駐日ドイツ連邦共和国大使シュタンツェル博士の福島報告会に参加した。
先ずは要点だけを箇条書きにしておく。
菅首相のただ一度のTV発表。スポークスマン枝野。
マクロマネージメントとミクロマネージメント。
邑社会と政府・天皇。
自助と差し向け。
ロボットと放射能。
ライプチッヒ四重奏団と芸大教授。
千人の核の専門家。
緑の党トリティン。
さて、一晩経って纏めると次のようになるだろうか。
先ず、駐中国大使に続いて駐日大使となったご本人の立場を宣言した。要するに、あくまでも外交官としての役人であることを明白にして、つかみに「何もかも語るが、引用はやめてくれ」と先般からの次期総理大臣候補から失脚した大臣やハイデルベルク大学での博士論文の盗用問題をそこに重ね合わせた。しかしそれは、ここでこの福島報告の視点が所謂官僚組織のそれであり、それは国が違いこそすれ日本の外務省や合衆国の国防省のパートナーと連帯の中で形成された非常に外交的な内容であることを最初から宣言していたのである。それならば特に目新しいものはなかったかといえばそれはそれなりに視覚が若干異なることからの「観察の三角投影方」で浮かび上がってくる内容があったのは間違いない。
菅首相の唯一の期待外れの緊急TV会見の発信力のなさは諸外国ではありえない事で、枝野のそれが補うことはなかったのは日本の視聴者に周知の通りである。これをそれでも態々繰り返したのは次の分析へと話を進めるためである。
つまり日本の政治家が固い官僚組織の上に乗っかってやってきたその政治システムを指して、政治家はマクロなマネージメントをするだけで将来を開いたりする必要はないということである。それに対して避難民などが、体育館でのダンボール塀や世知話やラジオ体操や無料で三食食べれる生活のその自治はミクロマネージメントであるとする。つまり、日本は世界第二の豊かな国であり、村単位での互助も素晴らしく、政治家や国はただ存在すればよいだけであると。また海外からの物質などの援助なども要らないのだが、それでは必要なものは何かと問う。
それは、菅が一度顔を見せる間三度もTVで国民に直接語りかけた天皇陛下なのだと、ある日本人が語ったというが、要するにそれは菅首相のお見舞いなどではなく、天皇陛下が避難民に示した差し向けこそが必要とされたということでなる。これに関しては報道の映像として世界中が皆納得したところである。
こうした分析に関しては、招待席を陣取ったザイフェルト教授をはじめとする日本学の専門家や国会議員などの見解も知りたいが、それはドイツ連邦共和国政府の分析の一つであり、なによりも昨今はナチの協力者として俎上に上ることの多いドイツの官僚組織にとってもっとも快い分析でもあるのだろう。(続く)
参照:
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事
女の浅知恵と間抜けな間男 2011-06-09 | 女
外交官なんて不要か? 2010-12-21 | 文化一般
資料で読む官僚組織活動の歴史 2010-11-10 | 歴史・時事
同じ側の人と錯覚する民 2009-06-14 | マスメディア批評
美しい国は何処に? 2006-10-01 | 雑感
魔法の方陣を巡って 2005-12-25 | 数学・自然科学
ゴットフリード・W・ライプニッツ 2004-11-18 | 数学・自然科学
先ずは要点だけを箇条書きにしておく。
菅首相のただ一度のTV発表。スポークスマン枝野。
マクロマネージメントとミクロマネージメント。
邑社会と政府・天皇。
自助と差し向け。
ロボットと放射能。
ライプチッヒ四重奏団と芸大教授。
千人の核の専門家。
緑の党トリティン。
さて、一晩経って纏めると次のようになるだろうか。
先ず、駐中国大使に続いて駐日大使となったご本人の立場を宣言した。要するに、あくまでも外交官としての役人であることを明白にして、つかみに「何もかも語るが、引用はやめてくれ」と先般からの次期総理大臣候補から失脚した大臣やハイデルベルク大学での博士論文の盗用問題をそこに重ね合わせた。しかしそれは、ここでこの福島報告の視点が所謂官僚組織のそれであり、それは国が違いこそすれ日本の外務省や合衆国の国防省のパートナーと連帯の中で形成された非常に外交的な内容であることを最初から宣言していたのである。それならば特に目新しいものはなかったかといえばそれはそれなりに視覚が若干異なることからの「観察の三角投影方」で浮かび上がってくる内容があったのは間違いない。
菅首相の唯一の期待外れの緊急TV会見の発信力のなさは諸外国ではありえない事で、枝野のそれが補うことはなかったのは日本の視聴者に周知の通りである。これをそれでも態々繰り返したのは次の分析へと話を進めるためである。
つまり日本の政治家が固い官僚組織の上に乗っかってやってきたその政治システムを指して、政治家はマクロなマネージメントをするだけで将来を開いたりする必要はないということである。それに対して避難民などが、体育館でのダンボール塀や世知話やラジオ体操や無料で三食食べれる生活のその自治はミクロマネージメントであるとする。つまり、日本は世界第二の豊かな国であり、村単位での互助も素晴らしく、政治家や国はただ存在すればよいだけであると。また海外からの物質などの援助なども要らないのだが、それでは必要なものは何かと問う。
それは、菅が一度顔を見せる間三度もTVで国民に直接語りかけた天皇陛下なのだと、ある日本人が語ったというが、要するにそれは菅首相のお見舞いなどではなく、天皇陛下が避難民に示した差し向けこそが必要とされたということでなる。これに関しては報道の映像として世界中が皆納得したところである。
こうした分析に関しては、招待席を陣取ったザイフェルト教授をはじめとする日本学の専門家や国会議員などの見解も知りたいが、それはドイツ連邦共和国政府の分析の一つであり、なによりも昨今はナチの協力者として俎上に上ることの多いドイツの官僚組織にとってもっとも快い分析でもあるのだろう。(続く)
参照:
「ドイツ問題」の追憶の日々 2009-04-13 | 歴史・時事
女の浅知恵と間抜けな間男 2011-06-09 | 女
外交官なんて不要か? 2010-12-21 | 文化一般
資料で読む官僚組織活動の歴史 2010-11-10 | 歴史・時事
同じ側の人と錯覚する民 2009-06-14 | マスメディア批評
美しい国は何処に? 2006-10-01 | 雑感
魔法の方陣を巡って 2005-12-25 | 数学・自然科学
ゴットフリード・W・ライプニッツ 2004-11-18 | 数学・自然科学