Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

スポーツを逸脱する卓球

2008-08-17 | 雑感
今日は朝からピンポンであった。それほど早くにTVをつけたのではないが、晩夏の霧がかかる朝、朝食の準備をしながら、オリンピック中継を流しておいた。

結局お昼まで三時間半に渡って他の競技を挟みながら生中継していたのである。ドイツでピンポンが話題になったのは半シナ人と呼ばれるティモ・ボル選手の活躍が大きいようだ。いずれにしても、昔は日本人も強かった。

卓球人口が多い事が関心の大きさでもあり、競技人口如いては頂点の秀逸となるのが常であるが、ピンポンの場合は「卓球など」という印象の方が一般的には強いのではないだろうか。

競技をやっていた同級生もいたが、ピンポンとは、「虎屋の横のたこ社長の印刷所のような中小零細企業に集団就職で雇われた従業員の余暇」もしくは「丹前を羽織ってビールを引っ掛けながらの温泉旅館の余興という如何にも昭和時代」のイメージを持っている。そして欧州においても、保養地のホテルの地下などに卓球台が置かれているような情景がどうしても浮かんでしまう。

さらには、吉本新喜劇の故岡八郎のヤクザものに囲まれたときのギャグに当時の一般的な印象が刻印されている。八チャンが、「おれはこうみえてもな、学生時分は運動部に所属していたんや」、「卓球部やけどな」、そして「それだけとちゃう、空手もや」、「通信教育やけどな」と言って、皆をこけさせるものである。

その印象は今でも変わらないが、どうもピンポンの質は、それから二転三転しているようで、実際にル-ル変更や機具などの変更もあったのだろうか?シングルの試合はあまり文字通りピンポンが繰り返されなく、更にペアーに比べるとダイナミックさもあまりない。

日本チームの帰化人選手にドイツ人の帰化人選手が露払いのように戦い、中国対*ロシアの感がある。ロシアのメダル数は、ソヴィエトとのテリトリーの差を省いてもやはり至極少ない。良い選手は全て裕福な国への移住してしまったのだろう。しかし、オリンピック批判は改めて纏めよう。

あまり技術的な面白さは解説されることがなくとも、目に止まらないほどの早い玉の応酬は面白い。まさにピンポンである。あんな「保養中の老人がやるような競技」と思いながらも、形勢が絶えず変化するのもピンポンである。短パンを捲し上げチューリップブルマのようにしたズース選手や、恐れを知らぬ岸川選手の胸のすくプレーも安定感のあるティモ・ボルには結局敵わなかった。

そして、ピンポン外交という20世紀の冷戦下の歴史の一頁があったように、ピンポンを交換する姿は、コミュニケーションにおけるそれであり、将棋やチェスに通じるような戦略やディアローグの面白さがそこには存在しているのが初めて分かった。

そのように考えると、ドイツチームが恐らく超絶技巧の中国チームには誰も勝てるとは思わないのだが、心理戦的な面もあって、金星を空想すれば良いだけの気楽なチームワークの良さそうなドイツチームが中国の弱みをつければと思うと、決勝戦が結構楽しみになる。


*ドミトリー・オフチャロフの経歴を見ると、チェルノブイリの事故を理由に父親のソヴィエトチャンピオンと共に1992年にドイツに移住している。
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重量挙げに向いてる体質

2008-08-16 | 
怒りのブレーズ?怒りの小金治かと、最近の記事にコメントされた。なるほどかなり情動的な書き方をしている。ブログ通信簿の主張の数字は挙がっただろうか?

毎年、陽が弱くなってきて残暑を感じるようになると、夏の疲れが出てくるのか心理的に不安定な感じを覚えるのである。それに、心理的体力的なストレスが加わるのだろう。

岩登りのゲレンデに通うようになって、先週の水曜日、そして今週の水曜日と少し腕力を使った。所謂負荷を少しづつ増やしていっている。それだから筋肉疲労も幾らか残ってストレスともなっている。

そして、身体馴らしに再び雨が上がった夕方ワインの中を散策するとまた心も癒される。今年の夏は二週間ごとに少し愚づついて暑さは続かないのだが、それでも弱まった陽射しを浴びるととても気持ち良い。

