五年前に最初のコンサートを聞いた時は天才少年だった。どうも今は業界に身を置いたようだ。天才の常で、数学も物理も子供の時に修めてしまっている。作曲も学び、ピアノもものにしている。詳しくは知らないが、今はピアノで十分稼いでいる。天才少年は、大人になってプロフェッショナルとして、ピアノを披露した。前回は大ホールだったが、今回は小ホールである。じっくりとそのピアノを聞けた。
本人もアンコールでドイツ語で語ったように、「リゲティとバッハを組み合わせる珍しいアイデアですが」とバッハの自己の編曲とリゲティ―のピアノ曲という意欲的なプログラムである。隣の婆さんが「なんでドイツ語喋るの、ロンドンかどこかで育ったんでしょ」と囁くように、何でも出来るから天才なのだ。
同じプログラムの録音もしているようだが、嘗てのミッシェル・ベロフや大ピアニストが披露するようなピアノではないが、独自のピアニズムは録音にも捉えられているだろうか?五年前に「この若者が今後も主に商業的な興行で活きていくとは考えられない」書いたが、彼が大人になるこの間にそれと同時に時代は流れたのだ。
リゲティ―のムジカリチェルカータで始められたプログラムは、戦後のグラウンドゼロからの創作から当夜のプログラムにもあるようにカーテシアン系で組み立てられていく。それは必ずしも、アウシュヴィッツで全てを失った作曲家の世界観だけでもなく、そのまさしく絶えずエモーショナルな芸術世界が平行した象限として展開していくのである。
そのリゲティ―の世界はどのように展開していくのか。勿論、そこに座るのはりんりんランランではないので、鍵盤をただ猫が歩くように叩くのではない。ピアノという楽器が、ペダルとそのハムマーによって響かせる打鍵された弦が奏でる音響世界が展開されるのである。私たちは、そこでどうしてもピアノの師でもあったアルフレッド・ブレンデルのピアニズムを思い出してしまうのだが、この若いピアニストにおいてはそのピアニズムから演繹的に、リゲティ―の作曲に音響の理論的な展開が収束する。
ハムマーに打鍵された弦が振動して、それが枠に広がり、その振動が倍音を作り出し、打鍵の指がペダルがフィードバックするその系が漸く閉じるその間に、リズムがあり、テムポがあり、音楽があるのだ。まさしく、リゲティ―の音響世界であり、本人がこれを聞いていたらとても興奮したに違いない。
例えばアレグロ・モルト・カピリティオーソVIでは、「バガテル」で木管楽器の合奏で馴染みのある耳につく、もしくはオペラ「ル・グラン・マカーブレ」のグロテスクな音楽が、初めてまともに響くのである。ミニマルな反復には、カオスが隠されているフラクタルな技法は、とても憎い方法でバッハの世界へと繋がっていく。
またそこには、平均律イ短調の前奏曲とフーガが挟まれることで、平均律ではない世界へと明確な視線が開かれて、トリオソナタの通常ならば三声の純正調オルガンで展開する音響世界が、平均率の世界へと投射されるのである。キット・アームストロングがベッヒシュタインのD282に投影する世界は、ブレンデルのそれとは異なる。会ではシーズン当初に、アンドレアス・シフとアンドレアス・シュタイアーのゴールトベルク変奏曲が演奏された。残念ながら両方とも出かけなかったが、前者のバッハは周知のものであり、後者のそれもこれほどに純正調のそれを投影させたとは思われない。まさしく、そこで開かれるのがトリオソナタBWV527のアダージョと三重協奏曲の基となるオルガン曲からの五声への編曲イ短調の前奏曲とフーガBWV894である。
このように前半のクライマックスを築いておいて、休憩後に再びリゲティ―の世界に戻る。もはやそこには前半の世界から何歩も先へと進んでいて、バッハのコラール前奏曲の編曲へと違和感なく繋がるのである。バルトークの思い出やフレスコバルディ讃とバッハの編曲の創造的な近親性を明らかにする。それは前半で強調事象の丁度補角にあったものだろう。嘗ての演奏家ならば、またそれを支持した聴衆ならば、ロベルト・シューマンにあやかってロマンティックとか、精神性とか言われたものしかなかったのかもしれないが、流石に21世紀である、そのような19世紀の遺物はここにはない。
当日、大ホールでは地元の放送交響楽団の演奏会があり、監督であり東京で活躍する指揮者が病欠のためにプログラムがイェルク・ヴィットマン演奏の協奏曲に変更になっていた。学校からの団体さんのような若者が多かった。これは21世紀の初期には遺物が混在していたというとても良い歴史的な事実だろう。
そしてプログラムの最後には、とても魅力的なリゲティの練習曲から、ファンファーレ、アークアンシール、魔法使いの弟子とちょうど百年前を想起させてくれるような曲で閉じ、アンコールをルネッサンスの曲で〆る。
バッハでの平均律とそこへの純正調の投影、リゲティ―と二十世紀への視線、私たちが立っているその時代が、またブレンデルのピアニズムへの賛歌とともに響いた会だった。実は暮れに小ホールでのマウリツィオ・ポリーニのリサイタルの35ユーロの席が残っていた。出かけようかどうかと考えたのだが、もはや個人的な思い出を温める老人しかその演奏会には行かないと新聞批評にあった。後年の録音を聞けばその真意はよく分かる。あれほどプログラミングの妙と知的な好奇心を刺激してくれたピアニストも全盛期は20世紀で既に終わっていたことが結論付けられた。時代は変わったのである。フランクフルトの会は、ブレンデル引退後に多くの会員を失った。シフは繋ぎにならなかった。キット・アームストロングがその穴を埋めてくれるに違いない。
参照:
