初走りは、雨降りの合間の峠登りだった。日曜日は雨の予定であり、来週からはパン屋が休みに入るので、山登りは来週の話になった。走り始めは轍に水が流れている状態だったが、登り切るまでは降らなかった。降りてきたころには本格的に降り出した。
帰って来ても、隣にはいつもの白髪の婆さんの車が停まっている。この天気が悪い中を一時間ほどは歩くのだろう。車中のラディオはANAがA380を発注したことがニュースになっていた。危ぶまれていた。なかなか思うように販売実績が伸びていないのでやきもきしているのである。そしてミュンヘンでは自爆未遂予想のあった二駅を中心に武装警官や私服警官が再び警備を強化したらしい。
自爆未遂事件の続報が流れている。それによると、12月23日にバーデン・ヴュルテムベルクで警察に通報したイラク人によって第一報がもたらされたとある。そのイラク人によると、イラク在住の兄弟が1月6日の「東方から来た博士」の日に、近郊の駅で自爆する計画があると七人の名前を挙げたことが、連邦内務省によって電話で聴取されている。
そしてミュンヘン中央駅近くのアパートメントホテルの二室がアジトととして調べられたが、大みそかには使われていなかったとある。そして現在も一部は身元の割れた容疑者らは発見されていない。そしてその容疑者の一部はフランスからの情報とは食い違いがあったとされる。
自宅に帰り、体重を量ると71KGを超えていた。運動をしないと直ぐに72KGへと増えてしまう。パン屋が休みの間はどこを走ろうか?平日に時間を作って、一度二度は山登りをしたいのだが、天候次第である。どうもここ暫くはお湿りとなりそうで、雪がちらつくこともありそうだ。
スピーカーの調整はほぼ終わった。その時の試聴に使っている録音にアムステルダムのコンセルトヘボーを鳴らしたデッカ録音がある。そのコンセルトヘボウ管弦楽団を再びトップランキングに引き上げたとして指揮者マリス・ヤンソンスが人欄で紹介されている。ノイヤースコンツェルト三回目の登場に合わせた記事であった。
生放送を見て感じたのは、熱血漢と書かれるような面が、心臓発作の経験故か大分後退して、テムポも指揮も落ち着いて好印象を得た。やはり人は死を経験すると変わるようだ。記事に面白いのは、高名な指揮者の父親の跡を受けての英才教育しか思いつかなかったが、とても努力してソヴィエトの超エリート教育を履行したらしい。そして今でもその教育課程に感謝しているリトアニア人である。
なるほど考えてみれば、ソヴィエトであるから両親がたとえどんなに活躍していても、それを乗り越える立場になって西側に出るには並々ならぬ努力をしていることを再確認したのだった。なるほどそうなれば「雀百まで踊り忘れず」ではないが、職業人生というかその生き方は一生涯変わらないのは理解できる。
レニングラードの交響楽団に代表されるような我武者羅なオリムピック選手等に代表される冷戦時代を、それよりは若い世代のこの指揮者に感じていたのだが、その演奏がむしろそうした人を感じさせるようになったのが、まさしく変化であり、我々はそれを興味深く思うのだ。
スパイクの方は改めて纏めるとして ― 予想以上にとても興味深いのだ ―、先ず、箪笥の上のスピーカーには、四つづつのゴム足を三脚にして、一脚を二つ通しを接着して球状にして高くして使えるようにした。上に置いてあるので下向くように高さを調整しなければいけないからだ。やはり幾ら書物で箱を押さえていたりしても振動の伝わり方は変わらない。ゴム足で箪笥への振動伝達を出来るだけ止めることで、クリアーな音響にするのが目的である。以前からすると大分音量を上げても違和感が無くなった。自然な低音になってきたということで、音質も大分改善された。今回使用したのはOehlbachというオーディオアクセサリーブランドの一個1,30ユーロの半球型のゴム八個だった。原料費等を考えるととても良い商売だと感じた。もう一つのスパイクはサブウファーに、ゴムは箪笥の上にと上手な買い物が同時に出来たようだ。
参照:
朝だか夜だか判らない 2006-01-02 | 音
