エジプトの民主化は始まったばかりである。その今後を考える重要な参考となる記事が水曜日に載っていた。前大統領がハイデルベルクの癌センターで再治療を受けるためにと、亡命する必要が無かったことだけでも比較的順調な出だしとも思われる。
民主主義の本質は何処にあるのか、そこで何が達成されるのかが重要であって、民主主義それ自体には殆ど意味がないといっても過言ではない。強権な政治力を持つリーダーが現れて、近代社会の窮屈さから解消してくれれば良いならば、つまり「国民の生活が第一」ならば ― 豚には餌をやっておけば二二六事件などは起こらなかったと言うのである、まさにヒトラー総統が待望された社会背景であった。そこには、伝統的なその社会における市民の生活観と近代的な社会でのそれの乖離があった訳であり、まさにドイツ労働者国家社会主義党の公約がそこに集約されていたのであった。
現在におけるもっとも近代主義的な世界観に反発しているのがイスラム主義であり ― シナ人の中共としての取り組みは同じような反動勢力であり、西欧社会における「緑の革命」などもそれに加えることも出来よう、そしてタリバンや毛主義のポルポトなどもそうしたアンチモダニズムを標榜していたのである。そこで、サウジアラビアとインドネシアの中間にあるモルディブ共和国がイスラム社会でもっとも民主化に成功した国として、その副大統領に始めて公選で任命されたモハメド・ワヒード副大統領がインタヴューに答えている。氏は、ベイルートのアラブ大学を同国最初のアカデミカーとして卒業以降、ユネスコの支援などを受けてシリア、レバノン、ヨルダンやパキスタン、アフガニスタンなど戦時下を含むあらゆるイスラム社会に遊学していることからその事情に精通しているようだ。もともとは、独裁政権の下で家族が追放や拷問などを受ける厳しい環境で成長したようだが、幸運にも学ぶことが出来て、スタンフォード大学でハーバーマスに関する研究で博士号を習得している自他共に認めるモスリムきっての知識人として紹介されている。
結論からすれば、イスラムにおける問題は、キリスト教社会がその解釈学で大きく前進したように、知識人が十分に揃えばその教義を曲げることもサブカルチャー化することもなく、現代との落差を埋めることが可能と言うのである。つまりそれは丁度68年運動における「国と(社会)個人との論争」に相当する「宗教と(社会)個人との論争」を、文化的価値のコンテクストから読み取ることの出来る民主的な社会が必要となるということでもある。
要するに、民主主義とは自由にものを考えることが出来て発言できることで、議論が戦わされる社会制度であると言うことである。その前提があってこそ初めて「人が人らしく活きる」ことができると言うのである。言葉をかえればそれは人権であり、自由であるが、それが必ずしも安物の定義でないことは、歴史的な文化的なコンテストから読み取るべき価値に結びつくからであって、決して社会の規約からの解放ということだけではないことは明らかだろう。
それゆえに民主化は一挙手一投足には達するものでないことは、百年近くのその歴史をもってしても十分にはそれを獲得していない極東の国の実際を知っている者にとっては改めるまでもない事実である。その点を、上の副大統領が力説しており、イスラム社会におけるそれも子供の教育等を通じて中長期的な展望が必要であることは、東ドイツの発展に関しても同様にエジプト問題と同じように論じられていることでも分かる。また、テロの危機という点では、なるほどイスラム原理主義者のそれが現代では代表的であるが、日本帝国軍人の神風行為もナチスの悪行もはたまた左翼テロも米国など世界各地の右翼テロも北朝鮮のテロ行為も存在するのであり、民主化のプロセスとは別問題だとするのが副大統領の見解である。その背景は上述した「軋轢」こそにあると読み取れる。だからこそ論争こそが肝心なのである。
最も恐れるものは、あまりにも急激な民主化と社会の変化に一般の国民の伝統的なライフスタイルの変化が追いつけずに乖離することで、それは上に挙げたような近代化の社会の複雑化として西欧に見られた現象であり、その反動として独裁的な如何にも「土着民」を魅了するような政策を掲げる反動政権が生まれることである。それを阻止するためにも憲法をはじめとする政体の整備が必要となるということであり、同時に経済的にも必要な舵取りが欠かせないのである。
参照:
Nur ein Harbermas kann uns retten, Mohamed Waheed, Frank Schirrmacher, FAZ vom 9.2.2011
