身近に実験屋さんはいる。しかし、自分自身だけでなくて、親戚に手を動かして生計を立てている者は余り多くない。先祖に大分遡ってもそうした者は殆ど見つからない。外科医でも一人は外科を早くに止めてしまっている。手先も器用な親戚は少なくないが、どうも自分でこつこつと何かするよりも人にやらせて文句を言うタイプの人間性が共通のDNAにあるように思われる。
その際たるものがワインの評価とか試飲とか呼ばれるもので、これは自分が何一つ働かなくても、飲む量が増えれば増えるほど文句が増えていくのである。さらに、多くの場合は目で判断したりする職人的なものも、アルコールとして全身で判断する基準の精度が上がるだけでなくて、その背後に積み重なっている技や匠と自然の織り成す調和の真髄を見極めようとどうしても技術的な背景にまで立ち入ってしまうのである。どのような分野でもそうであるが、アマチュアーの恐ろしさは好奇心だけで他の全ての無関心な環境を取り去ってその核心へと迫り没頭しようとする動機付けが強いことである。
2010年のリースリングはまれにみる数十年ぶりかの高い酸度で、その酸を如何に克服したかでそのワインの値打ちが決ってくる。それに関して、「ドッペルザルツ」という言葉が昨年秋ほど聞かれたことはない。2008年度も酸の量が多くて何らかの手段を講じたワインは少なくなかったであろう。更に冬の冷え込みがあったという理由で、中和した塩が瓶詰め前に樽の中で落とされた事実を聞いている。
そして、その「ドッペルザルツ減酸法」と並んで、「通常の減酸法」と呼ばれる方法が別けて語られていることに注目した。そしてその違いや特徴の技術的な解説をネットで見つけて読んだ。双方共に共通するのかカルシウムであり場合によってはカリウムが中和剤として使われるようで、両者の効用と効果は異なっていて、リットルあたり七グラムのカルシウムで一グラムの酸を中和することになるのだが、その酸も「通常の場合」はワイン酸を中和する。「ドッペルザルツ法」の場合はワイン酸と同じだけリンゴ酸も中和する。
実際の作業も、通常の場合はカルシウムの中にワインをポンピングして、十分に反応させるようだが、ドッペルの場合はそのままワインの中に投下することになる。その後のフィルターリングで酒石として適当な時期に取り除かれないと、再び塩との中和均衡が逆行する。
しかしこの差異を十分に想像を働かせて考えれば、我々が新鮮味として感じている酸は往々にしてリンゴ酸であり、逆にこれは果実の熟成で十分に分解されなければいけないものなのである。先日もナーへのリースリングを辛口に批判したが、この酸の分解こそがリースリングに深みを与えるものであって、清潔感の溢れる辛口を醸造しようと思って腐る前に早めに摘み取るとこうした「浅造りのワイン」になるのである。
つまり、本来ならばリンゴ酸を中和する以前に十分に自然の力で酸を分解しておかなければいけない。しかし、昨今の温暖化で春が早くなり、夏から秋にかけての果実の健康な熟成が益々難しくなりラインガウなどの一部地域では嘗ての名うての地所は事実上その歴史的価値を失いつつある。
酸の深みというものがこの過程で生まれるとすれば、そうした清潔ぶった辛口造りのリースリングに瓶熟成の可能性などはなく、もっぱら早飲み対象商品となるのである。一部には誤解する向きもあるようだが、グローセスゲヴェックスは果実の糖比重を抑えてあるので、味噌糞一緒な甘口のように糖化を高めるだけに葡萄を放置しておくのとは異なり、出来る限り貴腐を抑えて、尚且つ酸が十分に分解されることを目指して栽培される。要するに、甘口においては数年に一度の深い熟成がグローセスゲヴェックスでは毎年のように要求される。
さて、ここまで考えると、ドッペルザルツを使用した更なる減酸過程の長短以前に、カルシウムが溶けることで生じるリースリングの石灰臭さはある程度避けられないだろうと思われる。そもそも石灰土壌のそれがどのように味に反映するかは、全く体感をもってのテロワール感であって、自然科学的な観察ではない。しかし、白ワインのその土壌の反映度をもって盟主であるリースリング種の場合、どうしても石灰土壌の場合は角が落ちて経年変化で益々丸くなってつまらないワインとなることは経験として知られている。
こうした点を総合的に判断すると、2010年のリースリングの試飲も春と共にゆっくりと近づいて来ているが、三分の一ほどの「減産」となったその質は、なるほど酸の量感がある限り長持ちするだろう。更に2008年のあの荒い酸とは異なり、その質は素晴らしいようなので、対照的に線の細やかなワインなども期待できる。同時に、石灰混じり感があると、丸い酸が感じられることから、早飲みの清涼感も大分期待できるのではないか。一方、量を減らした分高額商品での質も吟味しているだろう。
好事家の中には、良いリースリングに「酸」を筆頭に挙げる向きもあるが、上述したような考察の果てには、「その量以上にその質が尚一層重要」であるとの見解を共有するのである。なるほどそうしたことを全て経験したあとでも、その吟味の特別難しい甘口を今か今かと寝かしておいて、もし幸運にも自らの臨終前に開けて漸くそれが楽しめるとなった時には既に取り返しが付かない地獄行きの娑婆の手土産となる。
最後に付け加えておくと、こうした事象を全てどこかの間違ったテキストで若しかするとこの文章で、「ドッペルザルツ減酸法を使っている2010年産は丸くて駄目」とか短絡に読解して考えるのはまさにスノビズムの極致である。少なくとも虚心坦懐に思考する者はそのようには考えないだろう ― しかし自信が無い醸造所の中にでも減酸と言うことで表情を曇らす醸造所も少なくはない。そして何よりも先ず自分で体感することが先決なのである。そこから少しづつイメージを固めていけばよいのである。
