Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

経営不安の独占企業

2011-06-13 | 歴史・時事
祝日一日目は天気に恵まれた。岩場の上からの360度のパノラマは見事だった。一角にはマーデンブルクの奥にフィリップスブルク水蒸気塔を眺めた。30KMどころか25KM圏内であろうか。古い一号機は福島のおかげで即停止されたが、二号機のMOX燃料は今も燃えている。事故などはどんなことをしても起こさせてはいけないのである。

中部電力が災害の負担金を出さないという。稼動中の原発が無いから猶予しろという主張らしい。稼動中でなくても使用済み燃料が十分に冷却されていない限り必ずしも安全ではないことを学んだ。さらに死の灰の処理にはなんら手立ては無いのである。

許認可を受けた独占企業が経営上の問題を主張するならば許認可を返上して自由な市場に委ねれば解決するのである。上のような主張をする中部電力はそれだけで即解体させるべきである。共産主義国が解体して行ったその状況を知っている我々は、もはやそこに議論の必要などを感じないのである。



参照:
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
裏町のパブリックな対応 2008-02-18 | 試飲百景
原発の水蒸気塔の見える町 2011-04-09 | アウトドーア・環境
フランスにおける福島の影 2011-04-24 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再生可能な環境税の導入

2011-06-11 | アウトドーア・環境
大阪でのデモ行進の規模が膨れ上がったと聞いた。関電が節電で顧客を脅迫したから、その反発が反原発機運に向かったのだろうか?

昨日触れた「複雑な課題」は、三月にも扱った。自然エネルギーという用語が示すいかがわしさそのものなのである。一体、脱原発によって得られる自然エネルギーなどあるのだろうか?やはり再生可能エネルギーが正しい。

焚き火を増やして、木を伐採して、二酸化炭素を排出すれば、産業革命前期のように一挙に空気が汚れて、空気汚染などで公害が世界を包み込んで、健康な生活などは出来なくなるのである。

再生可能エネルギーとして最も有名なのはバイオエネルギーである。すでに実用化が進んでいて、ほとんど毎回二割がこのバイオエタノール入りの燃料を自動車に注油している ― 既に何も明示されていない95ハイオクなどにもこのバイオエタノールが混入しており、純粋なガソリンは嘗ての鉛入りのように特別な付加価値がつくようになっている。

植物として伐採されエネルギーとしてそれから出る二酸化炭素も、それを使わない場合と比べて地上に余分に付加されないので再生可能エネルギーとなるのである。

同じような意味で自然エネルギーというのは存在しないので、如何に地下などから掘り上げて来て、新たに大気中に二酸化炭素などを増やさないかが重要なのである。

もし仮に死の灰を一億年も地下に埋めておけば再びウランやプルトニウムなどとして使用出来るとなれば、その安全性は別にして再生可能エネルギーとして認められるであろうか?

一般的に再生可能エネルギーと呼ばれるものは、風力を使おうとも地熱を使おうともその運動形体やその位置エネルギーなどに係わらず、工業的な技術と生産で利用されるエネルギーなので、自然エネルギーなどとして想像されるような自然とは隔たったものである。

無為自然などと呼ばれる考え方があるが、まさか霞を食べて生計を立てているといわれる仙人ではないので、そもそもその「自然」の日本語への翻訳の問題なのであろう。

再生可能エネルギー自体の発想よりも、容易に原子力発電を押し進めた二十世紀の文明がすでに過去の遺物となっていて、如何に新たなエネルギーへとシフトしていくかは最も新たな文明の創世に関わっているに違いない。

それゆえに脱原発という自明の現象自体には意味が無くて、再生可能エネルギーへの移行を促す社会の整備のために、あらゆるエネルギー消費から環境税を数パーセント徴収して、その財源を全て再生可能エネルギー開発へと投入する政策こそが重要なのである。