今日は出かける前にTVで重量挙げをやっていた。女性のそれは一体何の役に立つのだろうかと話していたのだが、男のそれを見るとついこちらまで力が入ってしまう。

それにしても幾ら鍛えていると言っても見るからに不健康そうなスポーツである。なにやら叫んだり、あんだけ力んではいけない。フランス人の欧州チャンピオンなどは気を失って倒れていた。

昔ならああした力持ちも皆の役に立ったのだろうが今はどうだろう?TV解説が技術的に云々というが、ただ頭の上にもち挙げた位置が前過ぎると言うだけである。

実は子供の頃、ブロックを鉄棒に吊るして練習をしていた事がある。自分の体重以上は持ち挙げていた。どう考えても自身重量挙げに向いているようだ。しかしあの雄たけびの時に自分なら何を言ってしまうかと少し不安だ。

写真はかなりのオヤジさんで少し一緒に登ったが、大変目標となる老ガイドのような登りをみせてくれた。ある年齢を越えてから力を押さえてもあれぐらい登れるとなると、スキーと同様死ぬまで続けて行けるかとも初めて思った。その前に鍛え上げないといけないのである。
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君が代はおろかしく厚顔

2008-08-15 | 雑感
朝早くから、六時間の時差のため夜中に行なわれたオリンピック中継分が再放送される。日の丸の揚がる風景を観ていて、急に腹立たしくなった。私がシナ人であったなら卵やトマトを投げつけていたであろう。皆がそう思っているに違いないが、中共の当局に捕まるのでやらない。開催国の宿命である。

君が代を口ずさむ姿は、愚か者にしかみえない。中国大陸や朝鮮半島でそれを口ずさむ姿は、正気の沙汰ではない。これは侵略戦争の意義を云々する問題ではないのである。靖国神社の高度な問題を軽々しく政治問題化させるシナ人は、一体どのように感じているのだろう?君が代は、天皇を擁く帝国主義そのものにしか響かない筈である。それを見逃している中共はやはりまともではない。そしてその教育を受けている国民の民意はどうしようもなく低い。

それにしても、北京の大観衆の前で、表彰台にたって、あのように無神経に厚顔な表情で口ずさめる人間性は到底理解できない。なんたるおろかな人間であろう!

開会式において、五星紅旗を振る誇りの微塵もない日本人の下卑た姿に失望して、またこうして卑劣な軍国主義に汚された恥を上塗りをするような、その日本人の似非愛国心には呆れてしまった。

素晴らしい精神文化は、いまや日本人の手元にはないと改めて感じた次第である。本当に素晴らしい文化の真髄は、民族の手を離れて、世界で活き付いているのは周知のことである。



参照:
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
終わり無き近代主義 [ マスメディア批評 ] / 2005-09-03
独逸女、誠実、ワイン、歌 [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-03
まだまだ序の口か [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-02
歓喜の歌 終楽章 [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-01
蹴球愛国主義と文化水準 [ ワールドカップ06 ] / 2006-06-12
ハムバッハー・フェスト /Das Hambacher-Fest [ 文学・思想 ] / 2004-11-14
<靖国参拝>小泉・安倍氏、無言で立ち去る (中田卓二、毎日新聞)
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青いブルマに魅了される

2008-08-14 | 
今日はなぜか北京での日本選手団の活躍がTVで多く映された。柔道ではなかったが、フェンシングと女子バレーは特に長い時間みる事が出来た。

フェンシングは、ドイツのクレフェルトの若者が金メダルを取る相手になったのが京都の日本人であり、完全生中継されたが、初めの形成が決まってしまう緊張した場面は来客があって見逃してしまった。実力の差にも増して、心理的な差が大きかったのかどうかはだから判断出来ない。しかし、よく日本人が専売特許のように発言する精神性にかなり差があったように感じた。やはり真剣勝負から導かれる集中度とか殺気などは、ただのスポーツではないと感じさせる。剣道も然り。

初めて、現代の日本バレーボールチームの面々を観た。人気物の恵とかいう名は聞いていたがなるほど上背がある。それでもポーランドチームと比べると小さく弱弱しく狡猾な雰囲気があるので、ドイツ第一放送のナレーションが、ポーランドチームに火をつけろ、打ち込めといらいらする気持ちはよく理解出来た。

