Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

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「一聴瞭然」の蟹の横歩き

2019-08-31 | 

ルツェルンでのコンサート評も出た。まだ最後のブカレストでの〆は分からない。ザルツブルクでの批評もざっと読んだ。様々な批評や印象を総合すると、同じような反応が初日の「ルル組曲」で起きていて、その分第九で喝采となっている。

ザルツブルクとルツェルンの聴衆を比較する心算は無かったのだが、日本からの旅行者がルツェルンのそれが冷たいとしていたので少し想像してみた。同じことは批評の中にもあり、ザルツブルクの聴衆は「パユやらマイヤーとかオッテンサムマー、ドールなどを初めて生で聞く人が多くそれだけで感動する」としている。これはある意味正しいだろう。実際私自身がパトロンをしていた時にもザルツブルクではオペラだけで、大管弦楽団コンサートは祝祭劇場では一度招待で出かけただけだった。要するに少し聴衆が異なるという事だろう。そもそもヴィーンの人がザルツブルクで態々コンサートを訪れる必要も無く、ミュンヘンのホールの無いコンサート難民が主となっていると思う。

だからあのルツェルンの人材派遣業者が招待したような場違いな人が沢山いた初日のルツェルンの晩と事情は変わってもその質はさして変わらない。それでも「組曲」が受けなかったというのにはまた別の理由がある。

同時に第九に関しては軒並み高級新聞等もそれを批評するのに苦心していて、バイエルン放送局のライポルト氏が正直に「(第九終了後の)その観客の反応には驚いた」つまりもう少し古楽器風の演奏をして欲しかったからだと言うように話している。また他のオーストリアの新聞は「三楽章は、木管楽器も休み、気持ちよく過ぎてしまう」と明らかにルツェルンでの演奏の様には行かなかったことを示すと同時に四楽章が合唱ソリスツとともに素晴らしかったことを伝えている。特に独唱陣がデクレッシェンドできる制御を賞賛している。

そうした初日に比較して二日目のシェーンベルクがハイライトだったとライポルト氏。この曲がなぜより容易な筈の「組曲」に比して大成功したかは、人によればコパチンスカヤの演奏を挙げるがそれはそれ程正しくないのはバーデンバーデンで同一プログラムを聞いて知っているからだ。但し管弦楽団があの時よりも更に上手に付けていたのは、ルツェルンを聞けば明らかだった ― 11日のラディオ放送で確認可能である。しかし実際にはルツェルンの近代的なシューボックス型のホールの音響によって格段に表現の可能性が広がったのも明らかなのである。

これがどれほどこの楽曲の本質を知るために重要だったかは体験すれば「一聴瞭然」であり、疑いの余地が無い事実である。そして僅かの残響の音の尾に次の拍の音を綺麗に重ねるつまり縦横に繋がるという事でしかないが、いかに正確に拍から拍へと移していくかの必要性が知れる。所謂点描的な扱い若しくは音色旋律的な扱いが12音楽法での管弦楽技法で重要になる。その意味からもベルリナーフィルハーモニカーの管楽器陣は見事に一言に尽きる。勿論弦楽陣の対位法の歌わせ方や反行などの表現は息を飲むばかりで、とてもではないがここまでの表現意欲はフィラデルフィア管弦楽団にはない。彼のゲヴァントハウス管弦楽団の内声の様にではなく、重要な線として出てくるところの合わせ方はここの積極的なヴィオラ陣の魅力でもある。

またもや昨年と同じように二日目の始めから大名演を繰り広げたのを思い浮かべ、またコンツェルトマイスターの相違について囁かれたのを、朝の森の中を走り乍考えた。そして水曜日から気になっていたコントラバスなどの試し弾きの音からして昨年とは異なっていたことのその不思議に一つの仮説が浮かび上がった。

具体的には昨年よりは格上の座席で尚且つ初日と二日目は若干席が横に五つほどずれたのだが、二日目には昨年と同じような響きが戻ってきた事への不思議の原因である。この仮説は、同時に「組曲」の「カニの前後上下」への動きの鮮やかさの方が遥かに誰にでも分かる筈なのだが、あまりにも理解されなかった不可思議の回答にもなっている。そしてその仮説がいよいよ確からしくなってくる。(続く

 

参照:

十二音の対位法の映像化 2013-12-20 | 音

次元が異なる名演奏 2019-08-18 | マスメディア批評

 

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