緑の党との連立のシュレーダー政権で導入された環境税の負担は消費者にとっても今だに大きいが、少なくとも風力やその他の新しいエネルギーの産業を軌道に乗せて、少なくない雇用を生み出し、輸出超大国であるドイツ連邦共和国の国際競争力を強化した。

節電やエネルギー消費の削減を訴えかけるよりも、税をかければ目的を達成出来るのである。特に原子力エネルギーには「相当の税」をかけるとなれば即時原子力発電事業から撤退するしかないであろう。



参照:
勝手に風呂敷を広げる面白さ 2011-03-09 | BLOG研究
それでも安物レタスを買う 2011-06-10 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それでも安物レタスを買う

2011-06-10 | 生活
スーパーで二種類のレタスを見つけた。驚いたのはBIOコーナーにあるそれが割引になっていて思わず手が伸びた。そうした付加価値商品が割引になっていることは通常は無いからである。

そしていつもの場所には普通のレタスが同じ値段で置いてあるのが直に目に入った。

同じ安売り価格で、同じドイツ生産品で付加価値がある商品とそれなりの商品が並んでいるとなると、さてどちらを選ぶか?

私自身の場合はほとんど時間がかからなかった。いつも購入しているように安売りのレタスを購入しただけである。もちろん、BIOが安くなっているのはO104の影響と直に気がついた 。

安いからといって危険性の高いBIO商品を購入して万が一の自体を恐れたのである。平素に買わないものを火事場泥棒のようにして安く入手することが躊躇われたのと、危険性の上昇の二点でが選択を決した。

もし平素からBIO商品を買い続けていたらどうだったろうか?消費傾向とその選択過程のスタディーでもあるのだが、実はもっと複雑であると思っている。

3.11前に考察したことは、環境の捉え方であり、もう一度誰もが考えなければ行けない課題である。ドイツ人に分かって、日本人にはそれが飲み込めないのはどうしてだろう。

6.11反原発運動の盛り上がりに期待している。脱原発への現実的な対応は幾らでもある。要は、全く将来性の無い原子力発電を過渡的な技術として認識して、将来を定めて行くことである。利権とか許認可に伴う体制を決して許してはいけない。

関西電力が「電気足らん詐欺」を繰り広げているようだ。放送局に圧力を掛け、地方住民を買収しているこの悪質な寡占企業の最大の株主は大阪市と聞いた。大事故を起こす前に一刻も早く解体してしまうべきだろう。



参照:
否定に躍起となる米報道 2011-06-07 | マスメディア批評
もやしと呼ばれるカイワレソウ 2011-06-06 | 生活
Ehec付有機野菜の付加価値 2011-05-28 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女の浅知恵と間抜けな間男

2011-06-09 | 
女友達から電話があった。十年ぶりぐらいである。今は研究機関のポストから外れていてフリーのようだ。旦那はIMFの会議のためにワシントンに出向いて、とんぼ返りで帰ってくるという。外交官は普通の市民に比べて放射能を浴びる時間が長い。

旦那とは会ったことが無いので、外交官向きに案内するから一度こちらに遊びに来たらどうかとか、彼女は旦那がいない間に一人で遊びに来ようかなどといい加減なことを話していた。

彼女の気質は分かっているので、何時ものあれかなとあとで気がついた。こちらもなんとなく分かっているので、適当に対応していた。

「休日の月曜日に二人だけで会うのも好いわね」とか言うので、「それも好いね」とか乗ると、

「休み明けの火曜日の朝の予定はどうなっているのよ?」とか尋ねるので、「平日通りだよ、家には誰も居ないけど、掃除に朝から人が来るからね」とか、思わせぶりな受け応えをする。