TVに映される表情などをみていると、日本女性のそれよりもポーランド女性の気持ちの動きが手にとって分かってしまうのは、日常生活からしかたない。ドイツ女性に続いて、ポーランド女性と接する時間が多い年月が既に人生の半分近くなってきている。日本女性は、昔から苦手であったが、さらに理解し難い存在となってきている。

少しぼけっとした表情になんとなくその心情が辿れるようだが、とても難しい。しかし、嘗ての東洋の魔女と名付けられたほどの不思議さは、幾らかその目も止まらぬちょこまかとしたコート上での動きに片鱗が見えるほどで、相手にとってお手上げの雰囲気にまでは至らなかった。なんとなく雰囲気があの伝説的な映像を思い出させるのは、体格はよくなったと言っても同じ民族だから当然であろう。しかし、金メダルを取るような威光がないのはそれでもよく知れた。

ポーランドチームはこれで可能性が無くなり、ポーランド人の北京オリンピックへの関心が俄然落ちるかと思うと、ポーランドの敗戦は残念である。それにしても、あのポーランドチームの青いブルマーは、彼女らのお尻を大変美しく魅せていた。幾らトップスポーツウーマンとは言っても、ポーランド女性の下半身にそれほど魅了された事は今まで一度もないので、あのブルマーのカッティングがとても優れていたのだろうと考えている。
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軽蔑される浅ましい輩

2008-08-13 | マスメディア批評
「日本人よ、恥を知れ」と三島は最後の切腹をしたが、その意味がよく分かる。谷本歩実の金メダルへの勝負が、流れていたEUROスポーツのTV中継画面に嵌め込まれて、その鮮やかな一本が何度も角度を変えて示されると、益々そのような気持ちとなる。それほどに素人が見ても見事な柔道である。

柔道がJUDOとなって、全く似ても似つかないレスリングになったとの意見がネットでも多い。真偽は知らない。しかし、その昔嘉納治五郎筋が、オリンピックルールに対抗して着物の色などが議論されていた事を思い出す。一体あれは何だったのか?私は想像する、柔道の真髄を十分に説明出来ない、つまり自らがそれを十分に自覚していなかったから枝葉末節に拘ったのではないかと。

本当の柔道に拘って、それを示すことは、メダルなどよりも価値があるとする意見に共感する。似非民族主義者に、似非平和主義者に、似非現実主義者に、似非世界主義者に、信念の爪の垢でも飲ませたい。

欲しがりません、勝つまでは。そこまでして、金が欲しいか?浅ましい輩よ!

他者の心情に勝手に共感するなどはどうでもよい女々しいことなのである。頭を柔軟にして、己のアイデンティティーを高みから観察しろ。そしてそれに対峙して、それに拘れ。そしてとことん戦うのである。さもなくば、答えろ、お前は何故に存在しているのか。


嘘をつくな、恥を知れ!思いっきり軽蔑しろ、そのような輩を!



参照:
未来の無い真ん中の帝国 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-09
擦れ違う視線の笑い [ 文化一般 ] / 2008-08-05
脱構造の日の丸の紅色 [ マスメディア批評 ] / 2007-12-12
正義 (雨をかわす踊り)
日本選手はなぜ中国国旗を握って振ったのか
谷本の優勝には日章旗だけが振られた (ステージ風発)
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コインの裏表の女らしさ

2008-08-12 | 
月曜の朝からバタバタしてしまった。それでも野暮用といおうか七月からの用件がなんとか目星がついてきた。そのように思って、一杯引っ掛けていると電話が鳴った。

親しげな若い女の声である。馴れ馴れしいので何かの勧誘かと思っていたら、金曜日に催促の電話をした業者のお客様相談係のお姉さんであった。

金曜日には、苦情の電話かと思ったのかマニュアル通りの答え方しかしなかったので気がつかなかったのだが、大変可愛らしい電話の応対なのである。

フランス女性の場合はコケットな喋り方をする娘が多いのだが、ドイツでは限られる。もちろん、フランスの鼻に抜けるようなそれではないのだが、ザクセンの若い女性は結構良いのである。

