お土産にナーへのワインを頂いた。態々出かけて購入してきたらしい。そのワインの感想などを読んでも、必ずしも評判の良くないテッシュ醸造所のものである。
口当たりや香りなどは、試飲して選んで来たものであるから、なるほどそれらしきものがあり、夾雑感も少なく、ここで批判をして欲しかったものだと分かった ― そもそも私は人を非難したり叩いたりするのを好まない。特に趣向品など全く個人的なものであり、それを批判するのは憚れる、だから自分では買わない悪いワインなどを批判する趣味もないので、人から頂戴しないとこうして批判する機会も無いのである。
先ずその夾雑感の少なさはステンレスを上手く作っているので、長点であっても欠点ではないのだが、味として如何にも分離したようなまとまりのなさがあって、樽の混ぜ合わせなどの恣意を強く感じた。
それはこの醸造所がラベルの色合いやそのワインの出し方で、非常に勝れたパブリックコミュニケーション術を会得しているオーナであることは周知である。さてそれがどのように反映して、我々飲み手に影響を与えるかである。そこが最大の関心であった。
どうも試飲の席で、そうした土壌の違いやワインのキャラクターの差異について口頭でも改めてレクチャーがあったようだ。なるほど初心者がそうしたことに関心を抱くためには必要なのかもしれないが、好事家の審美眼を養うことにはならない。同じようにただ色分けをしただけでグーツリースリングを青色で出して、尚且つそれ相当の料金を取ろうとするのは解せない。
そもそもなぜこの価格帯で、ナーへで13%もアルコールを上げているのか?それでも新鮮さがあるところを見ると、加糖している疑いが強くなる ― 色が深めなので酸に手練手管を用いているのだろう。実際、その健康ぶった葡萄は明らかに早摘みであって酸が十分に分解できていないので鋭く危険で、深みが全く無い。更に悪いのは、清潔感と我々の胃壁の侵攻が取引されていることで、この酸は殆ど不良品との限界粋にある ― 酸酸酸とか言っても、その質を吟味しないのでは何ら意味がない、グラスの液体の色とか専門家ぶったことを言うならそれぐらいのことは理解しないと恥ずかしい、最初からそうした通ぶったことを言わないに限る。所謂、危険な酸で辛うじて味のバランスをとっているワインとなっている ― 私なら試飲のときに次のように質問していただろう、「この葡萄の摘み取りは何時でした?」。
今時、グランクリュでも葡萄糖度95を越えないことが、エレガントなそれを拵える基本であることは部外者だって身をもって体験している。なによりも、ラインガウでもない、こうした力の無い土壌でアルコールの高めのリースリングを醸造しようとする破廉恥さに呆れる。エレガントとか、繊細とか、酸の美しさとかには一切関係のない者なのだろう。そもそも高いアルコールは肥満と密接なかかわりを持っていることは十年以上前に経験済みであり、私がアルコール嗜好をやめてワインをいくらかは嗜むようになった所以でもある。
基本的にはスレート土壌の酸であり、味筋であるが、それをアルコールを高めて均衡させようとするところに、我々はPCとしてのコンセプトがいつの間にか商品の無理なラインナップ、そして不良商品の販売へと造り手側に影響していることを感じるのである。そもそもまともな地所も所持していないからこその苦肉の策としてのアイデアだったのだろうが、こうしたことよりもどうしたら品質の良いリースリングを醸造できるかを真剣に考えるべきであったろう。
折角のアイデアであったろうが、他の多くの二三流醸造所のように、化粧瓶やその他で商品を売り込むような醸造所の域を今後とも抜きでることはないであろう。そもそもそうしたことは、試飲する前から十分に推測できるようでないと、広大なドイツワインの市場からまともに上質のワインを嗅ぎ分ける力もつかないであろう。所謂、ゲテモノ漁りに陥るのである。
ワインを持ち帰るのにレープホルツ醸造所の箱を使っていたようなので、それを見たオーナーが驚いたようだ。それはそうだろう、本来ならば客層が違うのだから。
参照:
大馬鹿者たち-試飲百景 2005-06-18 | 試飲百景
厚化粧の顔厚忸怩とスッピン 2010-10-24 | ワイン
甘い汁を吸い続けた報い 2009-08-03 | ワイン
