2018年のノーべル賞授賞式のメニューが送り付けられた。何かなと思ったらぼくんちのワインではないかという日本からの問い合わせだった。その通りだった。その醸造所のワインを購入した。飲むためではなくて料理用にである。勿論同じリースリングでも年度も異なり、等級も異なる。授賞式晩餐会では「ルッパーツベルガーリースリングアウスレーゼ2014年」と書かれたものだったが、私が購入したのは一リッター瓶に入った「リースリング2018年辛口フラインツハイマー」、ここで気が付いた。フラインツハイムの農協産で件のルッパーツブルクのものではない。13.5%アルコールでお得だが糖を足してアルコール化している可能性が強い。それでやはり今年もノーべル賞を逃したかとなる。距離にして両方ともそれほど南北に変わらないが、地所は若干違う。兎に角、ノーべル賞の方の醸造所も農協産なので、私などがレストランにでも行かないと通常では口にすることが無い。スーパーで同じような価格で料理ワインが出るのを首を長くして待とう。ノミネートはされているのである。
ボンのヴァークナー博士の2020年以降の契約延長はどうも難しくなっている。経営以前にあまりにも客が入っていないとすると中々支援得られない。フェスティヴァルとはいってもあまり誰も来ないのでは意味が無い。前任者が2008/09年には座席占有率90%から92%に至ったのに対して2018年は70%と、連邦共和国平均伸びている中で低調だとされる。ボンのベートーヴェンザールの改築は不利だったが、レヴィットのピアノリサイタルなどもあまり人が入らない教会などでやる必要があったのかどうかも疑問である。また、2016年のペトレンコ指揮の演奏会のDWによって中継されたパブリックヴューイングももう一つ上手に利用出来なかったのかとも思う。70%の入り方をどう評価するかは議論があるが、そこまでの明白なコンセプトと訴えかけがあったかどうかは正直疑問である。
フランクフルターアルゲマイネ新聞は、博士が性犯罪者の元ミュンヘン音楽大学学長モイザーを起用するにあたって、「ベートーヴェンフェスティヴァルがただのイヴェントでは無く深いものである為には彼が欠かせない」と言及したことに触れて、まさしくその深くというのがロマン主義の立場であって、「人生即ち芸術」、「作品の中に人生」としてヴァークナー博士を美学的に攻撃出来るとしている。またもやここでも父親のヴィーラント・ヴァークナーの芸術とその政治的な姿勢などへの批判を思い起こさせるような状況になってきた。まさしくこれがヴァークナー家がどのように転んでも引き継ぐ黄金の呪いのようなものである。
バーデンバーデンの新しいプログラムはまだ冊子として手元に届いていない。これほど遅れたのは珍しいが、要するに今時は殆どいないとしても地元紙を購読しないか、ネットに入っていなければ未だに情報が得られなくて発注していないことになる。それでも「フィデリオ」初日の最上席は全て売り切れている。前日から30席ほど売れている。360ユーロであるから、遠くから訪れるような人には当然の如く飛びつく券かも知れない。今回の初日は若干特殊でペトレンコがベルリナーフィルハーモニカーを指揮して初めてのオペラということで専門家は譲れない。高価な席から売れていく様子で次に第二ランクが売り切れる勢いだ。やはり舞台もしっかり見届けなければいけないとすると近くでないと駄目だろうか。
参照:
怖気づいた伊人の実力 2019-03-16 | 女
許容範囲だろうか 2018-12-13 | 文化一般
ボンのヴァークナー博士の2020年以降の契約延長はどうも難しくなっている。経営以前にあまりにも客が入っていないとすると中々支援得られない。フェスティヴァルとはいってもあまり誰も来ないのでは意味が無い。前任者が2008/09年には座席占有率90%から92%に至ったのに対して2018年は70%と、連邦共和国平均伸びている中で低調だとされる。ボンのベートーヴェンザールの改築は不利だったが、レヴィットのピアノリサイタルなどもあまり人が入らない教会などでやる必要があったのかどうかも疑問である。また、2016年のペトレンコ指揮の演奏会のDWによって中継されたパブリックヴューイングももう一つ上手に利用出来なかったのかとも思う。70%の入り方をどう評価するかは議論があるが、そこまでの明白なコンセプトと訴えかけがあったかどうかは正直疑問である。
フランクフルターアルゲマイネ新聞は、博士が性犯罪者の元ミュンヘン音楽大学学長モイザーを起用するにあたって、「ベートーヴェンフェスティヴァルがただのイヴェントでは無く深いものである為には彼が欠かせない」と言及したことに触れて、まさしくその深くというのがロマン主義の立場であって、「人生即ち芸術」、「作品の中に人生」としてヴァークナー博士を美学的に攻撃出来るとしている。またもやここでも父親のヴィーラント・ヴァークナーの芸術とその政治的な姿勢などへの批判を思い起こさせるような状況になってきた。まさしくこれがヴァークナー家がどのように転んでも引き継ぐ黄金の呪いのようなものである。
バーデンバーデンの新しいプログラムはまだ冊子として手元に届いていない。これほど遅れたのは珍しいが、要するに今時は殆どいないとしても地元紙を購読しないか、ネットに入っていなければ未だに情報が得られなくて発注していないことになる。それでも「フィデリオ」初日の最上席は全て売り切れている。前日から30席ほど売れている。360ユーロであるから、遠くから訪れるような人には当然の如く飛びつく券かも知れない。今回の初日は若干特殊でペトレンコがベルリナーフィルハーモニカーを指揮して初めてのオペラということで専門家は譲れない。高価な席から売れていく様子で次に第二ランクが売り切れる勢いだ。やはり舞台もしっかり見届けなければいけないとすると近くでないと駄目だろうか。
参照:
怖気づいた伊人の実力 2019-03-16 | 女
許容範囲だろうか 2018-12-13 | 文化一般