日本のネットで先日流れたマッターホルンの死体発見の話をFAZで読んだ。発見から身元確認まで一年掛かったようだ。1925年以降に失踪者は30人を数えているので、虱潰しに調査したのだろうか?遺体の状況は、三千年前のオェツィーと比較されるほどミイラ化しているだけでなく、写真に写っている以外の遺留品も殆ど無かったようだ。衣服がなくなり、リュックサックも無くなっていても、二人が一緒にいたのはザイルで結ばれていたからだろう。
ヘルンリ小屋から朝一番で北壁を目指したようだが、高度2800Mでの発見となると、小屋からトラヴァースしていく高度を3200Mとすると、北壁の下のシュルントから400Mほど下方になる。あまり人が立ち入らないところかもしれない。嵐に巻き込まれて、滑落したのだろう。
その靴は、靴べろが袋状になっているので、ガリビエール・スーパーガイドだろうか?1970年8月には市場に出ていた筈だ。クライマー世代としては一つ上の人たちであるが、大体の状況は想像できる。既に三大北壁などは日本からもティーンエイジャーも含めて登られていたが、それでも二十歳過ぎの人たちが北壁を目指すのは、谷川岳などを登る延長で更なる大きな壁を目指していたからだろう。要するに武者修行の経歴にもなっていた時代であり、現在のようなスポーツ観光の一つではなかったのだ。
永くこの世界を知っていると、誰それさんはどこかで同じように、氷の下に埋もれているかなどと、どうしてもそのときから時が止まってしまった知人の顔などを思い出す人が殆どだろう。見つかったのは去年の夏だったが、新聞にあるように来年にはまた幾つかのミイラの身元が判明するに違いないと、暑い日々の暗い室内で物思いに耽る。
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ作曲、1961年初演のオペラ「若い恋人たちへのエレジー」における40年前に氷河で行方不明になった恋人との再会のエピソードでもあるように、とても興味深い感情を引き起こす。特に今回もDNA鑑定となったようだが、死体があれば再生できるような時世になると、時の流れと生命のことまでを考えてしまうからだろうか。
もう一息そこから考えを巡らすと、同じ生物学的な存在が、全く異なる環境で違う経験を繰り広げると考えると、とても面白いのだが、多くの人はその自らの己の感覚から ― 恐らくそれがエゴと呼ばれるものかもしれないが ―、同じような行動を繰り返すと確信するのではないだろうか?まさに個性とよばるものはそこにあって、環境などで判断や知識や意識などは全く異なるのだが、外界と自己の間の関係はそのようなところではあまり差異が生じないということになるだろう。
本日も朝から気温が高く、摂氏31度を既に超えている。昨晩は、ベットも暑くはなっていなかった。開け放たれた状態で風が吹いてくると、倒れるように寝込んだ。夜中に手洗いに二回ほど立ち上がらなければいけなかったのは水分摂取量からするとと仕方がない。今夕、バイロイトからの生中継を録音しなければいけない。南ドイツ新聞は、今年一面を使ってとても人間的な「ヴァルキューレ」と評していたようだが、ラディオだから演出は分からないものの撮影なども含めて可也質の高い音楽が聴けるのではないだろうか。楽譜を片手に暑さを凌ぎながら、地元産のスイカを試してみよう。
参照:
仰ぐよりも見下ろす視点 2006-03-14 | アウトドーア・環境
直ぐに氷柱を登りたい気分 2012-11-28 | テクニック
ポストモダンと自嘲した男 2012-10-30 | 文化一般
ヘルンリ小屋から朝一番で北壁を目指したようだが、高度2800Mでの発見となると、小屋からトラヴァースしていく高度を3200Mとすると、北壁の下のシュルントから400Mほど下方になる。あまり人が立ち入らないところかもしれない。嵐に巻き込まれて、滑落したのだろう。
その靴は、靴べろが袋状になっているので、ガリビエール・スーパーガイドだろうか?1970年8月には市場に出ていた筈だ。クライマー世代としては一つ上の人たちであるが、大体の状況は想像できる。既に三大北壁などは日本からもティーンエイジャーも含めて登られていたが、それでも二十歳過ぎの人たちが北壁を目指すのは、谷川岳などを登る延長で更なる大きな壁を目指していたからだろう。要するに武者修行の経歴にもなっていた時代であり、現在のようなスポーツ観光の一つではなかったのだ。
永くこの世界を知っていると、誰それさんはどこかで同じように、氷の下に埋もれているかなどと、どうしてもそのときから時が止まってしまった知人の顔などを思い出す人が殆どだろう。見つかったのは去年の夏だったが、新聞にあるように来年にはまた幾つかのミイラの身元が判明するに違いないと、暑い日々の暗い室内で物思いに耽る。
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ作曲、1961年初演のオペラ「若い恋人たちへのエレジー」における40年前に氷河で行方不明になった恋人との再会のエピソードでもあるように、とても興味深い感情を引き起こす。特に今回もDNA鑑定となったようだが、死体があれば再生できるような時世になると、時の流れと生命のことまでを考えてしまうからだろうか。
もう一息そこから考えを巡らすと、同じ生物学的な存在が、全く異なる環境で違う経験を繰り広げると考えると、とても面白いのだが、多くの人はその自らの己の感覚から ― 恐らくそれがエゴと呼ばれるものかもしれないが ―、同じような行動を繰り返すと確信するのではないだろうか?まさに個性とよばるものはそこにあって、環境などで判断や知識や意識などは全く異なるのだが、外界と自己の間の関係はそのようなところではあまり差異が生じないということになるだろう。
本日も朝から気温が高く、摂氏31度を既に超えている。昨晩は、ベットも暑くはなっていなかった。開け放たれた状態で風が吹いてくると、倒れるように寝込んだ。夜中に手洗いに二回ほど立ち上がらなければいけなかったのは水分摂取量からするとと仕方がない。今夕、バイロイトからの生中継を録音しなければいけない。南ドイツ新聞は、今年一面を使ってとても人間的な「ヴァルキューレ」と評していたようだが、ラディオだから演出は分からないものの撮影なども含めて可也質の高い音楽が聴けるのではないだろうか。楽譜を片手に暑さを凌ぎながら、地元産のスイカを試してみよう。
参照:
仰ぐよりも見下ろす視点 2006-03-14 | アウトドーア・環境
直ぐに氷柱を登りたい気分 2012-11-28 | テクニック
ポストモダンと自嘲した男 2012-10-30 | 文化一般