ザクセン女性の特徴は幾つかあるのだろうが、印象としてはバイエルン人を小柄にした感じで外見的にもなかなか魅力的な女性が多い。知人を見回しても、ブロンドにしてもダークな毛髪をしていても、くっりとしていてなかなか他の民族とは異なる魅力がある。

そうした外見は、言葉使いや方言の発声などとも微妙に関連していて、その背後には文化があって、民族というものがあるとどうしても思わせる。なるほど、興味はなくともザクセンの男性も少し違う。更に、そこにありえるスラヴ民族との血の交流のようなものを感じるので更に興味深い。

女性の場合は、ファミニンであればあるほど複雑な面があって、フランスのそれと同じように一種の意地の悪さのようなものをどうしても感じさせるのだが、それはコインの裏表のようなものなので仕方ない。

勿論上のような可愛らしい女性から電話を貰うと、普段なら文句の一つ二つ出る所であるが、ふにゃふにゃと機嫌よくしてしまう。

燃料費も一方的に下がっていて、物価高の世界経済はターニングポイントを迎えたと思っている。燃料さえ安くなれば、また以前のようにザクセンにも駆けつけたいと思っている。
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昼から幾らでも飲める味

2008-08-11 | ワイン
天候不順で、昼から一眠りする。起きて早速一杯ひっかっける。

昨晩開けたザールのリースリングが気になったからである。スレートの味に少し変わった野暮ったい味が加わっていたからで、流石に酸が落ち着いてきていて、それが目だって来たものと推測する。

ミッテルラインなどにある独特の嫌味のある時とは違うのだが、スレートの旨味の裏返しのような味である。醸造所によれば更に純化した味覚として表れるのだろうが、些か古い木樽の味のような連想を誘うのは必ずしも幸福ではない。

この辺りの味覚の感覚は、匂いに準拠するような微妙な感覚であって、自宅の家の匂いが住人には一向に気にならないようなものなのである。つまり、こうして偶々ザールヴァインを試すものだから気になるが、毎晩飲んでいたら気にならなくなるのだろう。逆に飽きるに違いないが。

オレンジの皮のような味が清涼感の中にアクセントを付けていて、アルコール11度の軽さが幾らでも杯を勧める。香りはその分一辺倒であるが、子供用薬の甘味材のような後味と共に否定的な要素は一切ない。

価格は、9ユーロなので、バッサーマンヨルダン醸造所のキーセルベルクと同価格となる。どちらが食事の素晴らしい同伴者となるかと云えば、味のニュートラルなキーセルベルクで間違いない。だから、このシュロース・ザールシュタイン醸造所の辛口キャビネットが食事の相伴に大量に消費されるかと云えば難しい。オレンジのソースを使ったような魚料理などに合わせたい。さもなければ、少々味が強すぎる。

本命は、同時に注文した辛口シュペートレーゼであり、二年ほど経つと甘さが目立たなくなるというので期待している。ラインガウリースリングのような高貴なそれとは異なる旨さを楽しみにしている。



参照:
香りの文化・味の文化 [ ワイン ] / 2008-06-07
スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
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筋肉痛に豚の腹肉

2008-08-10 | 料理
木曜日は筋肉痛が全身にあった。それほど酷くはないのは、明くる日に出ている事でも分かるのだが、手首から腕、肩から腹筋に腰、腿から脹脛、足首まで全てに来ている。

水曜日は岩場から帰って、汗を流してから、作り置いたジャガイモサラダをプファルツのピザと言われるレバー団子玉子焼きに付け合せた。

飲みものは、ビールも引っ掛けたいのを我慢して、寄り道せずに帰ってきたご褒美にリッターヴァインの残りを随分と飲んだ。ミュラートュルガウの香りが良いので、卵もあまり邪魔せずに楽しめたのである。

そして木曜日には、やはり作り置きの炒飯をスープで暖め直して朝食とした。昼にも豚の腹肉を食べたのだが空腹を感じた。

夕方に急に喉の渇きを覚えたのだが、なるほどコーヒーしか飲んでいなかったから当然であろう。急いで、氷の中に沸かしたぺパーミントなどのハーブティーを作り喉を潤す。さもなくば、アルコールを引っ掛けて気持ちよくなりたいところなのである。

