Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

もう一足は裸足にするか

2012-06-05 | アウトドーア・環境
先の金曜日、石切り場で一部気になっていたところを登った。最後の出口の所がどうも難しいのだ。そのルートの名称ティームアルバイトが示すようにザイルの助けで被り気味の所を突っ張って立ち込めないといけないのである。恐らくザイルの助け無しには立てないであろう。

そこに立ち込めてからが本当の課題なのであるが、それは一手で上のエッジに手が掛かるので、手が掛かれば最後まで放さなければ棚の上に立ち上がれるのである。つまり戦略的にほかの方法が無ければそれしかないのである。

しかし最初の課題箇所は寧ろ他の可能性もあるように見えるので逆に時間が掛かった。結局他の方法はなかったのであるが、こうした戦略を選びかねる場所が可也この程度の困難度の場合には多い。

よく言われるように三級のルートの方が何処でも登れそうなのでルートファインディングが難しいように、六級の箇所の方が七級の箇所よりも可能性があるのでその選択が難しく、より安全で確実な方法を決断するのに骨が折れるのである。

その隣の七級マイナスのルートをトップロープで登った。久しぶりの挑戦であったのでとても難しく感じたが、戦略が分ると次は登れるかもしれない。三回目に登れれば十分である。

問題は矢張り足場の作り方であって、点ではなくて上手に面で加重できる靴の方がよい場所がここでも見つかった。靴の種類や性格によって使える技術が変わってくるので、クライミングシューズは間違いなく補助道具である。ザクセンのクライマーのように裸足で登らなければいけないというのは本当は理があるのだ。

そもそも道具に拘るのはスポーツ精神に反すると言う考え方は当然であるのだが、道具を使わなければいけないならばそれを使いこなさなければ意味が無い。それを教えて貰ったのはスキーとスキー靴への拘りからであったのだ。スキー靴に関しては世界の先端のその一端を見るようになって尚更良く分るようになった。クライミング道具への拘りはそれとなんら代わらない。シューズなどでもまともなブランドの商品は、そのコンセプトがはっきりしていて第一線の運動家のノウハウが詰まっている。それを使いこなせるかどうかが求められているだけなのである。


写真:既に話題とした今年最初の克服した大きな課題であった大きなクラック。左右のずれこそがここに走る断層のずれそのものなのである。ライン平野の沈みである。



参照:
只管上へ上へと攀じる日々 2011-09-25 | アウトドーア・環境
災い転じてプレートを発見する 2010-04-07 | アウトドーア・環境
割れ目を攀じ登る楽しみ 2012-05-07 | アウトドーア・環境
危険と背中合わせのスピリット 2011-08-22 | アウトドーア・環境
コメント
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