ビュルガーガルテンを開けた。2014年産である。このリースリングは、英国人評論家ピゴの見解と私自身のそれがとても似ていて双方とも評価していたワインである。それ故に少なくとも二年は寝かしてから評価をしようと最後の一本を寝かしておいた。瓶詰め二年をほぼ迎えた折に試してみた ― 比較対象として同じクラスの幾つかの2014年ものを寝かしている。
香りは開いている感じではないが、それでも独特の黄林檎とか梨の中間のようなものを感じるが、味としては甘いアーモンドの中にそうした果実風味が混じる。このワインはヨードのような味が特徴でそれがどのように開くかが興味津々だったのだが、今はそれが消えてどのように変わったのかは今一つ分からない。敢えて言えばアーモンドの趣になったのかもしれない。少なくとも固まっていたものが無くなっている。
このワイン自体がステンレス熟成ワインであり、ビュルガーガルテンの土壌からすればこれ以上のミネラル風味などを求めようがないかもしれないが、これの上級のグローセスゲヴェックスを考えればこの特徴は充分に魅力的であり、2014年産雑食砂岩リースリングの一つの出来と評価出来るかも知れない。これで秋以降に試せるグランクリュ「イムブロイメル」が楽しみになって来た。
指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットの90歳の誕生日に因んで出版された「音楽の宣教」が売り切れるほどの評判が続いている。5月に初めてその指揮姿に接して、10月にゲヴァントハウス管弦楽団との演奏会を楽しみにしていて、嘗てFAZで魅力的な音楽批評を展開していたシノポラ女史のインタヴューで進められるこの書籍には少なからぬ関心がある。新聞紹介が載っていて、以前のラディオでのそれなどを読み比べているととても興味深い。口述筆記であり態々単行本で買おうとは思わなかったのだが、文庫本が出るまで待てるだろうか?
SWRサイトには、「もはや90歳になるブロムシュテットが、なによりも厳格に楽譜から作曲家の創意を指し示し、音楽の深みへと立ち入っていることを証明する必要などは無い」と書いてある通りだ。後輩のキリル・ペトレンコがその天才と意志によって立ち入る領域にこの老人はその経験から踏み込んでいることは間違いないだろう。そして面白い言い方をしている。
「自立して作品に忠実にいう方向で一貫していると、誰がどのように言ってるのか、どのように演奏しているのか、そうした外側の全てなことは、以前ならば無関心でいれなかったものが、齢を重ねるにつけ、どんどん重要ではなくなってきます。私には聖書の読み方も変わらなく、誰がどのように聖書を読んでいるかなんてことよりも、真実を見つけるという自らの努力でしかないのです。全く同じことは楽譜にも通じ、そこにあるものに、責任をもって、年齢を重ねるほどにですね、怖がってはいけないのです。」。
その他にも歯に衣を着せない語り口乍ら人を傷つけることなく語っているとされていて、マズーア監督後のゲヴァントハウス管弦楽団その状況やハムブルクのNDRの演奏モラルなどについて語っていて、更に故バーンスタインのセックス、アルコール、ニコティンへの心身を滅ぼすほどの依存についても漏らしている。同時にその指揮者への驚愕と共に、「一人の指揮者がどれほど熱心に、その感情の豊かさを示したとしても、そんなものは全て、音楽において根拠がない限りは表面的にしか作用せず、全く不味い。」と単刀直入に語っているようだ。この歳になって期待されるものはまさしく音楽的にもそうしたものであろう。
面白いのは、グスタフ・マーラーの音楽については「その交響作品はセンチメンタルでどうしようもないものだと思い、理解していなかった」と言いながら、膨大な蔵書の中からシューレム・アレイヘムを読んで、「その音楽の引用はそのままゲットーで日常的に響いていたものであったことを知った。」と考えを改めたと語られている。これも本質的な言及ではなかろうか。
参照:
新たなファン層を開拓する齢 2017-05-14 | 音