スポック副船長が楽を奏でると 2010-11-08 | 音
環境における人の考えや感慨 2010-08-08 | アウトドーア・環境
見かけによらず土台が肝心 2016-01-05 | 音
本人もアンコールでドイツ語で語ったように、「リゲティとバッハを組み合わせる珍しいアイデアですが」とバッハの自己の編曲とリゲティ―のピアノ曲という意欲的なプログラムである。隣の婆さんが「なんでドイツ語喋るの、ロンドンかどこかで育ったんでしょ」と囁くように、何でも出来るから天才なのだ。
同じプログラムの録音もしているようだが、嘗てのミッシェル・ベロフや大ピアニストが披露するようなピアノではないが、独自のピアニズムは録音にも捉えられているだろうか?五年前に「この若者が今後も主に商業的な興行で活きていくとは考えられない」書いたが、彼が大人になるこの間にそれと同時に時代は流れたのだ。
リゲティ―のムジカリチェルカータで始められたプログラムは、戦後のグラウンドゼロからの創作から当夜のプログラムにもあるようにカーテシアン系で組み立てられていく。それは必ずしも、アウシュヴィッツで全てを失った作曲家の世界観だけでもなく、そのまさしく絶えずエモーショナルな芸術世界が平行した象限として展開していくのである。
そのリゲティ―の世界はどのように展開していくのか。勿論、そこに座るのはりんりんランランではないので、鍵盤をただ猫が歩くように叩くのではない。ピアノという楽器が、ペダルとそのハムマーによって響かせる打鍵された弦が奏でる音響世界が展開されるのである。私たちは、そこでどうしてもピアノの師でもあったアルフレッド・ブレンデルのピアニズムを思い出してしまうのだが、この若いピアニストにおいてはそのピアニズムから演繹的に、リゲティ―の作曲に音響の理論的な展開が収束する。
ハムマーに打鍵された弦が振動して、それが枠に広がり、その振動が倍音を作り出し、打鍵の指がペダルがフィードバックするその系が漸く閉じるその間に、リズムがあり、テムポがあり、音楽があるのだ。まさしく、リゲティ―の音響世界であり、本人がこれを聞いていたらとても興奮したに違いない。
例えばアレグロ・モルト・カピリティオーソVIでは、「バガテル」で木管楽器の合奏で馴染みのある耳につく、もしくはオペラ「ル・グラン・マカーブレ」のグロテスクな音楽が、初めてまともに響くのである。ミニマルな反復には、カオスが隠されているフラクタルな技法は、とても憎い方法でバッハの世界へと繋がっていく。
またそこには、平均律イ短調の前奏曲とフーガが挟まれることで、平均律ではない世界へと明確な視線が開かれて、トリオソナタの通常ならば三声の純正調オルガンで展開する音響世界が、平均率の世界へと投射されるのである。キット・アームストロングがベッヒシュタインのD282に投影する世界は、ブレンデルのそれとは異なる。会ではシーズン当初に、アンドレアス・シフとアンドレアス・シュタイアーのゴールトベルク変奏曲が演奏された。残念ながら両方とも出かけなかったが、前者のバッハは周知のものであり、後者のそれもこれほどに純正調のそれを投影させたとは思われない。まさしく、そこで開かれるのがトリオソナタBWV527のアダージョと三重協奏曲の基となるオルガン曲からの五声への編曲イ短調の前奏曲とフーガBWV894である。
このように前半のクライマックスを築いておいて、休憩後に再びリゲティ―の世界に戻る。もはやそこには前半の世界から何歩も先へと進んでいて、バッハのコラール前奏曲の編曲へと違和感なく繋がるのである。バルトークの思い出やフレスコバルディ讃とバッハの編曲の創造的な近親性を明らかにする。それは前半で強調事象の丁度補角にあったものだろう。嘗ての演奏家ならば、またそれを支持した聴衆ならば、ロベルト・シューマンにあやかってロマンティックとか、精神性とか言われたものしかなかったのかもしれないが、流石に21世紀である、そのような19世紀の遺物はここにはない。
当日、大ホールでは地元の放送交響楽団の演奏会があり、監督であり東京で活躍する指揮者が病欠のためにプログラムがイェルク・ヴィットマン演奏の協奏曲に変更になっていた。学校からの団体さんのような若者が多かった。これは21世紀の初期には遺物が混在していたというとても良い歴史的な事実だろう。
そしてプログラムの最後には、とても魅力的なリゲティの練習曲から、ファンファーレ、アークアンシール、魔法使いの弟子とちょうど百年前を想起させてくれるような曲で閉じ、アンコールをルネッサンスの曲で〆る。
バッハでの平均律とそこへの純正調の投影、リゲティ―と二十世紀への視線、私たちが立っているその時代が、またブレンデルのピアニズムへの賛歌とともに響いた会だった。実は暮れに小ホールでのマウリツィオ・ポリーニのリサイタルの35ユーロの席が残っていた。出かけようかどうかと考えたのだが、もはや個人的な思い出を温める老人しかその演奏会には行かないと新聞批評にあった。後年の録音を聞けばその真意はよく分かる。あれほどプログラミングの妙と知的な好奇心を刺激してくれたピアニストも全盛期は20世紀で既に終わっていたことが結論付けられた。時代は変わったのである。フランクフルトの会は、ブレンデル引退後に多くの会員を失った。シフは繋ぎにならなかった。キット・アームストロングがその穴を埋めてくれるに違いない。
参照:
スポック副船長が楽を奏でると 2010-11-08 | 音
環境における人の考えや感慨 2010-08-08 | アウトドーア・環境
見かけによらず土台が肝心 2016-01-05 | 音