Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

雪明りで繕いものをする

2009-02-13 | 生活
朝起きると真っ白くなっていた。薄く屋根に雪がついていた。風で舞った粉雪のようである。

午後になると融けたが、それでも雪明りで繕い物をしようという気持ちになった。先ずは万年カーコートの不具合を繕って、まだまだ捨てるには惜しいので天気の悪い日などに着るつもりである。繕ってから早速雪が舞う中を散歩に出かけた。

もう一つは万年セーターの折り返している袖が一昨年の夏ぐらいに虫に食われて仕舞っていたので、これを木綿糸で繕った。何れは毛糸が崩壊するかも知れないが、祭り返し縫いでしっかりと抱合しておいたので、折り返しの中であり直には解れないであろう。これで春には一度洗濯屋に出すことができる。

気温は低くないが風が冷たい。血の腸詰を焼いて、ジャガイモに塗して、2006年産バイケン・キャビネットの最後の一本を開ける。三ヶ月前に開けたときが熟成度も果実風味も最高であったが、今は過熟成で完全に頂点を過ぎてしまった。酸が丸くなってしまい、苦味も出て、後味も気になるようになってきた。予想通りとは言いながら、価値ある授業料を払った。しかし春は近い、2008年産が待ち遠しい。

料理用に何時もの一本2ユーロしないオーストリアの2008年産グリューナフェルティナーを試飲する。不思議な事にこんなワインでも2008年産の特徴であるスパイシーさが例年とはことなり目立つのである。2006年産が新鮮なうちは一番生で飲めたような記憶がある。
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社会不安を煽りたい麻生

2009-02-12 | マスメディア批評
FAZのコロンコ女史が第一面の社説を書いている。題して執行猶予中の麻生である。中国や韓国をさし措いて、東京にクリントン女史の初外遊を取り付けた価値は麻生政権にとっては大きいが、惨澹たる人気薄の政権にとってどのような意味があるだろうかと訝る。

予想されなかった経済危機の影響の拡がりで、欧州に比べて失業率などでまだまだ良い状況とは言っても、労働者から中間層にまで落ち着きのなさと将来不審が広がっていることを伝えている。

二大政党制の実現が予想される与党の過半数割れへと、低迷するばかりの支持率に苛まれての九月の満期までの引き伸ばし作戦は、さらに経済情勢が悪くなった場合、必ずしも野党に有利になるとは限らないと伝える。要するに麻生は、危機的な状況を強調しながら「社会不安」を好機として待ち構えていると言うのである。

そのような状況は、「恐怖の煽り」などですでに周知されることとなっているが、ブッシュ政権や小泉政権のように、北朝鮮のロケットを使って真珠湾効果を演出するようなことはあるのだろうか?それはドイツを倣う大連合へとの画策でもあるとする。

何れにしても合衆国をはじめ諸外国は、こうした危機的な経済状況の中で、日本の政治社会構造が強化されることを期待しており、オバマ政権の外相はそれを麻生に思い出させることになるだろうと書き記す。



参照:
Aso in der Bewaehrungsprobe, Petra Kolonko, FAZ vom 11.2.2009
“国家詐欺”を疑わぬ善良な日本国民 (toxandoria の日記)
素人いきあたりばったり経済論文 (Mani_Mani)
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新社会市場主義経済構想

2009-02-11 | 歴史・時事
週末に動いて最も晴れ晴れしい顔をしているのはホルスト・ゼーホファーキリスト教社会同盟党首である。党内ライヴァルのミヒャエル・グロース経済相が辞任して、そのあとに前任者と同じフランケン地方のそれも37歳のカール・テオドール・フライヘル・フォン・ウント・ツ・グッテンベルクを推挙すると同時に他にも若手陣を抜擢して、五十代以上の古株のバイエルンの親仁達を駆逐してしまった。総選挙の結果次第ではまだどんでん返しが起り得るが、七割を遥かに越える大方の国民が若返りと新グッテンベルク経済相の就任を歓迎している。

ツ・グッテンベルクは、ここでは既にお馴染みであるが、ダイデスハイムのフォン・ブール醸造所の先のオーナーであり音楽ファンには高名なカール・リヒターの後釜となった指揮者イーノックの子息である。惜しむらくは、親父さんが音楽趣味の管弦楽団のために醸造所を売ってしまった事で、文化的なプラスマイナスは言わずもがななのである。

奥さんはビスマルク侯爵夫人であり、イーノックのお城つまりその生家はなかなか立派な本物の城であることから、就任後のベルリンの広い執務室などなんてことは無いと言われている。。ツ・グッテンベルク伯家は、十世紀中盤へと遡る名門であり、最近ではヒットラーへのレジスタンスで1945年に処刑されたカール・ルートヴィッヒトレチュコフにも荷担したハンス・フォン・ドホナーニ一派として有名であり、1966年には同姓同名の祖父が大連立内閣を画策して国務大臣として君臨した。名門として戦後バイエルンのキリスト教社会同盟の設立者であり、医療法人経営の傍らこの地方政党の経済的な後押しを続けている。

