Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

とても そこが離れ難い

2008-11-28 | 
もう少しセンチメンタルな気持ちになるかと思ったが、決してそのような会ではなかった。今後ともこれほど長い期間に渡って舞台の上と客席側で対峙し続けるピアニストはいないだろう。アルフレード・ブレンデルは、特別な演奏家であった。

プログラムがつまらない感傷を起こさせない大変粋なもので且つ大変真面目なものであった、だからこれはこれで、いつの機会であっても素晴らしい演奏会であった。惜しむらくは、二十年ほど前はまだまだ多かった戦前世代を知っている聴衆というのが少数派になり、ヴィーナークラッシックが殆ど文化的な意味を持たない聴衆が増えたことであろう。このピアニストの引退に、氏の個人的な決心とは異なる、その時代の終焉を感じた。こうした演奏家に付きもののまるで天然記念物を評するかのような形容詞「最後のなんとか」とは全く掛け離れた、それである。それは、クラウディオ・アラウがリストの直系であったとか、アルトューロ・ミケランジェリが、ルービンシュタインがホロヴィッツはとかではないのだ。

満を侍したかのように、賢明で秀逸した楽器使いでもあるアンドラーシュ・シフのベートーヴェンの全曲録音が発売されているが、もしくはアルフレッド・ブレンデルを傾倒して踏襲するかのようにこれらのプログラムを演奏する者もいなくはないが、その意味するところは全く異なると言いたいのだ。

そのクラシックなプログラムとは、演奏会を聞く前から、ハイドンにおける減二度を軸にする所謂ナポリ六度により変化する幻想ソナタ風の二つの主題をもつ二重変奏曲ヘ短調Hob.XII:6に、モーツァルトの晩年の歌劇に相当するような肌理の細かいこれほどない程の洗練した情感の移り行きをソナタKV533/494の変ロ長調二楽章アンダンテの短調への変化に味わい、更にベートーヴェンの幻想風Op.27,1と呼ばれる月光ソナタと対を為す曲において、プログラムの最後を飾るシューベルト遺作変ロ長調D960の転調の妙に、前のカデンツァ構造の面白さを対比させるかなどと十分にわくわくとさせるものであった。

そして、当夜そこに沸き出でるものは、 ― 普段は訪れない最後に見ておけという物見遊山の聴衆の動き回り立てる音のけたたましさに ― 疾風怒涛でも後期の俳諧でもないハイドンの真面目な表情の世界そのものである。つづくモーツァルトにおいては、理想的な空間での素晴らしい録音に比較すると、楽器の相違すらそのヘ長調の響きにはもうひとつという感じで、特に大ホールでの左手はどうしてももそもそとしてしまう。それは、なにも今回に限った事ではないのだが心なしか左手の打鍵の速度などが嘗てのそれではないと感じたといっても、昨年の今頃氏の引退を予想した永年の聴衆として許される発言だろう。なるほど、今回はシューベルトを含めて、嘗てないほどに音を外していたが、そんな低俗なことよりも現代に受け継がれ発展した楽器を未だにいかに芸術的に鳴らすかに職業的使命を賭けたピアニストとしては、むしろそうした体力的な衰えこそが引退を決意させたに違いない。

それでも、ベートーヴェンが作曲二年後に速度をアンダンテからアレグレットへと上げてソナタの終楽章に組み込んだ ― ほとんど原曲に戻ったような速度感で弾かれるとき ― ロンド主題のあの軽やかさとまろやかさを、なんと形容すれば良いのだろう!そしてシューベルトの第四楽章の慈しむような足取り。そして第二楽章の交差する手によって齎される多声の隙間から、また第一楽章での主観から客観へと渡された存在がやっと姿を垣間見せるとき ― それはまるで霧の中を向こうからやってきた影が自らのそれとはたと気がつくときのように ― 、私達はマルティン・ハイデッガーが止揚した問いにはたと出くわすのである。

それは、その六の和音の上でのホルンのオクターヴであったり、同時に二度の音程の異名同音への長調・短調への転調が、近世以降に発展して来た西洋音楽の偽りのない究極の存在として、十二音平均率という究極の楽器にて奏でられる ― 特にシューベルトにおける大会場を変調させ鳴る響きに ― このヴィーナークラシックのプログラムに発見する存在なのである。