すると、「長く会っていないからね、一度旦那に合わせたいのよ」などと仰る。「今晩帰ってきたら、二人で土曜日に行けるかどうか相談するわ」と電話を置いた。

流石に、そこまで聞いていて、それを思い出したのだった。

彼女は役所から帰ってきた旦那にこの電話の内容を話して、強引に旦那の気を引くのだろう。まるで、政権を掌握出来ていない首相の「女の浅知恵」のようなものである。それが、その女の気質であるのだからコメントの仕様が無い。形だけは、何か色男のような按配だか、間男に仕立てられた間抜けである。それにしてもご主人には、「ご愁傷様」と申し上げる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細野補佐官のついた嘘

2011-06-08 | テクニック
吾が耳を疑った。統合記者会見風景は、福島のウラン流し打たせ風呂よろしく、BGMのように流れていただけだけども。

NHKの山崎氏の質問に答えて、細野補佐官は「水素爆発だけは想定外で対処の方法も無かった」というように聞いた。これに関して、どのように説明されているのかどうかは分からないが、東電は既に十年も前からその防止装置についてのオファーを受けておりそれの導入を拒絶し続けていたことはFAZが当初から伝えていた*1。

さらに調べると、ハリスバークのスリーマイル島事件でジルコニウムに起因する水素爆発が起きており、その時は事件発生百三十分後であった。しかし、バブコック社のPWR型の格納容器が頑丈に出来ていて最大破局は避けられたのであった。

2007年のシュピーゲル誌が伝えるように、それに比べてBWR型ジーメンス社製の格納容器は薄いので破裂して大気中に破局的な汚染を齎すことが懸念された。実際に、1987年から1999年にかけてドイツの原発で三回も同様の水素爆発事故が起きていた。

第一次冷却水の配管にそれほど遠くないところで爆発していて、場所が僅か三メートルもずれていたならば大事故が起きていたというのである。この程度の事故は、世界中で毎日のように起こっていて、なるほど大型旅客機が落ちるよりもその数ははるかに少ないのだが、確率論的に言及すれば「その確からしさは大事故がおきることが前提」となっている。実際に、スリーマイル、チェルノブイリ、福島とその災害規模は膨らんで来ており、次にはこれ以上の大破局が起こるかもしれないと見るのが数学的な見識である。

フォーカス誌によると、日本からの研究者も留学するカールスルーへ核研究所の科学主任クネーベル氏は、「日本でのそれは既に地震で格納容器が壊れていたので、水素が外へと逃げることなく一部は建屋に溜まったからだ」と、「燃料溶解とは異なり、水素爆発が一義的に津波に関係ない」ことを説明する。またドイツのPWR型には、水素爆発を避けるために水素をパラジウムなどの触媒を介して酸素とともに水化する装置が完備しているというがBWR型はどうなのだろう。

そのような事故の頻発と確率論的に確からしさが高まることで、水素爆発防止装置が開発されて、この十年間でその対応がなされるようになっていったようである。

そうした状況を踏まえると、上の細野発言の意味合いが分からなかった。水素爆発の危険性を知らない専門家など世界に一人もいない筈である*2。

そうなると、細野は嘘をついているのか、それとも阿婆擦れ女のテプコや、性悪女のホアンインに騙されているのか?

あなたのついた嘘、ああ騙された私が悪いのよ。


*1:Patent Forschungszentrum Jülich GmbH, 52428 Jülich, DE, Buch Entwicklung und Untersuchung von Katalysatorelementen für innovative Wasserstoff-Rekombinatoren,
*2:Weitere noch bestehende Risiken, vor allem Wasserstoffexplosion



参照:
Ustream channel [1] (岩上安身オフィシャルサイト)
本日の統合会見 (山崎淑行記者まとめ)
ゼオライトか?、減酸か? 2011-06-08 | テクニック
風評より遥かに恐ろしい風雲 2011-03-23 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼオライトか?、減酸か?