醸造所は十億円程度の売値であったようだが、将来の首相が名門ワイン醸造所を所持しているような優雅さが欲しかったのだが残念である。もちろん、外交軍事から専門外への起用であり、素人の総選挙までの繋ぎ任命であり、「ミュンヘンからの遠隔操作」と各与野党の退陣劇への批判は強いが、新経済相は直にバイエルンの銀行やタイヤのコンチネンタル社を乗っ取った車部品会社シェーフラーへの公的資金援助の問題などは直ぐに決断を迫られている。

総選挙を睨みながら遺産相続問題や減税などで独自色を出してアンゲラ・メルケルの大連合を中から揺さぶり続けてきたバイエルンのキリスト教社会主義政党が更に進めて行くのは、新社会市場主義経済構想である。新経済相は、この第三の道をして「資本主義と社会主義の中間物では決してなく、独自の価値を持つもの」として、尚且つ「行政の不必要な干渉」を諌めているので、懸案の判断にも期待ができる。

グロース経済相は、ミュンヘンから首相に圧力を掛けるようにライヴァルであり政治家として後輩の「トラック運転手の倅」から指令を受けていたようだが、経済省内の掌握も十分でなかった上に、アンゲラ・メルクルの手下となってしまっていた事から、社会民主党のシュタインブリュック財務大臣の影に隠れた政策しか打ち出せなかったと言われ、幼くして亡くした父親の十分な財産を受け継いだこの政治家も写真で見せる病的な老けた顔でライヴァルに弾き出されてしまったようである。



参照:
週末に働いていた人たち 2009-02-10 | 歴史・時事
リースリングに現を抜かす 2006-01-23 | ワイン
まだ言論の自由がある? 2006-02-17 | BLOG研究
ワイン三昧 四話2007年 2007-10-10 | ワイン
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週末に働いていた人たち

2009-02-10 | 歴史・時事
雪が舞っていた。週の後半には暖かくなるらしいが、寒暖の繰り返しは結構体調を崩し易い。英国にもまだ雪が残って凍った上に雪が乗っていると言うから五十年振りほどの寒波らしい。

ベルリンの経済相グロースが辞職して、後任候補に外交専門のツ・グッテンベルクなどの名前が一時出たので驚いた。ポストメルケルのその時期によっては、一挙に浮上して来そうな勢いである。オバマ選挙関連のTVなどで見る限り若い割にはそれほど饒舌だとは思わないが、ヘッセン知事ローランド・コッホなどの浮ついた喋りなどよりも遥かに信頼感を得るに違いない。

先週の土曜日にはピウス教団のドイツ代表シュミットベルガーが、嘗ては一時期ながらコンスタンティノスが西ローマ帝国を支配した大司教区トリアーの郊外型の新興商業地の中にあるピウスの礼拝堂で一時間半にわたって演説したとある。そうしたみすぼらしい馬小屋が悪い訳ではないが、たった四十人にも満たない殆どが老人の前で一時間半も遠くを見つめながら説教をたれたとある。

そのような場所からは大分離れた旧市街地の中心にある ― カール・マルクスの生家に近い ― ドームは、アルプス以北の最古のカテドラルであり、そこにはキリストの縫い目の無い腰巻が納められていて、只唯一の教会を表すと言われる。

アンゲラ・メルケル首相は、日曜日に教皇と電話で会見したようだ。
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どちらが七十年先に旨いのか

2009-02-09 | ワイン
ドイツで最も高名なシュペートブルグンダーの地所アスマンハウゼンのヘーレンベルクと、世界で最も評価の高いピノノワールの地所ロマネコンティとの古酒の飲み比べが行なわれた。

そこで出されたものがラインガウ側からは、1960年から1990年までの所謂砂糖水添加によって出来上がった べ と べ と したワインを除いた、1950年以前の1920年に至るまでのワインである。

ブルゴーニュからは、1928年ジュヴレ・シャンベルタン・モロー、1923年、1935年ロマネコンティ、1952年リシュブール、1957年ラタッシュなどである。

そのなかで古いシャンベルタンなどと50年代のものを比べると、明らかに新しいものの方に軍配が上がるようで、やはり飲み頃を過ぎてしまうと弱ってしまうのは当然であろう。

またアスマンハウゼンの方では、驚くほど新鮮で果実風味豊かな53年の一方、59年ものは複雑で豊かな香りが押さえられているようで、52年とか35年がミント風味が強く、37年ものが驚くほど角が取れたボリューム感があるという。

さて、それに対してこれら十種類の最高級のワインから、アスマンハウゼンとブルゴーニュを比べると、35年のロマネコンティは鼻につく含蓄はないものの典型的なボディーにハッキリとしたサクランボ味にまろやかで多層な香りが拡がり、アスマンハウゼンの37年物とは品質的には比較出来ても、全く異なるワインであると誰でも直に気が付くと言う。