腐れ葡萄にその苦心を窺う 2009-07-30 | ワイン
口当たりや香りなどは、試飲して選んで来たものであるから、なるほどそれらしきものがあり、夾雑感も少なく、ここで批判をして欲しかったものだと分かった ― そもそも私は人を非難したり叩いたりするのを好まない。特に趣向品など全く個人的なものであり、それを批判するのは憚れる、だから自分では買わない悪いワインなどを批判する趣味もないので、人から頂戴しないとこうして批判する機会も無いのである。
先ずその夾雑感の少なさはステンレスを上手く作っているので、長点であっても欠点ではないのだが、味として如何にも分離したようなまとまりのなさがあって、樽の混ぜ合わせなどの恣意を強く感じた。
それはこの醸造所がラベルの色合いやそのワインの出し方で、非常に勝れたパブリックコミュニケーション術を会得しているオーナであることは周知である。さてそれがどのように反映して、我々飲み手に影響を与えるかである。そこが最大の関心であった。
どうも試飲の席で、そうした土壌の違いやワインのキャラクターの差異について口頭でも改めてレクチャーがあったようだ。なるほど初心者がそうしたことに関心を抱くためには必要なのかもしれないが、好事家の審美眼を養うことにはならない。同じようにただ色分けをしただけでグーツリースリングを青色で出して、尚且つそれ相当の料金を取ろうとするのは解せない。
そもそもなぜこの価格帯で、ナーへで13%もアルコールを上げているのか?それでも新鮮さがあるところを見ると、加糖している疑いが強くなる ― 色が深めなので酸に手練手管を用いているのだろう。実際、その健康ぶった葡萄は明らかに早摘みであって酸が十分に分解できていないので鋭く危険で、深みが全く無い。更に悪いのは、清潔感と我々の胃壁の侵攻が取引されていることで、この酸は殆ど不良品との限界粋にある ― 酸酸酸とか言っても、その質を吟味しないのでは何ら意味がない、グラスの液体の色とか専門家ぶったことを言うならそれぐらいのことは理解しないと恥ずかしい、最初からそうした通ぶったことを言わないに限る。所謂、危険な酸で辛うじて味のバランスをとっているワインとなっている ― 私なら試飲のときに次のように質問していただろう、「この葡萄の摘み取りは何時でした?」。
今時、グランクリュでも葡萄糖度95を越えないことが、エレガントなそれを拵える基本であることは部外者だって身をもって体験している。なによりも、ラインガウでもない、こうした力の無い土壌でアルコールの高めのリースリングを醸造しようとする破廉恥さに呆れる。エレガントとか、繊細とか、酸の美しさとかには一切関係のない者なのだろう。そもそも高いアルコールは肥満と密接なかかわりを持っていることは十年以上前に経験済みであり、私がアルコール嗜好をやめてワインをいくらかは嗜むようになった所以でもある。
基本的にはスレート土壌の酸であり、味筋であるが、それをアルコールを高めて均衡させようとするところに、我々はPCとしてのコンセプトがいつの間にか商品の無理なラインナップ、そして不良商品の販売へと造り手側に影響していることを感じるのである。そもそもまともな地所も所持していないからこその苦肉の策としてのアイデアだったのだろうが、こうしたことよりもどうしたら品質の良いリースリングを醸造できるかを真剣に考えるべきであったろう。
折角のアイデアであったろうが、他の多くの二三流醸造所のように、化粧瓶やその他で商品を売り込むような醸造所の域を今後とも抜きでることはないであろう。そもそもそうしたことは、試飲する前から十分に推測できるようでないと、広大なドイツワインの市場からまともに上質のワインを嗅ぎ分ける力もつかないであろう。所謂、ゲテモノ漁りに陥るのである。
ワインを持ち帰るのにレープホルツ醸造所の箱を使っていたようなので、それを見たオーナーが驚いたようだ。それはそうだろう、本来ならば客層が違うのだから。
参照:
大馬鹿者たち-試飲百景 2005-06-18 | 試飲百景
厚化粧の顔厚忸怩とスッピン 2010-10-24 | ワイン
甘い汁を吸い続けた報い 2009-08-03 | ワイン
腐れ葡萄にその苦心を窺う 2009-07-30 | ワイン