2011-06-08 | テクニック
福島でゼオライトが使用されるといわれている。最近は、洗濯や食器洗いなどの家庭電化にも好んで使われるような物質である。特に水を使わない洗濯などには今後さらに一般的に使われそうである。それでも家庭電化部門では本格的な導入は出来ていないようでその効果はまだ十分には認知されていない。

アレヴァのシステムのフィルターや濃し水槽などと考えると、水中にあるうちは熱を抑えることが出来ても、粒子状になった熱を放つ放射線物質をどのように扱うのだろうかと感じた。これに対しては小出助教などの見解を聞くと、猛烈な放射能と被曝の困難が言及されていた。汚水処理施設といっても通常の炉内よりも激しい放射能を大量に処理することへの懐疑である。

ゼオライトを石灰の吸着として使うこともあるようだが、ワイン醸造では石灰を減酸として利用する。これは丁度石灰土壌のリースリングが丸みが出るのと裏腹に所謂角が落ちて輪郭がぼけたリースリングになることにも相当している。たとえ如何に酸が強く分解に苦労したといっても容易に石灰に浸してしまうと折角の土壌が暈けて本当の高級リースリングとはならない。

要するに石灰土壌のフランスのピノワールなどとは異なり、飲みやすいリースリングほど安物で、飲む時期を選ぶリースリングほど上質なワインとなる。商売上は安物を沢山売るほうが良いのだが、安物は世界中に満ち溢れているのでドイツのリースリングは丁度自動車のように最高級でなければ意味が無いのである。

ドイツ最高のワイン産地フォルストにあるゲオルク・モズバッハー醸造所の試みはその意味からやはり見上げたものであろう。現時点ではいまだ嘗て無いほど鋭いリースリングとなっていて、おいそれとはまだ楽しめるワインとはなっていない。すでに購入したグーツリースリングあたりが飲めるぐらいで、それ以上のものはとても辛いのである。逆に、「石灰土壌」と呼ばれるドッペルクロイツの立っているヘアゴットザッカー土壌の丸みがついたリースリングなどが今飲める商品となっている。その反対にあるのが「雑食砂岩」であり、従来から出ていた「バサルト」とともに、完全にレープホルツを追いかけるような按配である。赤ワインに関してはご多分に漏れず2003年以降すばらしいシュペートブルグンダーとメルローを排出し続けている。

その最大の秘密はぶどうの栽培に違いないが、醸造においても発酵をステンレスで行うものと木樽で行うものを双方があり、細やかな「味付け」がなされているのだ。赤ワインなどは33%の新樽バリックであり、リースリングでは反対にフランスにも引っ張りだことなっているドイツの樽が使われている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

否定に躍起となる米報道

2011-06-07 | マスメディア批評
とにかく、日本を含む世界のメディアはドイツの食中毒に群がっているようだ。その熱心さの動機付けは分からない。少なくとも私の読んでいるような高級紙での扱い方は通常の社会記事の域を出ない。せいぜいチロルを行き来した熊の話題度程度である。

さらにドイツ国内でも地域差もあるようだが、ベルリンなどと比較すると既にベルクシュトラーセのダルムシュタットまで被害が発生しているので、こちらは八十キロ圏内とも言える。

昨晩きゅうりを購入しに行くといつもの安物を含むそれが見つからずに、精々安物のレタスしか見つからなかった。そもそも今回問題となっている系統の化粧野菜のようなものを購入することは無いのであまり関係ない。

世界のニュースでは証拠がつかめなかったとして、もやし類の原因説が否定されているようだが、まさにそれが伝えられている映像ではっきりと州担当大臣は疑惑をかけ続けている。それが「全く否定されている」として英語圏メディアで誤報が流され続けているには何か理由がありそうだ。やはり合衆国をはじめとするの遺伝子工学種子産業などの過剰反応が、そこにはあるのか?