傾向としては、ブルグンダーが複雑なボディー感と酸の少ない量感でやや優位と結論付ける。それでも、最終的にこの二つが比較対象中「最高のワイン」の評価を分けたようで、ドイツの大勝利と歓声が上がる。

この書き手ユルゲン・ドラーゼが言うように、この結果は英国の評論家ジャニシス・ロビンソン女史の評価と変わらないのだが、「ドイツの赤ワインがまだ土壌毎の差が出ていないとの批判」と、「一部に見られる市場に先行した高額な価格つけへの批判」に答えるのがこの試飲のそもそもの目的でもあったと振り返る。

そこで生産者としてベッカー、マイヤーネッケル、フーバー、クニプサー、レープホルツ、シュトッテン、アデナウワー、フュルストウムなどを挙げている。少なくとも上の中で知っている四五件はそれほど特別な地所を保持していない筈だ。

なるほど、アスマンハウゼンの地所は深い色のタンニンの強いシュペートブルグンダーが出来るのは分かっているが、それほど力があるとは思わなかった。

いづれにしても、1990年以降現在までのドイツ赤ワインの環境の進化は、その葡萄において著しく、葡萄の幹が試行錯誤の末与えられた条件にて年輪を重ねた暁には、その質においてフランスのそれを抜く可能性は小さくない。なるほど、そうなると現在のドイツのシュペートブルグンダーは、最高級と言えどもまだ平均一本30ユーロほどならば、買い時であるだろう。

それはまたこの試飲の目的であったのだが、英米に支配されているワインジャーナリズムのカテゴリー付けに収まらないシュペートブルグンダーへの表面的な理解を解くために、その熟成のポテンツを比べたのであった。

先日二本目の2007年産シュペートブルグンダーを開けたが、僅か10ユーロのクリストマン醸造所のハウスワインが獣臭さのスパイシーさを醸し出していて、二日目以降もしっかりとしていたのには驚いた。

それでもその複雑さや多様さにおいて、決してピノノワールの亜流である必要はない一方、ドイツのシュペートブルグンダーがグランクリュ・リースリングを抜くことはありえない。同じ値段ならやはりリースリングのグローセス・ゲヴェックスの方に価値があるだろう。



参照:
Der Kampf der Rotwein, Juergen Dollase, FAZ vom 7.2.2009
二度目のクリストマン なぜか赤...... (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
日出鮓にて
たまにはよく冷やしたシュペートブルグンダーを
ウチのシュペートブルグンダーときたら
振り返りギツネの赤ワイン
果実と花とバランスと
過ぎたるは及ばざるが如し?
また飲み急いでしまった...
フーバーの村名ワイン (新・緑家のリースリング日記)
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純潔に熱く燃えるピュイス

2009-02-08 | マスメディア批評
ピュイス十世教団のホームページなどを訪ねた。もう一日早ければベルクシュトラーセまで車を走らせて、寄宿学校少女が演じるゴルドーニの芝居を観ていたかもしれない。今話題の教団が少女寄宿学校を運営していて、十一歳から十九歳までの少女を寄宿生活させて教育している事を知った。

独第二放送の夜のニュース枠「ホイテユルナール」で寄宿学校について紹介されたと知って早速ネットを探すと、既に西部ドイツ放送で、ローカルニュースとして詳しく放送されていることが分かった。

結論から言うと教団そのものが大変批判的に紹介されていて、礼拝所の近隣のカトリック教徒の間でもすこぶる評判が悪い。教団の世界組織の規模やその実際を近辺の教会などの様子から知ることが出来たが、驚いた事に最も近いトリエント風祭壇は去年の秋頃試飲のついでにたまたま通りかかって、その説明内容などにおかしな印象を持ったので良く覚えている。

通常の民家が教会に改造されていて宗教活動をしているというセクト色が如何に強いかはその時の印象通りで、上の放送のインタヴューにも信者などが顔を一切出さないので肯定的に語る者は居ない。それでも寄宿学校内の映像や少女達へのインタヴューの記録映像は残っていて大変興味深い。

基本的には躾の厳しいスイスなどにもあるような寄宿学校であるが、ドイツ人を中心に全員で百人ほどの少女達が欧州全域から集っている。宗教母体がピュイス教団であるから、ラテン語の歌謡など戦前 ― トラップ家のマリアか? ― であったなら通常のことだったろうが、ここで扱ったカトリック教徒アデナウワー首相政権下の再現された授業の時代を最後に、現在は決して権威におもねることのない自由民主主義的な教育が連邦共和国の教育の基本となっていて、それは上の学校に断り書きとして新たに付け加えられている。

そうした配慮から見ても社会的にかなりの圧力がかかっているように思えるが、それは厳格なカトリック教育の中心にある「性の抑圧」にあるように、どうしても禁じられば禁じられるほどの「エロスの高まり」の喜びに満ちる絶頂に達するとするあまりにも肉感的で、知的な深みを帯びない抑圧のマゾヒズムと一部終末観に囚われた宗教感がそこにあるのは否めない。