芸術の行つくところ 2017-05-05 | 文化一般
次世代の醸造のための経営 2016-01-29 | ワイン
デキャンテ―ションしようよ 2015-10-27 | 試飲百景
香りは開いている感じではないが、それでも独特の黄林檎とか梨の中間のようなものを感じるが、味としては甘いアーモンドの中にそうした果実風味が混じる。このワインはヨードのような味が特徴でそれがどのように開くかが興味津々だったのだが、今はそれが消えてどのように変わったのかは今一つ分からない。敢えて言えばアーモンドの趣になったのかもしれない。少なくとも固まっていたものが無くなっている。
このワイン自体がステンレス熟成ワインであり、ビュルガーガルテンの土壌からすればこれ以上のミネラル風味などを求めようがないかもしれないが、これの上級のグローセスゲヴェックスを考えればこの特徴は充分に魅力的であり、2014年産雑食砂岩リースリングの一つの出来と評価出来るかも知れない。これで秋以降に試せるグランクリュ「イムブロイメル」が楽しみになって来た。
指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットの90歳の誕生日に因んで出版された「音楽の宣教」が売り切れるほどの評判が続いている。5月に初めてその指揮姿に接して、10月にゲヴァントハウス管弦楽団との演奏会を楽しみにしていて、嘗てFAZで魅力的な音楽批評を展開していたシノポラ女史のインタヴューで進められるこの書籍には少なからぬ関心がある。新聞紹介が載っていて、以前のラディオでのそれなどを読み比べているととても興味深い。口述筆記であり態々単行本で買おうとは思わなかったのだが、文庫本が出るまで待てるだろうか?
SWRサイトには、「もはや90歳になるブロムシュテットが、なによりも厳格に楽譜から作曲家の創意を指し示し、音楽の深みへと立ち入っていることを証明する必要などは無い」と書いてある通りだ。後輩のキリル・ペトレンコがその天才と意志によって立ち入る領域にこの老人はその経験から踏み込んでいることは間違いないだろう。そして面白い言い方をしている。
「自立して作品に忠実にいう方向で一貫していると、誰がどのように言ってるのか、どのように演奏しているのか、そうした外側の全てなことは、以前ならば無関心でいれなかったものが、齢を重ねるにつけ、どんどん重要ではなくなってきます。私には聖書の読み方も変わらなく、誰がどのように聖書を読んでいるかなんてことよりも、真実を見つけるという自らの努力でしかないのです。全く同じことは楽譜にも通じ、そこにあるものに、責任をもって、年齢を重ねるほどにですね、怖がってはいけないのです。」。
その他にも歯に衣を着せない語り口乍ら人を傷つけることなく語っているとされていて、マズーア監督後のゲヴァントハウス管弦楽団その状況やハムブルクのNDRの演奏モラルなどについて語っていて、更に故バーンスタインのセックス、アルコール、ニコティンへの心身を滅ぼすほどの依存についても漏らしている。同時にその指揮者への驚愕と共に、「一人の指揮者がどれほど熱心に、その感情の豊かさを示したとしても、そんなものは全て、音楽において根拠がない限りは表面的にしか作用せず、全く不味い。」と単刀直入に語っているようだ。この歳になって期待されるものはまさしく音楽的にもそうしたものであろう。
面白いのは、グスタフ・マーラーの音楽については「その交響作品はセンチメンタルでどうしようもないものだと思い、理解していなかった」と言いながら、膨大な蔵書の中からシューレム・アレイヘムを読んで、「その音楽の引用はそのままゲットーで日常的に響いていたものであったことを知った。」と考えを改めたと語られている。これも本質的な言及ではなかろうか。
参照:
新たなファン層を開拓する齢 2017-05-14 | 音
芸術の行つくところ 2017-05-05 | 文化一般
次世代の醸造のための経営 2016-01-29 | ワイン
デキャンテ―ションしようよ 2015-10-27 | 試飲百景