Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

東電との如何わしいスクラム

2011-06-26 | 歴史・時事
IAEAの報告を受けて、ヨアヒム・ミュラーユングが一面に「自己核分裂」と称して社説を書いている。それによると、インターネットフォールムでも論争となったような、ドイツでの食中毒死に比べて福島での被曝での死者が出ていないことに関する馬鹿げた議論を挙げて、核災害が如何に悲惨なものかを問い、津波と地震のその多大な死者数から「福島」を「カタストルフ」としない主張の誤りを指摘する。

そしてそのような主張で、「福島」を歴史的に否定して仕舞うことなどは出来ないと、千キロ平米にも及ぶ地域での何時帰宅できるかもわからない何百万人もの避難民に触れる。そして、どの国と比べても、科学的な合理性の宝庫としてあまりにも無邪気な国が、その報いとして放射能へのおぼろげな不安の坩堝へと陥っているのであると述べる。こうして示すことで日本の核禍がようやく身近に感じれるようになるだろうと説く。

先週のIAEAのウィーン会議時にも古い核開発業界の構造が未だに解消されずに続いている理由を、これで理解できるかもしれないと、業界が真実を恐れて、そこから生じるものを恐れているのだと述べる。

核の専門家は、繰り返しあるがままの姿に居座り続け、安全のスタンダード化へとは合意しない。それゆえに「福島」は、自分自身の評価の不安に共鳴して、不安感に喘ぐ人々の信頼感を獲得しうる民主主義的な手順や透明性への関心を明白にしていないと批判する。

それどころか自らの事故解明の成果を自慢して法螺を吹くような巧妙なスポークスマンまでがおり、これではこの大災害を当分処理することなどは出来ないだろうとしている。危機管理の技術を最後まで弄ぼうとする限りにおいては無理な相談だというのである。

時間が経っても多くのことはまだまだ分かっていない。沈黙、逃避、歪曲が、基本姿勢として日本政府と東電との如何わしいスクラムの中で、情報戦略として罷り通っているのだと怒る。情報社会時代の特に開放が世界を進歩させると思われている時代において、それがしばしばマスメディアのヒステリーとなる時代においてさえ、なにも分かっていない戦略だと訝る。

自己核分裂は、ドイツの脱原発の一方、「福島」は避けられたかもしれないどころかあまりにもずさんな管理でもはや工業史最大の悲劇となっていて、それ自体をさらに助長する方向へと進む危険性すら与えていると現状認識が示される。

国連総長のヴィーンでの発言は、それゆえに原発賛成の者には誤ったメッセージとして受けとられたようで、その「世界が協力して当たる」ことの意味を再度考察する。チェルノブイリは工業・政治におけるソヴィエトの妄信と組織化された秘密主義における硬直した裁定を明らかにしたのだったが、「福島」は「核管理の迫り来る危機の予兆」であるのだ。

そして今回の発表を受けて、現代社会はあまりにも容易にエネルギー政策を考え過ぎていたようだと、簡単な安全政策すら疎かにしていたその安全条約の無効性を嘆き、これで東電と保安院の怠慢が明らかになったと切り捨てる。

なるほど核安全の世界の警察の必要はなり行きの結果だが、日本は三月の津波を、そして数時間内にメルトダウンが起きることを想定できたろうと考える。しかし、それが世界に知らされたのははじめて月日が経ってからなのだと当事者を責める。付け焼刃の事故対応を諌め、放射線汚染の状況は大まかに目溢しされていると。どこでどのぐらいの汚染があるかも全てはヴェールに包まれたと事実を述べる。

それどころか、あつかましくも事故は通常手段で解決できると嘯き、諸外国の援助さえ拒んだ日本が、もはや技術先進国としてこうした事態を収束できるとは思われないと非難する。同時に世界のこの業界の可能性にも疑問の種をまいたことになると手厳しい。後に残ったのは、あまりにもの自己過信のその姿だけである。これが、高級紙FAZの見解でありドイツ社会の一般的な観方だろう。

政権内では合衆国の傀儡が菅降ろしを画策して、傀儡政権への道筋が敷かれている。民主主義の確立と技術立国の精神からして、京大の小出助教が時々危険に口走るように、今こそ「政府転覆」が必要なのかもしれない。その合法的な方法は、菅首相自体が解散に打って出て政界再編するとか、ドイツ連邦政府が後押しするように緑の党の国政での定着を試みるとか、限られた方法が存在するだろう。