昼間は温度も30度以上に上がり陽も強かったが、夕方になって風が出てきて、予想通り夕立が夜には訪れるであろう。今年の夏は、欧州らしい情緒のある夏である。ワインをもう一本開けなければいけない。

調子の悪いところの部位を食すれば良いとするのが中国の料理療法の基本である。
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未来の無い真ん中の帝国

2008-08-09 | マスメディア批評
オリンピック開会式を観て、マオイズムから新儒教主義への回帰が顕著とする意見がTVで語られている。

個人的な印象としては、中共には恐らく将来は無くて、今後も中華帝国であろうとする姿が見てとれた。「前進・前進・前進」のイデオロギーがもう既に消え失せたことが、あまり才能の迸りのない映画監督の演出では到底空間に時間的感覚を得ないのに、顕著に表れていた。

要するに、ヘーゲルの指すアジアの帝国には、新世界の合衆国とは異なり、我々に希望を与えるような将来は無いと云うことである。やはり中華帝国は早々に分裂して貰いたい。

独第一放送の中継でもさらに特番でも日本選手団が中国の国旗を携えていた事が大変な話題となっていたが、それは子福田首相が小ブッシュの背後で開会式に出席しているのと同義語である。勿論、選手団の五星紅旗の小旗とは違って誰もそれには気がつかない。

結局、小日本人が幾ら中国人に色目を使っても、中国人民を本当の戦略的パートナーとして見做すことはできないのである。共産党首脳や高級官僚に賄賂を幾ら払っても駄目なのである。それならば、教育かと云えば、先ず自国の若者を教育しなければいけないのが日本の現状であろう。

堅苦しい秩序で縛り付けないと何をしでかすか分からない、何時もの仏頂面を示す事しか出来ない彼ら日本選手団が受けたような、その教育程度では中国人民と変わらない。まさか五星紅旗を手に持つ選手が、戦略的パートナーの意味を理解していないとは思わないが、彼らが十分な自由民主主義教育を受けているとは思わない。

それは、ドイツ選手団の持つ国旗の三色に染めた団扇を、風を送るに役立つ愛国主義と称するのと双璧であろう。

米国に生中継されない開会式は、マスゲームのデジタルもどきにテクノロジー立国を探る「完璧の中のクール」な印象でもなく、大国の威信を示すようなイデオローギ奔った演出でもなく、さりとて新たな文化的可能性 ― まさかどこかの暢気な故首相のように「和」挙げる者は居ないと思うが ― を示す印象も与えない、花火以外では最も凡庸なショーであった。マオイズムを捨てた中共人は、何千年経っても進化しない永遠の民族である。



参照:
日本人は惨めっぽい? [ 女 ] / 2008-08-03
塩気の欠けた米国の話 [ 生活 ] / 2008-01-22
民主是個好東西 可平 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-14
自尊心満ちる軽やかさ [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-12
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出稼ぎ労働者の行方

2008-08-08 | マスメディア批評
車のラジオを聞いていたら、昨年度だけで2000人の医師が外国へ脱出したと伝える。ドイツ国内の医師の労働環境が悪いかららしい。頻繁にデモンストレーションやストがあるのは周知である。

その中でもスイスの病院勤務は、パーソナルの数や給与などの面で優れていて人気がある。ドイツ人が最も出稼ぎに行くのはスイスに違いない。

患者との方言でのコンタクトなど、同じドイツ語圏と言っても南ドイツのアレマーニッシュやシュヴービッシュを話す人でないと困難もあるようだ。しかし、その後者でもチューリッヒに開業して暫らくは、「シュヴァーベの豚野郎」とかの脅しの電話や手紙に枚挙ないようなスイス独特の外国人排斥が激しく投げかけられると言われる。そして多くのドイツ人は、スイスとの個人的親交を広げることが出来なくて、ドイツ人ばかりで付きあっている現実が伝えられる。

グローバル時代とは言っても ― それ故に ―、「金のため、生活のために新天地を求めてやってくる出稼ぎ労働者」は、たとえそれが国の政策として求められてやって来たにしても、嫌厭される傾向がある。