教育効果や教育目的が異なるのは当然かも知れないが、婚前交渉の禁止と処女性などを19歳の少女が語るのは殆ど猥褻で現在の連邦共和国の公序良俗にそぐわない。

今回の事件は、文化的には「気のふれた英国国教会からの改宗カソリック者の戯言」に左右されるものではなくて、「キリスト教界においても伝統主義とか呼ばれるセクトはなんらユダヤ教やイスラム教の原理主義者となんら変わらないと広く知らしめたこと」に違いない。

例に挙げるのは如何にも気の毒だが、ピュイスの少女達の被る頭巾とユダヤのキッパとイスラムのヒジャブと何処に差があるのだ?ジーンズは駄目で膝が隠れるようなスカートしか履かないのはなぜなのか?腹を出しても、ピアスを入れた臍を見せても、ローライズでパンツを見せてもいけないのも、男が排他されるも皆同じではないか。トルコ大統領が提言するドイツ・イスラム教育学校の成立を許さない根拠は一体あるのだろうか?

今回の事件にて、ベネディクト十六世の判断への不支持は七割を越えてしまったが、問題となるピュイス教団自体も破門解除と同時に表面に出てくる事で対外的なイメージだけでなく閉じられたセクトの中で弾圧と使命感のようなものを感じていた信者を失うに違いない。専門家によると、教会の2000年の歴史の中で邪教や異端の破門から元の鞘に収まった例はないと言われる。

勿論ここで興味深いのは自由化したローマ教会がこうしたセクトを迎え入れる大らかさこそがヨハネ・パウロ二世の成果であって、そこに世界に普遍性を示す大宗教団体然とした風貌を見せたのだが、こうしたセクトは全く正反対な将来像をもっているのがドイツピュイス代表のシュミットベルガーの言葉として語られていることだ。この辺りにベネディクト十六世の教皇としての政治的戦略が見え隠れする。当然ながらヨゼフ・ラッツィンガーにとっては、痛恨のシスマを癒し尚且つその傷跡を自然治癒させることになるのだろう。

聖職者の妻帯を必ずしも禁止せず同性愛にも現実としての法的対応の必要を説くフライブルク大主教ツォリッチュが、「ウィリアムソンの破門要求」をビルト新聞で改めて語ると同時に、レーゲンスブルク司祭ミュラーは、前言を訂正しないウイリアムソンの廃業を求めた。

信者や国民の世論を探りつつ様々な声が聞こえ、それによって新たな世論が築かれて行く様子は、通常の政治とは異なり信仰においては更に性的な反応として反照されるのでなかなかスリリングでさえある。

冒頭に書き忘れたが少女巡業劇団が宝塚宜しく男装して演じるのは「大嘘つき男」と笑えるに笑えない芝居のようである。



参照:
VIDEO: Alte Ideale, Viel beten, wenig mailen (LokalZeit, WDR)
Sankt - Theresien - Gymnasium Schoenenberg
Priorat Heilige Familie (Neustadt)
Sign the letter of support for the pope Benedict XVI !
Das reicht nicht; Die Piusbruderschaft ist mehr als der Fall Williamson,
Christian Geyer, FAZ vom 5.2.2009
伝統への偉大なる妄想 2009-02-07 | マスメディア批評
シスマの危機に脅える教会 2009-02-05 | 歴史・時事
疑似体験のセーラー服 2005-06-12 | 歴史・時事
エロ化した愛の衝動 2007-01-04 | マスメディア批評
純潔は肉体に宿らない 2007-10-28 | 文学・思想
反照に浮かび上る世界観 2008-12-21 | 歴史・時事
なぜ頭巾先生は駄目? 2008-12-20 | 文学・思想
自由民主主義への忠誠 2008-03-14 | マスメディア批評
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん 2004-11-06 | 歴史・時事
高札撤廃後のキリシタン (CREDIDIMUS CARITATI)
テッド・ハガード元牧師が同性愛を拒絶 (虹コンのサウダージ日記)
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伝統への偉大なる妄想

2009-02-07 | マスメディア批評
言葉は良くないが、教皇ベネディクト16世はまたもや袋叩きにあってしまった感がある。それ故に、伝え聞くところによると昨晩のTVメディアなどは、ヴァチカンの反応を受けて、教会に肩を持つ報道が多かったようだ。

今回の破門解除の件は、ヨハネ・パウロ二世の命のもと、伝統主義一派ピウス十世の会を起こしたルフェーブル司教に対して、1988年春問題の四人に対する祝福を思いとどませるようにとの説得が受け入れられなかったのが大司教ラッツィンガー本人であることを聞くと、教皇にとってもヨゼフ・ラッチンガーにとっても如何に宿命的な事件であったことかが知れる。

2005年78歳での最高位への就任後の夏には、ハンス・キュンク教授との再会に続いてピウス代表であるベルナール・フェライとスイス西部で会見しており、今回の破門解除もフェライ氏の宣誓書が根拠となっているよと言う。ヴァチカンのスポークスマンは、問題のウイリアムソンの「主義主張」に教皇は関知していなかったとしているが、「伝統主義」のその背後にある考え方は知らない訳がないとするのが大方の見方である。