その際たるものがワインの評価とか試飲とか呼ばれるもので、これは自分が何一つ働かなくても、飲む量が増えれば増えるほど文句が増えていくのである。さらに、多くの場合は目で判断したりする職人的なものも、アルコールとして全身で判断する基準の精度が上がるだけでなくて、その背後に積み重なっている技や匠と自然の織り成す調和の真髄を見極めようとどうしても技術的な背景にまで立ち入ってしまうのである。どのような分野でもそうであるが、アマチュアーの恐ろしさは好奇心だけで他の全ての無関心な環境を取り去ってその核心へと迫り没頭しようとする動機付けが強いことである。
2010年のリースリングはまれにみる数十年ぶりかの高い酸度で、その酸を如何に克服したかでそのワインの値打ちが決ってくる。それに関して、「ドッペルザルツ」という言葉が昨年秋ほど聞かれたことはない。2008年度も酸の量が多くて何らかの手段を講じたワインは少なくなかったであろう。更に冬の冷え込みがあったという理由で、中和した塩が瓶詰め前に樽の中で落とされた事実を聞いている。
そして、その「ドッペルザルツ減酸法」と並んで、「通常の減酸法」と呼ばれる方法が別けて語られていることに注目した。そしてその違いや特徴の技術的な解説をネットで見つけて読んだ。双方共に共通するのかカルシウムであり場合によってはカリウムが中和剤として使われるようで、両者の効用と効果は異なっていて、リットルあたり七グラムのカルシウムで一グラムの酸を中和することになるのだが、その酸も「通常の場合」はワイン酸を中和する。「ドッペルザルツ法」の場合はワイン酸と同じだけリンゴ酸も中和する。
実際の作業も、通常の場合はカルシウムの中にワインをポンピングして、十分に反応させるようだが、ドッペルの場合はそのままワインの中に投下することになる。その後のフィルターリングで酒石として適当な時期に取り除かれないと、再び塩との中和均衡が逆行する。
しかしこの差異を十分に想像を働かせて考えれば、我々が新鮮味として感じている酸は往々にしてリンゴ酸であり、逆にこれは果実の熟成で十分に分解されなければいけないものなのである。先日もナーへのリースリングを辛口に批判したが、この酸の分解こそがリースリングに深みを与えるものであって、清潔感の溢れる辛口を醸造しようと思って腐る前に早めに摘み取るとこうした「浅造りのワイン」になるのである。
つまり、本来ならばリンゴ酸を中和する以前に十分に自然の力で酸を分解しておかなければいけない。しかし、昨今の温暖化で春が早くなり、夏から秋にかけての果実の健康な熟成が益々難しくなりラインガウなどの一部地域では嘗ての名うての地所は事実上その歴史的価値を失いつつある。
酸の深みというものがこの過程で生まれるとすれば、そうした清潔ぶった辛口造りのリースリングに瓶熟成の可能性などはなく、もっぱら早飲み対象商品となるのである。一部には誤解する向きもあるようだが、グローセスゲヴェックスは果実の糖比重を抑えてあるので、味噌糞一緒な甘口のように糖化を高めるだけに葡萄を放置しておくのとは異なり、出来る限り貴腐を抑えて、尚且つ酸が十分に分解されることを目指して栽培される。要するに、甘口においては数年に一度の深い熟成がグローセスゲヴェックスでは毎年のように要求される。
さて、ここまで考えると、ドッペルザルツを使用した更なる減酸過程の長短以前に、カルシウムが溶けることで生じるリースリングの石灰臭さはある程度避けられないだろうと思われる。そもそも石灰土壌のそれがどのように味に反映するかは、全く体感をもってのテロワール感であって、自然科学的な観察ではない。しかし、白ワインのその土壌の反映度をもって盟主であるリースリング種の場合、どうしても石灰土壌の場合は角が落ちて経年変化で益々丸くなってつまらないワインとなることは経験として知られている。
こうした点を総合的に判断すると、2010年のリースリングの試飲も春と共にゆっくりと近づいて来ているが、三分の一ほどの「減産」となったその質は、なるほど酸の量感がある限り長持ちするだろう。更に2008年のあの荒い酸とは異なり、その質は素晴らしいようなので、対照的に線の細やかなワインなども期待できる。同時に、石灰混じり感があると、丸い酸が感じられることから、早飲みの清涼感も大分期待できるのではないか。一方、量を減らした分高額商品での質も吟味しているだろう。
好事家の中には、良いリースリングに「酸」を筆頭に挙げる向きもあるが、上述したような考察の果てには、「その量以上にその質が尚一層重要」であるとの見解を共有するのである。なるほどそうしたことを全て経験したあとでも、その吟味の特別難しい甘口を今か今かと寝かしておいて、もし幸運にも自らの臨終前に開けて漸くそれが楽しめるとなった時には既に取り返しが付かない地獄行きの娑婆の手土産となる。
最後に付け加えておくと、こうした事象を全てどこかの間違ったテキストで若しかするとこの文章で、「ドッペルザルツ減酸法を使っている2010年産は丸くて駄目」とか短絡に読解して考えるのはまさにスノビズムの極致である。少なくとも虚心坦懐に思考する者はそのようには考えないだろう ― しかし自信が無い醸造所の中にでも減酸と言うことで表情を曇らす醸造所も少なくはない。そして何よりも先ず自分で体感することが先決なのである。そこから少しづつイメージを固めていけばよいのである。