業して暫らくは、「シュヴァーベの豚野郎」とかの脅しの電話や手紙に枚挙ないようなスイス独特の外国人排斥が激しく投げかけられると言われる。そして多くのドイツ人は、スイスとの個人的親交を広げることが出来なくて、ドイツ人ばかりで付きあっている現実が伝えられる。

グローバル時代とは言っても ― それ故に ―、「金のため、生活のために新天地を求めてやってくる出稼ぎ労働者」は、たとえそれが国の政策として求められてやって来たにしても、嫌厭される傾向がある。

それは排他的なローカリズムでしかないのかどうか?無医村の医師のように必要とされているから誘致される場合もあるだろうが、それはなんら経済的な意味を持たないから無医村になっているのであり、グローバリズムとは無関係である。結局グローバルをモットーとする市場では効率化が図られて、そこから逃げ出す者はまたそこでよりよい労働環境を求めるだけとなる。つまり労働市場は動いて、よりよい労働環境は次の時点では効率化が最も求められる労働市場となる。

排他的な心理は一体何処から導かれるかは必ずしも容易に説明出来ないが、グローバリズムのこうした市場の変遷と同時にグリーバリズムに端を発したローカリズムが芽生えるのは当然であろう。

先日読んだフランスの法改正における地域言語承認の記事は興味深かった。アルザスのそれとオキシタン・バスク・ノルマンディー・コルシカの方言を認める事をサルコジ大統領が同意して、今後は少しずつフランス語の国語と共に地方の言葉が使われるようになるのだろう。

アルザスの現状を見ると復興は容易ではないらしい。子供では四・五パーセントしかアルザス語が出来ない現状から、先ずは何よりもバイリンガルになるためにドイツ標準語をマスターしなければいけない。アルザス語とプファルツ語は近接しているので、プファルツの人間はバイリンガルとなるべきであるのとよく似ている。

しかし、スイスの場合は、EUの開かれた国境の場合とはやはり別けて考えなければいけない。なぜならば、閉鎖する国境が存在しているからである。



参照:
Die Geiß wird zur Chèvre, Florentine Fritzen, FAZ vom 5.8.2008
「師」は「士」より上? (時空を超えて)
コメント (12)
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