福島の報道はドイツで、もやしの報道は日本でとなるかといえばやはりそうではなさそうで、日本での報道は英語圏報道の投売りの誤報である。

いづれにしてもあの手のものの原因が否定されるとすれば、日本でも同様のことがあったように、全く原因が分からないとなるので、「一体私はなによ」と言うような患者もいる。

しかし、若い健康食もしくはビオに関心のある若い女性層に患者が多いことや、摘発される野菜類の生産者が全て有機農業者なので、ビオ商品には注意が必要であろう。

今日は少々腹具合が悪く、ごろごろする。十分に土のついた野菜もあり、トマト類もあるので、上の格安レタスの購入は控えた。



参照:
Erste Labortests negativ Bislang kein EHEC-Erreger auf Sprossen-Proben (ARD)
もやしと呼ばれるカイワレソウ 2011-06-06 | 生活
Ehec付有機野菜の付加価値 2011-05-28 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六月とはこれ如何に?

2011-06-07 | 試飲百景
週末は三件の醸造所で試飲をした。通常ならば五月に開かれるマイシュピッツェンと名づけられたVDPプファルツの新酒発表プログラムである。既に二回も試飲会を開いていたバッサーマン・ヨルダン醸造所や有料の試飲会しかしないフォン・ブール醸造所、2010年産は秋に本格的発売となるビュルクリン・ヴォルフ醸造所などの試飲会はこれには含まれていない。それでも、南ワイン街道のレープホルツ醸造所、フォルストのゲオルク・モスバッハー醸造所、VDP会長のクリストマン醸造所などの見逃せない試飲会が開かれる。

その中でも、多くの雹被害を受け、さらに酸の分解を待ち続けたレープホルツ醸造所での恒例のレープホルツ氏の講話つきの古いワインなどとの飲み比べをについて特筆すべきであろう。

最初にブラインドで90年産のリースリング・シュペートレーゼが供された。10年産と比較して、酸が強い年度ながらアルコールが11%と低く抑えられているのが似ているのである。その通りである、リースリングのアルコールが抑えられていて、酸が効いているのが今年の特徴で、その将来性を予想させてくれるものだった。なるほどフィルン臭とその色は明らかだが結構新鮮味があるのだ。次に2008年産のブントザントシュタインのシュペートレーゼ。予想以上にこれがまた良くなってきている。そして2010年物である。一蔓に四つしか房がついていないというまばらな開花の影響を受けた「不作」だったのだ。三月二八日まで麹に浸かっていたと言うからアルコールが薄くとも濃くが出ている。

次に、2004年産ムスカテラーのアルコール10%と、2010年のそれが比較された。2004年の当初薄く感じられたワインが現在結構評価が高いのと、2010年との比較なのである。なるほど酸が効いていた年度らしくこうした品種でも今でも新鮮味があって食事に推薦されていた。

90年のゲヴュルツトラミナ-と96年の11%のピノブラン。特に後者の10グラムを越える酸が今でも飲めるピノブランとしていた。つまり2010年のヴァイスブルグンダーは、アルコールは少なくとも、将来があるということなのだ。最後に再び2004年のピノグリで、一般的に「むかつくようであまり量が飲めない品種」と紹介されながら、こうした「日陰の年度」のそれが枯れると食事に合わせやすくなるとのお話であった。

2010年は決して容易な年度ではなかったが、秋の酸の分解や丁寧な醸造が求められて、高級ワインとそれ以下の差が顕著に出るように思われる。VDPの中でもそれぞれに腕の見せ所を要求されていて、どのようなワインを提供するかの業務上のコンセプトまたワイン造りの哲学が示される。

レープホルツ醸造所では、ジルファーナーの様に買い付けが必要な多大な被害を受けながらも売り物を確保して且つ、昨年のナテューアシュプルングのようなすばらしいリースリングに慣れた客にもアルコールは低いながら昨年の「フォムブントザントシュタイン」よりも味の良い商品を出している。この辺りのマネージメント感覚がいつも憎いのだ。

ブルグンダー種では、香りなどは全く無くそっけないがソヴィニオンブランの塩味には唸らせられた。流石である。

秋に発売されるグランクリュウのガンツホルンを早速抑えておいたことはいうまでも無い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もやしと呼ばれるカイワレ大根