そして今、三十年以上前に壮年期のこのピアニストが響かせたシューベルトのこの曲が語っていたまたは欧州の音楽文化の真髄を啓示し続けたフランクフルトの会の真の意味が、ここにあからさまにされたのである。

間際に会場に押し寄せた聴衆の教養や、ベートーヴェンの同じ曲などで子供のように力むマウリツィオ・ポリーニの打鍵や一生涯なにもはじまらない稚拙なランランや、そのようなものに感心する一生涯なにもわからない老人の存在についてなにひとつ語る必要はない。こうした音楽芸術が、芸術が存在したことさえ示せたならば、それだけでなに一つ加えることなどないのである。

ヘルダーリンから一節を繰り返して挙げればそれで事足りる。

「とても そこが離れ難い
源泉の辺に留まっているものよ」

(さすらい IV、167)

"Schwer verläßt
Was nahe dem Ursprung wohnet, den Ort"

Die Wanderung IV, 167.

ベートーヴェン、リスト、バッハ-ブゾーニの三曲のアンコール曲をもって、このピアニストの歩んできた芸術家としての一筆書きのような軌跡がこうして閉じられ、そこに離れ難い存在を見いだすのであった。



参照:
Alfred Brendel: Zu meinem Programm (Frankfurt, 25.11.2008)
十分に性的な疑似体験  [ 音 ] / 2008-08-06
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
明けぬ思惟のエロス [ 文学・思想 ] / 2007-01-01
大芸術の父とその末裔 [ 音 ] / 2006-11-24
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
少し振り返って見ると [ 雑感 ] / 2005-10-08
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
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形而上の音を奏でる文化 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-21
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Phantasiestücke oder Das Ende vom Lied, Julia Spinola, FAZ vom 15.05.2008

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2 コメント

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このレポートは、待っていましたが・・・ (望 岳人)
2008-11-28 21:40:27
とうとうブレンデルの引退コンサートシリーズがドイツで行われたのですね。

このリサイタルでも演奏されたハイドンのアンダンテと変奏曲ヘ短調(Andante con variazioni)Hob.XVII-6について書いた記事(ブレンデルの引退予定を知った記事)からトラックバックさせてもらいました。

モーツァルトは、ソナタKV533/494(ヘ長調旧全集第18番)、ベートーヴェン第13番変ホ長調作品27の1、シューベルトの最後のソナタ第21番変ロ長調 D.960と、まさにヴィーン音楽の精髄を追求した大ピアニストの引退シリーズを飾るに相応しいプログラムだったようですね。そして、アンコールには、若い頃のブレンデルが取り組んだリスト、そしてバッハ=ブゾーニが演奏されたということでしたか。

ドイツでも最後の大ピアニストを見聞するために多くの観客が詰め掛けたというのは興味深いですが、近代とともに発展してきたピアノとその演奏という文化の終焉を思わせるような印象を持ちました。
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アルファとオメガ (pfaelzerwein)
2008-11-29 14:51:25
BLOGの技術上の問題とは言いながら、認証に引っかかりコメントが出来ないのでご無沙汰していて、少々心苦しく感じています。

さて、ハイドンのこの曲が録音に入っている事には気がつきませんでした。なるほど異色な趣がありますね。短調の小曲も何回か取り上げているのですが今回は十分に存在感がありました。何時か全録音を買うのだろうと思います。兎に角、素晴らしい録音が目白押しですから、まだまだブレンデルの演奏から発見する事は尽きないと思います。

上で言い切れなかったのは、啓蒙主義の影響の強い古典派音楽をモラルでもある教養とする聴衆が、既にドイツ人には存在し得ない ― グルダと比べれば良い ― 真正面からこれらの曲に取り組むピアニストと対峙するのは、今後ともありえないと言うことでしょう。五月のケルンでの新聞評では、例えばランランのピアノ演奏のあり方がその証明になっています。

ブゾーニは、Nun komm der Heiden Heilandでベートーヴェンと共に仰るように若い時から試みていて、当時はゲテモノと思われていたそれそのものなのですね。円環が結ばれるように首尾一貫していますよね。

そして、音楽の授業で基礎から習うようなことを、こうして最後に実践として示されると、そこにこそアルファとオメガがあるのだと、今更ながら教えられました。
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