それは排他的なローカリズムでしかないのかどうか?無医村の医師のように必要とされているから誘致される場合もあるだろうが、それはなんら経済的な意味を持たないから無医村になっているのであり、グローバリズムとは無関係である。結局グローバルをモットーとする市場では効率化が図られて、そこから逃げ出す者はまたそこでよりよい労働環境を求めるだけとなる。つまり労働市場は動いて、よりよい労働環境は次の時点では効率化が最も求められる労働市場となる。

排他的な心理は一体何処から導かれるかは必ずしも容易に説明出来ないが、グローバリズムのこうした市場の変遷と同時にグリーバリズムに端を発したローカリズムが芽生えるのは当然であろう。

先日読んだフランスの法改正における地域言語承認の記事は興味深かった。アルザスのそれとオキシタン・バスク・ノルマンディー・コルシカの方言を認める事をサルコジ大統領が同意して、今後は少しずつフランス語の国語と共に地方の言葉が使われるようになるのだろう。

アルザスの現状を見ると復興は容易ではないらしい。子供では四・五パーセントしかアルザス語が出来ない現状から、先ずは何よりもバイリンガルになるためにドイツ標準語をマスターしなければいけない。アルザス語とプファルツ語は近接しているので、プファルツの人間はバイリンガルとなるべきであるのとよく似ている。

しかし、スイスの場合は、EUの開かれた国境の場合とはやはり別けて考えなければいけない。なぜならば、閉鎖する国境が存在しているからである。



参照:
Die Geiß wird zur Chèvre, Florentine Fritzen, FAZ vom 5.8.2008
「師」は「士」より上? (時空を超えて)
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適度な汗を掻く垂壁

2008-08-07 | アウトドーア・環境
本日は三本のルートを登った。奥にあるより険しい傾斜の岩場である。どちらかと云えば傾斜の強い壁は最近苦手にしていたのであるが、なんとなく容易に感じるようになった。

何度も繰り返しているように、上体の力よりも下半身が治まってきているのか、それほど上体に負担をかけないようになったようである。そのためあまり上体を酷使することがないので、傾斜の強い壁への挑戦もあまり厭わなくなりそうである。

本日の二本目は、凹角の内側に立つのでどうしても眼鏡が気になったが、擦らずに無事凹角の下端に立つことが出来た。確かに腕は病めるが、こうして少しずつ慣らしていくと上体に力を入れれるようになってくるだろう。

瞬間的に負荷をかけるトレーニングをして少なくとも二週に一回もしくは毎週のように通えば、十分に筋力はついてくるかもしれない。

今日は人出も多かったが、十分に価値のあるトレーニングが出来た。気温は三十度を越えていたのだが、吹く風が涼しく適度な汗を掻いた。

丁度良い気分転換になった。
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十分に性的な疑似体験

2008-08-06 | 
ポルノ映像の効果を吉田秀和が綴ったものを読んだ覚えがある。その当時流行っていたSMプレーに於ける所謂蝋垂らしの効果を態々映画館で体験した評論文であった。その内容は、既に売り払った朝日新聞への投稿の寄せ集めの書籍であったので今や触れられないが、そこではベートーヴェンの作曲とは並べて批評していなかったように記憶している。

アルフレッド・ブレンデル著「ベートーヴェンのピアノ・ソナタの形式と心理」を読むと、その作曲家が如何に主題の短縮の技法をもって推進力をもたせ、その形式が洗練されていくことによって心理的過程を推論出来るようにしたかについて論述している。

当然の事ながら創作の経済からすれば、そのような技法が新たな知的な基盤となって、技法自らの記号化によって、より複雑な心理を辿ることが出来る可能性を広げて行くのを進化として良いだろう。

その複雑な心理的な表現は必ずしも普遍的なものであるとは限らず、寧ろ文化的な記号で綴られていることが多い。要するに誰がどのように受け取るかは分からない不確かなものなのである。

ポルノ表現の場合もこれは同じで、疑似体験を越えて、― そうした状況に気が付くときに必ず失笑が漏れるものだが ― 最終的には肉体という対象物にその関心が向けられるのが、最も究極の芸術的表現方法に他ならない。そこでは、蝋燭の蝋は決して垂らすものではなくて、暗いシルエットを浮かび上がらす光の源となる。