批判後の水曜日には、教皇は「ネロの5年間」の立役者哲学者セネカとパウルスの話を披露したと言われるが、それは今起っている事象に関する示唆に富むお説教であり、神学的な継承の説明であり、大変興味深く尚且つ教育的な内容であったに違いない。

この際とばかりに、「普通の人」に戻れるものやらどうか知らないが教皇の退任や、本の執筆ばかりに勤しむ教皇の管理能力までが問われるとなると、その著書のファンである者としては気の毒になってしまうのである。

そうした個人的な憐憫の感情以上に、保守的な心情を持つ多くの者が親近感を抱いて希求していた権威の上に立つ伝統主義自体が「表面に出てくる途端に恐ろしく脆弱なもの」であり、それを「原理主義者然として崇める輩が如何に馬鹿に見えるか」と、今回気付かされたその文化的な意味合いは、「その母体である堅牢な筈のカソリック教会が実はシスマに苛まれていたことが内外に示された」こと以上に大きいのではなかろうか。

解除された四人の実際の公的な教会内での職務はウイリアムソンを含めて保留されているようだが、これら伝統回顧主義派が為したことは「教会権威の矮小化」でしかなかったのは、どこかの国の安物の首相などの「美しい国」の主張の張りぼて化にも似ていて笑えない。

そしてユダヤ人協会の方は、自らがそうした伝統主義の上に立って初めてアイデンティティーを発揮できることを熟知しているので、ローマンカソリック教会には理解がある。寧ろ、「病気」の伝統主義者と呼ぶプロテスタント協会代表のフバー牧師らの考えはユダヤ原理主義とは相容れない。

信仰の自由の「自由思想」、教会の仲間の「公平」、宗教間対話の「博愛」を、永遠の教会の敵と見做して、ユダヤ人からフリーメーソンを越えて民主主義までを、神無き現代に屈服するものと考えるのがこれら伝統主義者と表される。*

要は時間は不可逆であって、またこうしてバイエルンやシュヴァルツヴァルトやフランスのイタリアの如何なる片田舎の農夫にも、その「伝統の権威」についてそれ以前には生まれなかった一顧を与えるに違いない。これは、ヨハネ・パウロ二世からヨゼフ・ラッチンガーへと引き継がれた旧教の近代化への思いに他ならないようにも思われる。

一方、今回の問題を現世の日常政治に取り込んだアンゲラ・メルケル首相に対しては賛否両論あるが、この女性政治家が東独の社会主義国家の偏屈なプロテスタンティストであった事を有権者の前にあからさまにした価値は大きい。彼女の発言の主旨やその目的に関しては、「ナチスドイツの反省」を国の是としてまた外交手段として最も有効に活用して来たドイツ連邦共和国の首相として正しいとされ、また水曜日には選ばれたフライブルク大主教ロベルト・ツォリュッチュに電話して自らの「懺悔」とすることで細かな配慮をしている。その反面、教皇に対する要求という形で、教会とドイツの政治的力比べをビスマルク宜しく試したことは、ある意味ヨゼフ・ラッチンガーが取る修辞法にも似ていて、対外から見るとどちらも「典型的ドイツ人風」と映るに違いない。

ドイツ人の教皇には、指先感覚の対応が求められたが、一連の教皇の言動にはその背後に即物的な思考態度があって、殆どプロテスタント的と言っても良いかもしれない。やはりポーランド人の思考態度が良く出ていた前任者の方が世界組織を牛耳る任には適当で表面上は津々浦々までなんとなく分かり易く映ったに違いない。

さて問題のウイリアムソンへの訴追は、スェーデン放送のインタヴューがレーゲンスブルク郊外で行われたことから、ドイツの国内法に問えると言うことなのだが、早速依頼を受けたドイツの弁護士は、「本人がドイツでは放送しないと言う条件を付けて語ったので、公の場での発言に値しない」として戦うようだ。あまり反論の根拠は強くないように思われるが、有罪となってもリチャード・ウイルソンには前科がないので罰金刑で済むだろうと言われている。

もちろん、ああした人間であるから、教会から求められている「誤解のない弁明」にて、過去に繰り返した前言を総て撤回できる筈もなく、また何を言い出すか分からないと、これまたどこかの自衛隊の頭のような按配になって来た。秘蹟ではないが、表に出せば出すほど曝されば曝されるほどありがたな効果はなくなって、ただ呪われるだけなのである。



参照:
Der Brueckenbauer, Daniel Deckers*,
Der Papst und Bischof Williamson, H.J.Fischer,
„Roms Vorgehen passt ins Bild“, Wolfgang Huber, FAZ vom 6.2.2009
シスマの危機に脅える教会 2009-02-05 | 歴史・時事
純潔に熱く燃えるピュイス 2009-02-08 | マスメディア批評
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初印象は香ばしい旨味

2009-02-06 | 試飲百景
2008年度産のワインを初試飲にフォンブール醸造所へ出かける。その前に、受け取った案内の大変分かり難さを苦情しなければいけない。