情報の共有と議論の為所 2011-02-05 | 雑感
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民主主義の本質は何処にあるのか、そこで何が達成されるのかが重要であって、民主主義それ自体には殆ど意味がないといっても過言ではない。強権な政治力を持つリーダーが現れて、近代社会の窮屈さから解消してくれれば良いならば、つまり「国民の生活が第一」ならば ― 豚には餌をやっておけば二二六事件などは起こらなかったと言うのである、まさにヒトラー総統が待望された社会背景であった。そこには、伝統的なその社会における市民の生活観と近代的な社会でのそれの乖離があった訳であり、まさにドイツ労働者国家社会主義党の公約がそこに集約されていたのであった。
現在におけるもっとも近代主義的な世界観に反発しているのがイスラム主義であり ― シナ人の中共としての取り組みは同じような反動勢力であり、西欧社会における「緑の革命」などもそれに加えることも出来よう、そしてタリバンや毛主義のポルポトなどもそうしたアンチモダニズムを標榜していたのである。そこで、サウジアラビアとインドネシアの中間にあるモルディブ共和国がイスラム社会でもっとも民主化に成功した国として、その副大統領に始めて公選で任命されたモハメド・ワヒード副大統領がインタヴューに答えている。氏は、ベイルートのアラブ大学を同国最初のアカデミカーとして卒業以降、ユネスコの支援などを受けてシリア、レバノン、ヨルダンやパキスタン、アフガニスタンなど戦時下を含むあらゆるイスラム社会に遊学していることからその事情に精通しているようだ。もともとは、独裁政権の下で家族が追放や拷問などを受ける厳しい環境で成長したようだが、幸運にも学ぶことが出来て、スタンフォード大学でハーバーマスに関する研究で博士号を習得している自他共に認めるモスリムきっての知識人として紹介されている。
結論からすれば、イスラムにおける問題は、キリスト教社会がその解釈学で大きく前進したように、知識人が十分に揃えばその教義を曲げることもサブカルチャー化することもなく、現代との落差を埋めることが可能と言うのである。つまりそれは丁度68年運動における「国と(社会)個人との論争」に相当する「宗教と(社会)個人との論争」を、文化的価値のコンテクストから読み取ることの出来る民主的な社会が必要となるということでもある。
要するに、民主主義とは自由にものを考えることが出来て発言できることで、議論が戦わされる社会制度であると言うことである。その前提があってこそ初めて「人が人らしく活きる」ことができると言うのである。言葉をかえればそれは人権であり、自由であるが、それが必ずしも安物の定義でないことは、歴史的な文化的なコンテストから読み取るべき価値に結びつくからであって、決して社会の規約からの解放ということだけではないことは明らかだろう。
それゆえに民主化は一挙手一投足には達するものでないことは、百年近くのその歴史をもってしても十分にはそれを獲得していない極東の国の実際を知っている者にとっては改めるまでもない事実である。その点を、上の副大統領が力説しており、イスラム社会におけるそれも子供の教育等を通じて中長期的な展望が必要であることは、東ドイツの発展に関しても同様にエジプト問題と同じように論じられていることでも分かる。また、テロの危機という点では、なるほどイスラム原理主義者のそれが現代では代表的であるが、日本帝国軍人の神風行為もナチスの悪行もはたまた左翼テロも米国など世界各地の右翼テロも北朝鮮のテロ行為も存在するのであり、民主化のプロセスとは別問題だとするのが副大統領の見解である。その背景は上述した「軋轢」こそにあると読み取れる。だからこそ論争こそが肝心なのである。
最も恐れるものは、あまりにも急激な民主化と社会の変化に一般の国民の伝統的なライフスタイルの変化が追いつけずに乖離することで、それは上に挙げたような近代化の社会の複雑化として西欧に見られた現象であり、その反動として独裁的な如何にも「土着民」を魅了するような政策を掲げる反動政権が生まれることである。それを阻止するためにも憲法をはじめとする政体の整備が必要となるということであり、同時に経済的にも必要な舵取りが欠かせないのである。
参照:
Nur ein Harbermas kann uns retten, Mohamed Waheed, Frank Schirrmacher, FAZ vom 9.2.2011
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