ベートーヴェンが如何にソナタ形式における第一主題の素材に光を当てるためにもう一つの主題をそこに対称物として置いて創作とするかをみていくことで、その心理を具に見ることが出来る。

もしそのような丁寧な観察を抜きにして、ただひたすら落ちる蝋の熱さに思いを馳せるならば、通俗性から一歩も抜け出ることが出来ないのである。その熱さが脳に与える記憶を呼び出し、または恍惚とする感興に結びついたとしても、それだけならばそれは高度な創作活動とは一切関係ないことなのである。

ブレンデルは、これほど面白い論評はないとして、英紙「ディリー・メイル」の一節を紹介する:

女性のひざの裏をちらりと見るとき、ベートーヴェンの「田園交響曲」の第一楽章を聞くようなおもいがする。

これは十分に性的な疑似体験ではないだろうか。



参照:
擦れ違う視線の笑い [ 文化一般 ] / 2008-08-05
世界を見極める知識経験 [ 文学・思想 ] / 2008-07-30
バロックな感性の反照 [ 音 ] / 2008-03-23
古典派ピアノ演奏の果て [ 音 ] / 2007-10-11
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
ハイデルベアーの味覚 [ 暦 ] / 2007-08-05
大芸術の父とその末裔 [ 音 ] / 2006-11-24
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
何故に人類の遺産なのか [ マスメディア批評 ] / 2008-06-26
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擦れ違う視線の笑い

2008-08-05 | 文化一般
先日来、何周年かで映画「男はつらいよ」がネット上でも話題となっているのに気がついた。幾つかのコンテンツをみたのだが、何よりもTVシリーズまでもがDVDで発売されると知って、記憶を呼び起こしす事が出来るのかどうか、再会を期待したい気持ちになっている。

手元にあるVIDEOを久しぶりに流した。なんと言っても映画一作にある望郷や家族・隣人愛などは、十分にカタルシスを用意して泣かせる。特に冒頭の二十年振りに帰郷する情景は、前触れの準備に続いての豪快さと誰をも引き付ける通俗性に満ち溢れている。

開始後一時間十五分には妹さくらの結婚式でクライマックスを迎える。主演の渥美清の気宇の大きな演技は何度観ていても素晴らしいが、山田洋次監督の徹底して細微にまで拘る肌理細かな情感の流れも流石である。

しかし、今回は異なるところに注目した。それは、妹を慕う印刷工場の職工博と兄寅次郎の果し合いの光景である。そこで交わされる会話は、「妹は職工ごときにやれない」とする寅に対して博が食い下がる場面で聞かれる。そこで、実は北大医学部教授の息子でぐれた末に家出していた博が、「寅さんの思いを寄せる女性に兄がいて、その兄が寅の学歴を責めたとしたらどのように思うか」と仮定を設定して問い掛ける場面である。

それに対して、少し想いを巡らして「そんなのいる訳ないだろう」と安心顔の渥美清扮する寅は、「同じ気持ちになれる訳がない」、なぜならば俺とお前では肉体は異なるからだと、「お前が芋食って、俺の尻から屁が出るか」と人間は理屈で動かないと質問を撥ねつける。この場面に、このシリーズに一貫した人々の心理の機微と断裂が巻き起こす騒動が解説されている。

つまり、情感の機微を丁寧に描けば描くほど、その他者の思惑と実際の動きのズレが強調されてスクリーンに映し出され、尚且つ観衆は各々に感情移入したり適当に自己の感覚でこれを疑似体験することになる。何もそのような現象は劇場の基本にある前提であるのだが、この映画では、通俗性に寄り添うように絶えず、そうした通俗性を全く違う揶揄するような視線が存在して、それが笑いとなっているのは言うまでもない。その点で最近のものは知らないが、この監督の他の作品とは一線を隔している。

確か昔、山田監督が買い出しか何かの混雑した列車の中で寅のモデルのとなる面白い男にあった話をしていて、正月に公開される映画の観衆の中の多くは出稼ぎ労働者であったことを語っていた。そうした中核となるような観衆に対して、大衆演劇にある泣きを提供する一方、あまりにも丁寧にも描き尽くしている情感からはその社会が透けて見えるようになっている。