一つは、文章の中での言葉の使い方である。アップフューラーはなるほどワイン愛好家にはお馴染みの言葉であるが、こうした高級ワイン醸造所の固定客層にとってはエアツョイガー・アップフュールングつまり自家栽培の葡萄でのワインしか意識にないのであって、これを態々買いつけ葡萄で醸造して瓶詰めしたと言われなければ、同じ事を意味するアップフューラーには元々興味がないのである。

これに関しては、ドイツワイン法の正式な表示に従ったと言うが実際はどうなのだろうか。それに対応して、ワインリストにはもはやヴァイングートつまりワイン醸造所の表示は消えて、ヴァインハウスと言う我々にさえ耳慣れない言葉が登場している。

これが意味することは、なにも自家製のワインだけでなくどんなワインでも瓶詰めして売りますよという事になるのだろう。勿論、買い付け葡萄を醸造して瓶詰めしても良いのだ。

そのような苦情に対する言い分けを聞いてから、既に売りに出ているワインを試飲する。先ず最初にリッターヴァインであり、去年までは6,50ユーロで売っていたものが、今後は業者に優先に売るとして7ユーロに値上げしている。

それでも新しいリースリングが試したくて、喉からつい手が出てしまうのである。辛口から試すが、酸の質は昨年度よりもやや丸い感じであるが似ていないことはない。そしてなによりも感じるのはスパイシーな味の面白さで、2007年産にはなかった特徴である。未だ開いていないリースリングなのでまずは家でゆっくり試してからである。

その次の半辛口の方は、酵母臭さは仕方ないが、非常にバランスが取れていてなかなか口当たりが素晴らしい。比較的単純な味の傾向なのだがやはり香ばしさが美点となっている。

双方ともダイデスハイムからニーダーキルヘンにかけての地所の葡萄という事でレッテンとかの地所の味わいに似ている。しかしなかなかミネラル風味もあって、ゲオルク・モスバッハーの4ユーロのリッターリースリングとはやはり質が異なる。

その次にヴァイスブルグンダーを試すが、若いだけに酸が良く効いていて欲しいと思うが、0.75L瓶で8ユーロは高過ぎる。グラウブルグンダーも同じような傾向でなかなか噛める味わいは秀逸なのだが、これも同じ様に高額である。

兎に角、今の時期谷にある2007年産リースリングで一本6ユーロ出しても7ユーロ出してもあまり食指が動かないが、先ずは初物の新種はやはりとても嬉しい。高いとこぼしながらも、先ずは三リットルを購入して、来週以降のQbAリースリングの試飲に備えるべきだろう。

2008年度リースリングの初印象は、スパイシーな旨味と一先ずしておこう。断然食欲が湧いて来る。
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シスマの危機に脅える教会

2009-02-05 | 歴史・時事
「ヴァチカンの伝統派問題」は収まらない。メルケル首相が、「明白にさせない限りこのままではおかない」とベネディクト十六世に、「ドイツ・カトリック教会からの声」を代弁する形で言明を求めた。

なるほどネットで見られる限り、今回の破門解除で最も話題となったリチャード・ウィリアムソンの発言は見逃すにはあまりにも大胆で横着過ぎて、修正主義者と呼ばれてもおかしくはない。その中に映画「サウンドオブミュージック」批判まであって保守派の琴線に触れるようなものが混じるのが超保守派の特徴であろうか。

そしてこれらの考え方は、破門解除された1988年にルフェーブルの手下とされる超保守派グループ「ピウス十世司教団」に共通している。それは、ピウス十一世が1928年に閉め出した改宗ユダヤ人のための一派「アミチ・イスラエル」、要するにユダヤ民族との親交関係の破棄にも表れている考え方で、第三帝国を準備していたと見てもおかしくはない。

今でもクリスタルナハトと呼ばれる1938年11月に教会は一日中鐘を打ち鳴らすべきだった言われるが、結局は沈黙を守り通して1939年にそのピウス十一世を継いだ十二世が、1942年のクリスマスにラジオにて「虐殺を警告」したときには、既に時遅しだったのである。その後、ローマ周辺のユダヤ人をあらゆる手を企ててSSから保護したとしても一体なにになったのだろうか?

