前日に帰宅して、日曜朝、峠を攻めた。今までで一番苦しかった走りだ。実際20分を切るところを23分かかっていた。足の踵の豆の皮剥けだけでなくて、脚に力が無い。やはり靴のお陰で余分な脚力を使ったとしか思えない。力が入らないので、蹴りが無く、坂を上るのは苦痛でしかなかった。だから下りは思いがけずスピードが出ていたようで、高度順応の成果が表れていたのだろう。スキーでも経験したことのないような疲れた足での走りだった。
坂道を上がりながら、夜のミュンヘンからの「タンホイザー」中継録画の仕方等を頭で練っていた。一つは二種類の中継が同時に行われることと、もう一つは録音だけを高品質にしてみたかったからだ。平素よりも複雑になるので、手順だけでなく技術的な問題点も整理しておかなければいけないからだ。
具体的には、通常の画像録画ソフトに加えて先日から使いだしたAudacityの録音機能を使いたいと考えたのだ。録画ソフトでもFlacをmkvとして収録出来るのでそれほど悪くはないのだが、音量も調整出来ない位なのでWAV24Bit4800kHzには至らない。先ずは問題が無く両方のソフトが動くかどうかを試した。音源出力を独占仕舞うと駄目だからだ。ネット画像録音録画を試して見て技術的に問題が無いことを確認。
もう一つの決断は難しかった。つまり中継が安定している筈のARTE局のストリーミングを使うか、劇場のポータルを使うかである。常識的には独仏TV局のものとなるが、結果は異なった。それよりも始まりが早かった劇場のそれの前プログラムが終わり、他方TV局のものは予定時刻に始まらなかったので致し方なく、劇場プログラムを流した。そしてその決断は正しかったようだ。
序曲からのバレー団の乳房祭りが永遠と続く。画像の質は昨今のHD仕様からすると物足りないが、それでも劇場とは異なるズームアップが綺麗に映る。こちらの目的は滞りなく終わりまで放送が流れてくれることにあるのだが、やはりこの辺りは高品質画像が欲しいところであり、ARTEでのその質が気になった ― こちらの方は何れネットで出てくるだろう。
この場面はパリ版のバレー場面と割り切ればよいのだが、やはりこの演出の核心であると思うようになった。要するに、「おっぱいの形がいいな」とか穏やかににやにやして見るとはやはりならないのだ。どうしても音楽を聞く耳とこの視覚的なものがしっくり来ないのにいらいらさせるのだ。この演出の狙いに違いない。
そして延々と乳房祭りが続いて、タイトルロールのタンホイザーが出てくると、歌舞伎の宙摺りのように射的の的になっている壁を登っていくものだから、いったいこれはと思わせるのだが、バイロイトのカストルフ演出のようなギャグはここには無い。寧ろカストルフの方が知的で、カステルッチ演出の方は独特な感覚的な効果が大きいとなるのだろう。(続く)
参照:
とても峻別し難いロマン派歌劇 2017-05-27 | 文化一般
固いものと柔らかいもの 2005-07-27 | 文学・思想
坂道を上がりながら、夜のミュンヘンからの「タンホイザー」中継録画の仕方等を頭で練っていた。一つは二種類の中継が同時に行われることと、もう一つは録音だけを高品質にしてみたかったからだ。平素よりも複雑になるので、手順だけでなく技術的な問題点も整理しておかなければいけないからだ。
具体的には、通常の画像録画ソフトに加えて先日から使いだしたAudacityの録音機能を使いたいと考えたのだ。録画ソフトでもFlacをmkvとして収録出来るのでそれほど悪くはないのだが、音量も調整出来ない位なのでWAV24Bit4800kHzには至らない。先ずは問題が無く両方のソフトが動くかどうかを試した。音源出力を独占仕舞うと駄目だからだ。ネット画像録音録画を試して見て技術的に問題が無いことを確認。
もう一つの決断は難しかった。つまり中継が安定している筈のARTE局のストリーミングを使うか、劇場のポータルを使うかである。常識的には独仏TV局のものとなるが、結果は異なった。それよりも始まりが早かった劇場のそれの前プログラムが終わり、他方TV局のものは予定時刻に始まらなかったので致し方なく、劇場プログラムを流した。そしてその決断は正しかったようだ。
序曲からのバレー団の乳房祭りが永遠と続く。画像の質は昨今のHD仕様からすると物足りないが、それでも劇場とは異なるズームアップが綺麗に映る。こちらの目的は滞りなく終わりまで放送が流れてくれることにあるのだが、やはりこの辺りは高品質画像が欲しいところであり、ARTEでのその質が気になった ― こちらの方は何れネットで出てくるだろう。
この場面はパリ版のバレー場面と割り切ればよいのだが、やはりこの演出の核心であると思うようになった。要するに、「おっぱいの形がいいな」とか穏やかににやにやして見るとはやはりならないのだ。どうしても音楽を聞く耳とこの視覚的なものがしっくり来ないのにいらいらさせるのだ。この演出の狙いに違いない。
そして延々と乳房祭りが続いて、タイトルロールのタンホイザーが出てくると、歌舞伎の宙摺りのように射的の的になっている壁を登っていくものだから、いったいこれはと思わせるのだが、バイロイトのカストルフ演出のようなギャグはここには無い。寧ろカストルフの方が知的で、カステルッチ演出の方は独特な感覚的な効果が大きいとなるのだろう。(続く)
参照:
とても峻別し難いロマン派歌劇 2017-05-27 | 文化一般
固いものと柔らかいもの 2005-07-27 | 文学・思想