同時にこの監督の他の作品が映画祭などで評価されないのは当然として、この作品が何故小津映画のように評価されないかの答えを、もしかすると既に叙述いるのかも知れない。



参照:
自嘲自虐的アリバイ映画 [ マスメディア批評 ] / 2008-09-12
日本人は惨めっぽい? [ 女 ] / 2008-08-03
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
世界を見極める知識経験 [ 文学・思想 ] / 2008-07-30
静かに囁く笑い話 [ 生活 ] / 2008-05-20
森川信
男はつらいよ (私は日本映画が大好きです )
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日蝕を経た真夏の週末

2008-08-04 | アウトドーア・環境
今週は、曇天に始まっている。涼しいので過ごし易いが、窓を閉めるよりも開けて就寝した方が気持ち良い。風が吹き出して低気圧の影響からか少々鬱陶しく感じる。

先週は暑い日々であったが、天気は良く太陽に恵まれていた。しかし、金曜日には部分日蝕があったようで、此方は曇天ながら昼前に翳ったあと、気温は予想通り十分に落ちた。その後週末も過ごし易い天候で今朝に到る。今週もいよいよ真夏の終わりのような天気が続きそうである。

先週お昼の炎天下に歩いたキルヒベルクと呼ばれる斜面には、昔ながらの石垣が再建されて、テラス状のワイン地所が復興している。ミッテルライン地域の規模とは比べるまでもないが、興味深いプロジェクトとなっている。



参照:
非公認ガイド修行の午後 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-06-06
日蝕 12,8% (散歩絵)
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日本人は惨めっぽい?

2008-08-03 | 
手伝いの女性と面白い話をした。知的能力は十分に高い事は判っているのだが、地元東プロイセンで通常の中等教育を受けたあとドイツへ出稼ぎに来た彼女から文学の話などを聞くとは思わなかった。数年以上の知己がありながら、それほどの読書家とは知らなかった。所詮当方の文学的素養などは無いに等しいことも語らなければいけなかったのだが。

ウンベルト・エコーなどを何冊も読んでいる。そして言うのだ。キオスクで大衆紙ビルトツァイトュングのゴシップの一面とセックスの裏面の内容をひっくり返して見て買って行く人達の事を、悪いけど思わず笑ってしまうと。

そして、速読の意味や方法を心得ていて、大衆の通俗性が何たるかを感覚的に掴んでいる。

仕方ないので、それよりも遥かに卑劣な日本のメディアや、それに近い大新聞や、それに毛の生えた先日書いた文化勲章相当の文章のことなどを説明した。

その感情から出て、感情に訴える低俗な文化について説明した。

ある日本の法曹関係の人が「賤しいポーランド人」と上手く形容したが、その体で行くと「惨めたらしい日本人」だろうか?

ポーランドの文化程度と日本のそれを喜んで比較していたが、こうなればトルコのそれの方が似つかわしいかなと、その西欧化程度で計るのみならず、嘗て中曽根元首相が米国人を蔑んだようにその民意であまり変わらないように思える。

それは、何も一人一人の国民の知能程度を言うだけではなくて、教育の質であろうとする予測を今回の会話が実証しているのではないだろうか。

人権意識で、子福田首相が「日本人は中国人と同程度だろう」と発言したというが、一体それは誰の責任であろうか?一体誰が国民を痴呆化させゾンビかさせようとしているのか?



参照:
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
想像力を働かせろ! [ 文学・思想 ] / 2008-07-07
容易にいかない欲張り [ 文学・思想 ] / 2007-10-19
学校で習えないほど過激 [ 文学・思想 ] / 2007-04-29
暖冬の末に灯火親しむ [ アウトドーア・環境 ] / 2007-02-18
世にも豊穣な持続と減衰 [ 音 ] / 2006-12-09
痴漢といふ愛国行為 [ 雑感 ] / 2007-11-26
豚の煮汁に滲む滑稽味 [ 生活 ] / 2007-10-16
属性の認知とその美学 [ 文化一般 ] / 2007-08-23
記憶にも存在しない未知 [ 文化一般 ] / 2007-05-27
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