あれこれ存立危機事態 2015-07-14 | 歴史・時事
今年最後の試しごと 2016-01-01 | 暦
帰って来ても、隣にはいつもの白髪の婆さんの車が停まっている。この天気が悪い中を一時間ほどは歩くのだろう。車中のラディオはANAがA380を発注したことがニュースになっていた。危ぶまれていた。なかなか思うように販売実績が伸びていないのでやきもきしているのである。そしてミュンヘンでは自爆未遂予想のあった二駅を中心に武装警官や私服警官が再び警備を強化したらしい。
自爆未遂事件の続報が流れている。それによると、12月23日にバーデン・ヴュルテムベルクで警察に通報したイラク人によって第一報がもたらされたとある。そのイラク人によると、イラク在住の兄弟が1月6日の「東方から来た博士」の日に、近郊の駅で自爆する計画があると七人の名前を挙げたことが、連邦内務省によって電話で聴取されている。
そしてミュンヘン中央駅近くのアパートメントホテルの二室がアジトととして調べられたが、大みそかには使われていなかったとある。そして現在も一部は身元の割れた容疑者らは発見されていない。そしてその容疑者の一部はフランスからの情報とは食い違いがあったとされる。
自宅に帰り、体重を量ると71KGを超えていた。運動をしないと直ぐに72KGへと増えてしまう。パン屋が休みの間はどこを走ろうか?平日に時間を作って、一度二度は山登りをしたいのだが、天候次第である。どうもここ暫くはお湿りとなりそうで、雪がちらつくこともありそうだ。
スピーカーの調整はほぼ終わった。その時の試聴に使っている録音にアムステルダムのコンセルトヘボーを鳴らしたデッカ録音がある。そのコンセルトヘボウ管弦楽団を再びトップランキングに引き上げたとして指揮者マリス・ヤンソンスが人欄で紹介されている。ノイヤースコンツェルト三回目の登場に合わせた記事であった。
生放送を見て感じたのは、熱血漢と書かれるような面が、心臓発作の経験故か大分後退して、テムポも指揮も落ち着いて好印象を得た。やはり人は死を経験すると変わるようだ。記事に面白いのは、高名な指揮者の父親の跡を受けての英才教育しか思いつかなかったが、とても努力してソヴィエトの超エリート教育を履行したらしい。そして今でもその教育課程に感謝しているリトアニア人である。
なるほど考えてみれば、ソヴィエトであるから両親がたとえどんなに活躍していても、それを乗り越える立場になって西側に出るには並々ならぬ努力をしていることを再確認したのだった。なるほどそうなれば「雀百まで踊り忘れず」ではないが、職業人生というかその生き方は一生涯変わらないのは理解できる。
レニングラードの交響楽団に代表されるような我武者羅なオリムピック選手等に代表される冷戦時代を、それよりは若い世代のこの指揮者に感じていたのだが、その演奏がむしろそうした人を感じさせるようになったのが、まさしく変化であり、我々はそれを興味深く思うのだ。
スパイクの方は改めて纏めるとして ― 予想以上にとても興味深いのだ ―、先ず、箪笥の上のスピーカーには、四つづつのゴム足を三脚にして、一脚を二つ通しを接着して球状にして高くして使えるようにした。上に置いてあるので下向くように高さを調整しなければいけないからだ。やはり幾ら書物で箱を押さえていたりしても振動の伝わり方は変わらない。ゴム足で箪笥への振動伝達を出来るだけ止めることで、クリアーな音響にするのが目的である。以前からすると大分音量を上げても違和感が無くなった。自然な低音になってきたということで、音質も大分改善された。今回使用したのはOehlbachというオーディオアクセサリーブランドの一個1,30ユーロの半球型のゴム八個だった。原料費等を考えるととても良い商売だと感じた。もう一つのスパイクはサブウファーに、ゴムは箪笥の上にと上手な買い物が同時に出来たようだ。
参照:
朝だか夜だか判らない 2006-01-02 | 音
あれこれ存立危機事態 2015-07-14 | 歴史・時事
今年最後の試しごと 2016-01-01 | 暦