東電の株主総会が開かれるという。こうした独占企業を存続させるような政治姿勢は如何わしい関係以外の何物でもないので、有権者はそこを監視すれば事たる筈である。そもそもそんな政府などは不要で、災害の緊急援助対策に責任を持ち、事故対応などを厳しく国民が裁く臨時国民政府さえ存在すればよい。その他のことはイタリア共和国などと同じで民間活力で十分に機能するのである。このままでは日本の国民は傀儡政府によって遅かれ早かれ皆殺されてしまうであろう。直ちに行動を起こさなければいけないのである。



参照:
Die nukleare Selbstdemontage, Joachim Müller-Jung, FAZ vom 25.6.2011
ドイツ旅日記・1《成田からミュンヘン、ヴァッサーブルグへ》 (あとりえ・チビッコ)
原発は引き伸ばされた原爆 (壺中山紫庵)
地元茨城でとれた大豆を100%使用した納豆です。 (saarweineのワイン)
核廃棄物の無毒化の錬金術 2011-06-24 | 数学・自然科学
何がために不愉快な存在 2011-06-22 | 歴史・時事
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歯が立たないこともない

2011-06-26 | 生活
2009年の秋以来でアルザスのここを訪れるのは二度目である。フランスとドイツの国境線の岩城の壁を登りに来た。大きくはないのだが、南プファルツのそれに比べて雑食左岸が硬い。ぼろぼろしていないので、手がかりが尖っている。丁度ナイフの背が二ミリぐらい外に突き出しているような感じで角が立っているのである。

ドイツ山岳協会の指導員試験のために来週ドナウ流域でスポーツクライミングのテストがあるというので、ここを推薦して練習してもらった。ドナウは石灰で手がかりが似ていると感じたからだ。六級の三本のうちの二本をレッドポイントで登りきらなければいけないらしい。怪我をしてはいけないので私が出来るところはトップで登って、トップロープで練習してもらった。

一箇所は、フランスの標記で6bだったので歯が立たなかったが、以前トップロープで登ったところは何とか登れたので良かった。国境線とは言ってもここはフランスであるので、ボルトなどの支点が整備されていて、ドイツのそれと比べると難しいところに挑戦しやすい。最短での車の道も検討できたので、また次回の楽しみである。

前日の休日は同じようにトリフェルツ近くで岩場を登ったが、雨が降るまで三本ほどは楽しめた。一箇所ではボルトで足を擦ったのがズボンの裾が切れて足を切っていた。また見た目ではそれほど困難ではなさそうな壁は靴先の摩擦と状態の両方を酷使することになって、私だけでなくパートナーも結構堪えたようだった。

その後、ノイシュタットに帰ってきてから、ヴェークミュラー醸造所のグーツリースリングを一人半リットルほど飲んだ。恐らく蔵出しで5ユーロほどのそれの品質は高く、間違いなく、お隣のクリストマン醸造所に比べると一般的評価は大分高いに違いない。もちろん、角が立って、尚且つ深みがある方向へと上級のそれが向かっているとはなかなか思えないのだが、ギメルデリンゲン周辺の土壌からすればとても綺麗な造りである。その前に飲んだのが、ダインハートのリースリングで昔ながらの土着な味筋で、新しい体制で銘柄を二種類に分けているというが、実際にこのような農協顔負けの庶民的なリースリングを出している限り、高級リースリングは造れないだろう。醸造の技術ではなく、葡萄の手入れや収穫、さらには美的趣味の問題なのである。もしこれを飲んでいたならば悪酔いしていたに違いない。

飲み心地も良かったことを証明してくれて、さらに「もし赤ワインだったら頭がむくむくしていた」と話してくれた。それは事実で、赤ワインは頭にきて、白ワインは腸にくる。それは、赤ワインは循環器系に、白ワインは消化器系にという嘗ての伝統的な医学的な効能に匹敵している。

そんなことを考えながら2009年産のゲオルク・モズバッハー醸造所産シュペートブルグンダーを開けた。鶏の胸肉焼きのワインソースに合わせて、一人で一本を空けてしまった。さすがに早く寝付いて、目が覚めてこれを書いている。頭もすっきり、グラスに僅か残っているそれも酸化していなくてまだ美味い。なるほど若干やわらか過ぎるが、とても高品質で、ボーヌ周辺のピノノワールと比較して、そのアルコール13.5%の酔い心地から驚くほど高品質である。
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