ピウス十二世は、ヒットラーが悪魔につかれているとしてエクソシストを派遣して追い払おうとしたようだが、結局果せなかったとされる。

こうして、教会への信頼は現在も続く情報の開示の不十分さを伴って薄らいでいるとされるが、第2バチカン公会議における現代化への反動勢力としてピウス十世の会FSSPXがルフェーブル司教によって設立され、そのようにして求められた教会の普遍性が皮肉にも今日こうして危機を導いている。

教皇としては、超保守派の復帰をもってポストモダーンな社会に対応して行くつもりであったのかもしれないが、結果的には自らの地元であるバイエルンのドイツ連邦の、またユダヤ人団体の政治的な干渉を直裁に被る事になり、本日のラジオが伝えるところ、「リチャード・ウィリアムソンの真意を質す」どころか、「破門の撤回を再撤回するだけ」では事が済みそうでなくなって来ている。

今後どのような処置をヴァチカンが講じても、レーゲンスブルク騒動の時以上に、教会内でのまた社会での影響は大きいと考えられる。そしてその先に見えてくるのは、ヴァチカンが最も恐れている教会分裂という事態であり、もし再撤回をしない限りユダヤ人団体の声を背後にドイツ連邦政府は干渉し続けることになり、万が一ヴァチカンが明白な答えを出さない限り、「伝統的な教会税の方法からライシテへと進むのも一つの方法であるかもしれない」とすら考えさせられるのである。



参照:
Vatikan fordert Williamson zum Widerruf auf (tagesschau.de)
Deutsche Bischöfe: Kritik am Papst - und an Merkel (BR-online)
RICHARD WILLIAMSON (sueddeutsche.de)
Vatikan weist Merkels Kritik zurück (FAZ)
Rechtsextremisten feiern Holocaust-Leugner Williamson (Spiegel)
聖ピオ十世会(SSPX)カンザス・シティーで司祭叙階式
聖ピオ十世会総長フェレー司教様インタビュー (CREDIDIMUS CARITATI)
主日の静けさをブチ破るスマッシュヒットかも (Tant Pis!Tant Mieux!)
ラテン語ミサ典書が復活 保守色を深めるローマ法王 (叡智の禁書図書館)
教皇の差し出す巨大な鏡 2009-01-31 | マスメディア批評
強かで天真爛漫な振舞 2007-03-19 | 女
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水で飛ぶかリャン・エアー

2009-02-04 | 雑感
リャンと言っても極東アジアの賭け事ではない。EUで有名なディスカウントエアーライン・リャンエアーのことである。

スタンステッドからお客さんがこれで空飛んでくる予定であった。結局、18年振りかのイーストアングリア地方の積雪で、乗り遅れてしまったようである。その原因は十分このエアーラインにあると想像する。

要するに、先にもポーランド人が実家へ帰省する時にフランクルト・ハーン空港から西プロイセンへとこれで飛んだが、その一万円もしない往復料金に飛び立つまでの交通機関の料金や到着後の目的地までの料金を計算して、あまりにも厳密に計画を立てないことにはこのエアーラインは使えないことが分かっている。タクシーでも使えばその往復料金を軽く越えてしまう。

あまりにも早い時刻の出発とか、あまりにも遅い時刻に到着するのは所謂インタ-ナショナル空港ではなく、地方自治の小さな空港で、そのアクセスも劣悪なものが多く、大都市名を名乗るのは殆どまやかしのような飛行場とつるんで飛行機を飛ばしているとしか思えないほどである。

勿論その中ではスタンステッドは、今やケンブリッジなどやロンドン北部に近く結構便利で立派であるが、15年ほど前にの空港へのランナバウトで一時間以上も出入り出来なかったことを思い出すと、それほど機能性は良くないと想像する。

今回、到着する飛行場を調べて驚いてしまった。なんとライン河が殆どオランダへと流れこむ場所のヴェーゼという村外れに飛行場がある。デュッセルドルフから八十キロもある。

フランクフルト・マインの飛行場からハイデルベルクも同じような距離にあるが便利さが違う。なんと言ってもロイヤルエアーフォースの基地があったところに失業対策として使われている飛行場とは恐れ入った。スタンステッドとヴェーゼ間を往復していたパイロットが引退して今リャンエアーを操縦しているのではないかと思う。

陸上のパーソナルを削減して、尚且つ中小型飛行機のエンジンの冷えない内に次の目的地へと風に乗って飛んで行く運行は、時間外の飛行で管制官も空港使用量も殆ど省いているのではないかと思われるほどである。ヴァージンなどよりもどれだけ効率を上げていることだろう。

こうした運行であるから使う方もかなり研究した通でないと使いこなせないように思われる。今回も雪でチェックインが殺気立っていたというが、こうした飛行機を使うにはかなりの時間の無駄を計算に入れておかなければならないようで、もし仮に無事ドイツに上陸していたとしても二時間近くはバスを待たなければいけなかったとネットを見て分かった。英国の自宅を朝5時に出発して、デュッセルドルフには早くとも12時過ぎにしか着かなかったのである。時差を計算すると所要時間6時間、飛行時間一時間半である。

嘗て、ここからケンブリッジまでフェリーに車を載せて走っていた頃で九時間ほどの所要時間を計算していたが、デュッセルドルフからならばもう少し早かったかもしれない。要するに、飛行機の方が格別早いのは特別に料金を支払った場合だけである。

また快適さから言えば所要時間が早い分楽なのであるが、違う意味での快適さは車の方が遥かに快適でありえる。千キロを往復すればそれなりの車なら二千ユーロの経費を考えなければいけないので、二千ユーロも出せばファーストのないファーストクラスに登場できるのも事実で、やはりこれと百ユーロ以下の差は甚だしい。標準料金で900ユーロぐらいだと、やはりある程度の経費のかかる車ほど快適ではない。しかし、片道千キロを飛ぶとなると飛行機でなければ日帰りは不可能である。

