Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

向上心は悪くは無いのだが

2014-10-27 | 文学・思想
昨日のラジオ討論会は職業訓練と学歴の話であった。一人は、高等教育バチュラーの取得とマイスター修行とどちらに価値があるかの問いに、明らかに後者であり、仕事が得られるか分からず家族を養えるだけの技量を全く約束しない中途半端な高等教育には意味が無いという回答であった。彼が言うように極東での考え方は違うかもしれないというのは、科挙制度の影響に尽きるのではないだろうか。そこでは社会構成の流動化が図られていたのだが、その弊害の方が近代においては大きくなってきているのではなかろうか。特に明治維新後の大日本帝国体制では、現在の安部政権などの連中が理想といているような、為政者その他の大衆という固定化の基礎ともなってしまっているのだ。要するに、官僚を含めた創造力どころか全く能力も無い連中こそが為政者として社会をリードするというとんでもないことの制度上の裏打ちとなっている。

番組ではそうした特殊事情が議論されていたのではないのだが、合衆国にあるような高等教育の大衆化とその経済的な意味合いが、特に金融工学のマスターなどのようにして発展して、実体の無い経済活動の裏づけとなっていることへのアンチテーゼであることは確かなのである。こうした悪循環から抜け出すためにはミニマムインカムなどの方法で、徹底的に市場の自由化と効率化で以って本来の経済や社会の実体を取り戻す必要があるということだろう。一番重要なのは自由な時間のマネージメントであるのは間違いない。それは、如何に創造性があるかが問われることであり、金銭にだけ限定されない経済性を意味するのである。

夏時間が終わって、いつもよりも一時間早く日曜の町は騒がしかった。私は時計が巻き戻される時刻まで目が覚めていたので、明るくなる頃にようやく目が覚めるのが気持ちよかった。昨年までは感じなかったのだが、今年は朝が暗く目覚めが悪い日が続いた。早く夏時間が終わってくれないかと願っていた。少々寝坊して朝を始めると、午前中に出来る仕事量が極端に減少した。だからといっても午後に多くを期待することが出来ない。今までは夕方に出かけていたボールダーも昼過ぎから準備しなければいけないが、午前中に何もかも片付けることが可能ならば快適だ。

先ごろに続いて、間をおいて八キロコースを走破した。最初から駆け通そうと思っていたので、ゆっくりと流しながらはじめたが山登りが始まる沢の奥まで12分2400歩は決して悪くない。これならば楽に峠まで走れるかと思ったが厳しかった。特に二段目の最後の登りは前回以上に辛かった。三段目の前回は倒木の迂回になっていた場所の木は切られていて、結局最高到達点まで走り通した。34分5100歩である。前回よりも僅かに遅くなっているだけだ。しかし車まで降りてきて、58分8800歩が全てを語っている。週明けの疲れ方が心配である。汗を掻いて体重を量ると71.4KGだった。



参照:
模範的な西欧化とは 2014-09-22 | 歴史・時事
親権者が行使する選挙権 2012-04-12 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
東アジアの中で日本のノーベル賞受賞者数はなぜ多いのか (電網郊外散歩道)
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