先ごろケムブリッジで73歳で亡くなった音楽家ホグウッドの追悼記事を読む。写真つきの小さなものであるが、「古楽のカラヤン」は悪くはないのではなかろうかということだ。この人の名前は指揮者としてはモーツァルトの交響曲全集以降私の前からは長く消えていたのだが、バーゼルで仕事をしており、パウルザッハー関連曲の録音で再会した。この間40年近い流れがあった。一度そこでの活動振りを体験しに訪れるつもりでいたが、こちらも出不精でご無沙汰しているうちに、本人にも身近に接する機会を失った。
そうした録音を今回改めて流してみても、またハイドンの交響曲集を流してみても、この音楽家の活躍は私にとってはデーヴィッド・マンローの伴奏もしくは鍵盤楽器奏者としてのそれに尽きる。今回、リコーダー曲集やニーダーランドの前衛などルネッサンス期からバロックの名録音をLPで流してみて、その主役の見事さとともに演奏するこの鍵盤奏者の音楽をとても楽しんだ。それと比較すると後年のそれが物足りなさ過ぎるのはやはり共演する演奏家の音楽性ということになるのだろうか?
そもそもアマチュアーとして鍵盤を弄って来て古い鍵盤楽器を集めるうちにケムブリッジの自宅で博物館展示することから、そこでの音楽会などから本格的にこの道に入ってきたとある。また生涯250を超える録音をなしていると書いてあるが、レコード会社の身売りなどでハイドンもそしてロバート・レヴィンとの協奏曲集も完成しなかったとある。
前者に関しては「三和音を弄繰り回して全ての交響曲を完成させてしまう、無駄を一切出さない料理人」とフォノフォールムに語っているようで、なるほどこの人の演奏実践ではそうしたエコの感じがとても強い。ハイドンの交響曲の面白さの表現としてそれで十分な面もあるかもしれないが、面白さを示すために透明性をモットーとしているようである。
嘗て、モーツァルトの全集が出てきたときはそのディスクの価格などとともに可也話題になったと同時に、そのサウンドに度肝を抜かれた音楽愛好家は少なくなかった筈である。しかしこうして振り返ってみれば、そこにそれ以上のものを求めたのは間違いで、それで十分だったということなのであろう。
その点からも、安売りでよい録音が入手できれば協奏曲の方も聴いてみたいと思うのだ。ここでも独奏者がそれなりに素晴らしい演奏を繰り広げているならば、嘗ての交響曲集よりもマンローとの共演のように期待できるかもしれない。しかし所詮古典派の名曲でありそれほどの成果は期待できないのである。もし特別な価値があるものならば、いかなる場合であり丁寧な録音作業は最後まで継続されたに違いないからである
そのような意味からもデーヴィド・マンローの指導の下でのこの音楽家の録音は歴史的な価値を今後とも持ち続けるに違いない。しかしあの衝撃的なサウンドのモーツァルト全集の評価は流行性のものになるかもしれない。
過去を振り返ればマンローの何周忌かのケムブリッジでのコンサートではこの人は見かけなかった。既に交響曲全集で世界的に有名指揮者になっていたから自宅にも居なかったのだろうか。
参照:
Der Veränderer unserer Ohren, Eleonore Bünning, FAZ vom 26.9.2014
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活
そうした録音を今回改めて流してみても、またハイドンの交響曲集を流してみても、この音楽家の活躍は私にとってはデーヴィッド・マンローの伴奏もしくは鍵盤楽器奏者としてのそれに尽きる。今回、リコーダー曲集やニーダーランドの前衛などルネッサンス期からバロックの名録音をLPで流してみて、その主役の見事さとともに演奏するこの鍵盤奏者の音楽をとても楽しんだ。それと比較すると後年のそれが物足りなさ過ぎるのはやはり共演する演奏家の音楽性ということになるのだろうか?
そもそもアマチュアーとして鍵盤を弄って来て古い鍵盤楽器を集めるうちにケムブリッジの自宅で博物館展示することから、そこでの音楽会などから本格的にこの道に入ってきたとある。また生涯250を超える録音をなしていると書いてあるが、レコード会社の身売りなどでハイドンもそしてロバート・レヴィンとの協奏曲集も完成しなかったとある。
前者に関しては「三和音を弄繰り回して全ての交響曲を完成させてしまう、無駄を一切出さない料理人」とフォノフォールムに語っているようで、なるほどこの人の演奏実践ではそうしたエコの感じがとても強い。ハイドンの交響曲の面白さの表現としてそれで十分な面もあるかもしれないが、面白さを示すために透明性をモットーとしているようである。
嘗て、モーツァルトの全集が出てきたときはそのディスクの価格などとともに可也話題になったと同時に、そのサウンドに度肝を抜かれた音楽愛好家は少なくなかった筈である。しかしこうして振り返ってみれば、そこにそれ以上のものを求めたのは間違いで、それで十分だったということなのであろう。
その点からも、安売りでよい録音が入手できれば協奏曲の方も聴いてみたいと思うのだ。ここでも独奏者がそれなりに素晴らしい演奏を繰り広げているならば、嘗ての交響曲集よりもマンローとの共演のように期待できるかもしれない。しかし所詮古典派の名曲でありそれほどの成果は期待できないのである。もし特別な価値があるものならば、いかなる場合であり丁寧な録音作業は最後まで継続されたに違いないからである
そのような意味からもデーヴィド・マンローの指導の下でのこの音楽家の録音は歴史的な価値を今後とも持ち続けるに違いない。しかしあの衝撃的なサウンドのモーツァルト全集の評価は流行性のものになるかもしれない。
過去を振り返ればマンローの何周忌かのケムブリッジでのコンサートではこの人は見かけなかった。既に交響曲全集で世界的に有名指揮者になっていたから自宅にも居なかったのだろうか。
参照:
Der Veränderer unserer Ohren, Eleonore Bünning, FAZ vom 26.9.2014
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活