さて、次ぎはこれだけの授業料を払ったのであるから是非フランクフルト・ハーンに飛んできてもらい、マインツまでバスで出るか、こちらから飛行場まで迎えに行くかして、この安いエアーラインを利口に利用して欲しいと思う。しかし、到着出来るかどうかは最後まで分からない。

ポーランドのグダニスクの近くに飛んだ上記女性に言わせると、水を持ち込めないのに空気が乾いて喉が渇くが、総て有料なので大変不便と零していた。まさか飲み水の料金で飛んでいるとは信じられないのだが。そしてこうして二重に金を取って座席を埋めているのだろう。とにかくEUの遊覧飛行機を自分の目的に合わせるぐらいの心構えで飛ばないといけない。

こちらもケルッチュビーアにライン風料理にオーデコロン、デュッセルドルフ散策や魚料理などとそのような口になってしまっていたのだが、今夜はシュペートブルグンダーでも開けて慰めとするしかない。
コメント (2)
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ちびちびとはちきれる

2009-02-03 | ワイン
天気は良かったが冷えたので、週末は外出しなかった。家中インフルエンザに罹ったと言う人と土曜日に一緒にいたので危ないと思ったからである。月曜日もどうもさえないので、思い切って散歩に出かけた。

日差しは強く、陽が長くなって春らしいが、地面の水溜まりは凍ったままである。一時間も歩くとぐったりした。帰りには腹が減り、何を食おうかと頭が一杯になる。上等な考え事どころではないのである。

それでも先週手に入れたビュルックリン・ヴォルフのグーツリースリングという最も手軽なものが手元にあると言うだけで食欲が湧く。2007年産の単純なものは今や谷底で美味しくないのだが、それでも先日まで良く飲んで飽きたゲオルク・モスバッハの6ユ-ロのそれとは異なる高級感が嬉しい。本当はスウェーデンの業者に買い取られたオルツヴァイン・ヴァッヘンハイマーが欲しかったのだが仕方ない。

蔵出し価格は8,50ユーロであり、フォン・バッサーマンヨルダン醸造所のライタープファードと同じ価格帯である。それならば後者を取るところだが、そこは安く別けて貰うと、断然興味深くなる。それでも若干の残糖感があり残念なのだが、今時期としては無難な選択に違いない。

これに特大のザウマーゲンを焼いて、ピーマンの炒めたものを付け合せれば、なんとかインフルエンザ禍を逃れる事が出来るだろう。ちびちびと飲んでいる内に食欲が満ち溢れ出してきた。
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地域文化の快適行軍

2009-02-01 | アウトドーア・環境
ダーウイン特集と行きたいところだが未だ調べ不足である。そこで、先週の今日のハイキングの想い出でも綴りたい。

想い出と言っても、特に若い可愛い子ちゃんがいたどころか、平均年齢は五十を確実に越えている三十人ぐらいの参加であったので、特に想い出しても気持ちが浮かない。かと言って気持ちが沈むものではなく、むしろ17.2KMを四時間十五分掛けて歩く運動はなかなか清々しいものであった。

何度も誘われながら今回がはじめての参加であったが、我がアルパイン協会支部が毎月主催して地元紙でその都度参加者を公募しているだけに、ある種の公共性と言うか地域文化性を持っていて興味深い活動である。地元にはプァルツの森協会もあって道路や道標の整備などに当たっていて、ドイツの森のヴァンデルング運動の歴史的な推移さえ感じられる。

今回の引率者の中にも掛け持ちをしているような専門家がいた。我々からしてもあれだけの人数を日本の新幹線並みの通過予定時刻通りの行進をさせる力は、やはりどこかでプロシアの軍事教育的な基盤があると思わせ、実際に国防軍で徴兵で行進の経験もあるのだろう。私のような初めての新顔を入れて落伍者無く到着地まで無理なく引率するのはやはり素晴らしい。

行きの汽車の中から南ワイン街道のビルケンヴァイラーのカスタニーエンブッシュの貝殻石灰のワイン地所や反対側に見えるジーベルディンゲンのレープホルツ醸造所の地所の近くの雑食砂岩の話などをしながら、谷の入口にあるトリフェルツのアンヴァイラーから山に入る。

途中、深い谷の底に光る凍ったせせらぎはこの辺りの風景としてはダイナミックであった。

その後尾根筋を越えて再び南下して、ワイン街道の方へと戻りランドエック城からカスターニエンブッシュの方を北に見て、豚の上腕「ハクセ」を貪る。七ユーロ一寸であった。流石にここまで来るとアルザス名物のフラムクーヘンが名物なのである。

帰り道におばさんがこけた様だが、バスで出発点のアンヴァイラーの駅まで戻って、ランダウ乗換えて、ビルケンヴァイラーで飲んで帰りの右翼の親父に出会ったのであった。



参照:
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