Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

名人芸における本質的なもの

2014-10-28 | 文化一般
夏時間終了の晩、床に入ってからYOUTUBEを観た。主に米国の往年のTVシリーズである。飽きずに見入ってしまったのはリチャード・キムブル博士の「逃亡者」である。日本語で一通り観ているに関わらず再度見せてしまう威力は恐ろしい。先ずは初期の第一シリーズを観たが、なんとなくその筋運びや設定が時代を感じさせて、他のエピソードに移った。二つ目のを完全に観てから、三つ目は思い切ってカラーになったシリーズを観ると、映像も美しいが音声が安定しているので米国語が聞き易くなっている。

今回改めて感じたのはこの長期シリーズの味噌はやはり旅ものだというのに尽きると思う。追い手を避けての逃亡の冷や冷や感はハリソン・フォードの劇場映画でもあったように思うが、知らぬ旅先の土地での出会いや別れの生活がエピソードごとに新鮮な物語となっていて、女性が出てくると「男は辛いよ」とも変わらない。もしかすると山田洋次監督のシリーズもこの辺りも意識したのだろうか。米国には特別な景観はあるだろうが、あまり地域性があるようには思わないにしても、辺鄙な場所での生活などが描かれることが多くて、それだけで一種の旅情があるのだろう。

先日の2010年のグローセスゲヴェックスに続いて、難しい過熟成の2011年物を開けた。今度は決して太くはならないレープホルツ醸造所のフォム・ブントザントシュタインである。ガンツホルンの先落としの葡萄である。2011年物が我がワイン蔵にだぶついて来ている中で今開けてもそれほど失敗の無い物と考えた。香りなどは若干分厚い感じがしたが、流石にミュラーカトワールとは異なりそれほど膨らまない、流石である。

お蔵とか書いたが、今回入手したCDはとても素晴らしい録音が並んでいる。今までも選りすぐって特売品を購入していたのだが、今回は時間を掛けた為か、本当に価値のあるCDばかりだ。CDでこれほど耳を傾けさせられたことは数少ない。お蔵にした筈のモーツァルトのライヴ録音がなるほどと思わせた。名人ツァイトマイールは意識してライヴ録音で即興性を試しているかのようである。詳しくは何度も聞いてみなければ分からないが、ライヴの傷以上にそのコンセプトの面白さに興味が向かった。記譜化されていない音楽、その名人技の音楽性、本当のモーツァルト表現に違いない。

そしてパリ音楽院で録音されたバッハのフランス組曲の交差する不協和の素晴らしさ。これほど故ホグウッドが素晴らしい演奏をするとは思わなかった。ピアノの演奏では分からないスピード感であり、レオンハルトの鍵盤では分からぬ精妙さである。ビルスマのチェロの録音もNHKのそれとは違ってしっかりとしたバスが聞かれて決して、クイケンが大きなヴィオラダガムバで演奏したものとは全く異なる。当時は際物のように思っていたあの弓使いがとても自然で名人芸ながら音楽的だ。

そして「指輪」の名曲集を聞いて吃驚してしまった。管弦楽団の方は当時のカラヤンサウンドそのものなので鈍いのだが、テンシュテット指揮の豊かな表情は家主の演奏には全く無かったもので、嘗てのフルトヴェングラーの大人の音楽では聞けなかったとても若々しく活き活きとしたまさしく作曲家が狙っていた大衆性とか恥ずかしいほどの思春期の音楽も聴かれるのだ。これは、ヴァーグナーにおけるミトスであり、今夏のカストルフの演出とそれ以上に表情の豊かでセンシビリティーのあるペトレンコ指揮のそれによって本質が提示されたものなのだ。この東独の指揮者がマーラーなどを立派に演奏したのはこうした感覚の新しさとよさにほかならないのだろう。



参照:
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
ライフスタイルにそぐわない 2014-10-25 | ワイン
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