Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

次元が異なる名演奏

2019-08-18 | マスメディア批評
20時15分を待って、3Satを観た。三カ国参加の放送局であるから、当然のことながらARDは自局のサイトでも中継している。それどころかZDFでも同じように中継していた。ドラマなどをやっているときにその質をつまり音質の品定めをした。数値的には同じようなもので若干3Satが落ちていて、あとは耳で比較するとZDFが上シャラ系の音がしていたので、それに決めた。録画と録音は別のネットで同時に進めた。BBCのプロムス生中継は断念した。ミュンヘンの後任のユロスキー指揮のロンドンのフィルハーモニカーは12月に聞く予定になっていて、興味あるプログラムだったが別に再放送でもいい。

実際録音してみて、オンデマンドのMP4とは若干異なるかなと思ったが、所詮はTVの副音声で、印象からするとAACの音質で、128kBit出ているかどうかだった。要するに先日前半が放送されたラディオとは明らかに音質が悪かった。しかしあまりあるのが視覚的情報の動画で、何回も観ると更に色々なことが分かるだろう。バイヤー氏の制作姿勢は、指揮者と楽員との繋がり方に主点が置かれていて、一寸したドキュメントになっていた。実際にユジャ・ワンの部分はインタヴューとロケを入れて別枠でポートレートが制作されていて、それもとても秀逸だった。

お目当てのフランツ・シュミット交響曲四番を観た。やはり記憶にあった以上に凄まじい演奏をしていた。音楽表現へと全身を投げ打っているベルリナーフィルハーモニカーの表情が備に捉えられていて、南ドイツ新聞はこれのことを書いていたのだと分かった。自分自身の席からは視力のこともありそこまで細かな表情などは窺えなかったが、音楽的には本当に満足だった。定期公演での演奏とは一つも二つも次元が異なっていた。映像を観てもこの日にここまでの演奏が出来た状況はそれほど浮かばない。

ユジャ・ワンのピアノと管弦楽の絡みでも近接マイクを通したものは異なり、会場ではピアノがどうしても埋まる傾向にあったので、録音を聞くと想定以上にいい演奏をしていたことに気づいたが、それ以上に一曲目の「ラペリ」からとても完成度の高い演奏会となっていた。ペトレンコ指揮演奏実践では、復活祭における「悲愴」と、また座付管弦楽団とのボンでのチャイコフスキー交響曲五番を挙げたいが、この演奏はフィルハーモニカーの歴史の一里塚となっていると思う。終演の喝采に映されたヴォルフガンク・リームが奥さんらしき人の横で両手で眼を押さえているのが印象的だった。

秋のコルンゴールト作曲「死の街」の券を発注した。初日に当たるのではないかと思っている。なんといっても高い。それはそれでいいと思う。初日は、「ルル」、「サウスポール」、「パルシファル」で、それでも一時は、中継放送もありその演奏の質などを考えて、初日公演を避けていた。しかしここに来て、ペトレンコ指揮での初日は「サロメ」などにみるようにとても質が高くなっている。放送も雑音交じりのBRクラシックは留守録音で充分で、金額は嵩むとしても少なくとも歌手が日程を合わせてきていて、あの独特の緊張感は得難いと思うようになった。理想は、放送二回とは別にもう一度生で聞くことであるが、もうそこまでは求めない。当たるとすれば月曜日ぐらいにお知らせとなるだろうか?

その演出のストーンは、ザルツブルクで「メデー」を演出したところで、その批評などを読んでいるとどういう方向に行くか何となく分かった。復活祭の「フィデリオ」演出のコレツニックがオパーフェストで「ファルスタッフ」を演出する。ミュンヘンは規模も大きいだけに目ぼしいところは直ぐに手を付けている。



参照:
聴衆の一体感を再確認 2019-08-17 | マスメディア批評
芸術を感じる管弦楽の響き 2018-09-02 | 音
励起させられた覚え 2019-08-02 | 音
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