Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

巨匠ショルティの美意識

2019-08-09 | 
夜間は冷えた。夜中は久しぶりに窓全閉で就寝した。しかしそれ程寝起きは良くなかった。適当に裏山を駆けた。車中のSWR2で面白い話しが出ていた。大指揮者ゲオルク・ショルティがスウェーデンから出演依頼を受けて、ベルヴァルト作曲交響曲三番の指揮を打診されたという。

恐らく電話で、「一体どのように鳴るんだ」とショルティが尋ね、四度の連続の主題であることを知って、スウェーデンに着いて、その場で歌ったという。そして「やはり指揮するのは止す」と断った逸話が紹介された。

ショルティの美意識もさもありなんで、この私でもDLした楽譜を見ていて、このような曲に本当に音楽的な価値があるのか?、まるで自分が子供の時にブルックナーを真似で作ったセクエンツと変わらないではないかと思った。

そして、ブロムシュテットがヴィーナーフィルハーモニカーを指揮して演奏するのでバーデンバーデンの祝祭劇場に出かけた。そこでのいつものシマンツキー氏の解説は良かった。その四度の動機の扱いで、ピーポーピーポーの救急車音としての作法から、このあまりにもユニークな楽曲の遠近法としてのアイデアが紹介された。残念ながら91歳のスウェーデン人指揮の座付管弦楽団には到底そうした遠近感の妙は表現出来なかった。後半のドヴォルジャークの七番交響曲と共に「金返せ」程度の酷い演奏会だった ― とは言っても始めから分かっているので30ユーロも払っていないが。

そしてその後フィラデルフィアからの同曲の生放送を聞いた。いつものようにネゼセガンの解説も秀逸だったが、なるほどこういう演奏は到底座付楽団では出来ないと思った。ああした柔軟なフィラデルフィア管弦楽団の弦楽はベルリンでもとても難しいと感じた。当然ショルティがシカゴ交響楽団を振ったとしても困難だったと思う。

ベアヴァルトの交響曲この演奏は、恐らく最も優れた演奏で、ネゼサガン指揮のフィラデルフィア管弦楽団の演奏としても可成り突出していたと思う。ネゼセガンがどのような指揮者かと問われれば、この演奏指揮を代表としたい。たとえその後のカミングアウト後の更なる音楽への集中度、指揮の卓越が感じられるとしても現時点ではこのユニークな交響曲の演奏を挙げたい。



参照:
至宝維納舞踏管弦楽 2018-09-29 | 音
カメラに譲った座席 2018-09-26 | 生活
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