2011-06-06 | 生活
日本のメディアは逸早く、それも格段注目高くドイツでの食中毒事件の最新の結果を伝えた。発生源はモヤシというのである。あのラーメンに入れるモヤシかと思ったのだが、昨日はTVやラジオを視聴いておらず、どうも全くそれは誤報だったようだ。

モヤシとの認識はどこから来たのか知らないが、むしろ適当に日本語化するとすればカイワレソウなのである。菅首相が当時食して見せて有名になったとされているあのカイワレソウである。

詳しく言うと、綺麗なサラダや上に乗せたりする種から出た水栽培野菜の数々で、大根などの混ざった十八種類ほどの外国産のミックスの種だったようだ。つまりカイワレソウである。なるほどそうならば日本の人の方がその事情は承知しているのであろう ― 最近は土を使わない農業が企業化されているようだが、その根本には遺伝子改造産業の種子があるのではないかと感じた。もちろん今回の場合はそれが禁止されているので事故が起こったのではないだろうか?

なるほど、東京に旅行するのとハムブルクに旅行するのとどちらが危険かの問いかけがあるとすれば、全域が汚染されている都内と特定の食物を食べなければ安全だったハムブルクでは前者の方が危ないが、なるほど後者では死亡もありえるわけで危険である。ただし疫学的な死亡率は明らかに前者の方が高いように思われる。

二輪チャンピオンのイェルク・ロレンツィオがバロセロナで日本グランプリへの参加を辞退宣言した。出来る限り多くの選手が辞退を決断するようにと尽力するようだ。ヴェランチィーノ・ロッシも辞退を表明した。福島から百七十キロしか離れていない南茨城県内で三月に開かれる予定が十月に延期されたもののようだが、現状の空気汚染濃度からすれば若い健康なスポーツ選手が参加するようなものではないのは確かである。小さな子供が死への道を歩んでいる環境で、勝利への道を滑走出来る筈が無い。

福島の吉田所長のインタヴューを観た。全ては炉が冷えて現在安定している事を何よりも伝えていた。率直でフランクな人柄は、今回の一連の報道の中で唯一無二、最高に信頼できる情報を伝えていた。その反面、「注水を止めたら死ぬかもしれない」との異常事態の恐ろしさと、それがある意味継続している今後の困難も十分に感じられたのではないだろうか。



参照:
Atomkatastrophe in Japan FAZ vom 5.6.2011
Ehec付有機野菜の付加価値 2011-05-28 | 歴史・時事
下卑た振る舞いの日本人 2011-05-05 | 雑感
溶解したアンナのドタキャン 2011-06-04 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市民を無視する政治社会背景

2011-06-05 | マスメディア批評
菅下ろしが原発推進勢力によってなされていると言われているが、本当だろうか?実際はもう少し複雑に違いない。菅首相は、決して脱原発ではなく、親原発であることを表明している。

問題は東電解体であろう。それをなんとしても阻止しようとする勢力は、東電の後押しでかなり大きな勢力となっているに違いない。その一部は連合の支援を受けた民主党勢力であることも確かである。また同時に東電を救済することが、他の地域寡占型の電力事業と日立・東芝・三菱の原子力事業を守ることとなるならば、通常の国民の声ではとうてい歯が立たない。まさにここに二大政党制どころか大連立と呼ばれる市民の声を無視する政治的な背景があるのだ。

だから議会制民主主義を堅持して遵法的な政治活動とするための柱が必要である。その一方、日本の有権者が今切実に感じているような政治・環境不信・健康不安を払拭して同時にアナーキーな無党派層をも取り込むのが緑の運動の基本理念の基底にある。

緑の党がドイツ連邦共和国の国民政党となり、経済の牽引車であるバーデン・ヴュルテムベルクを統治するにに至るのは長い道程と紆余曲折があったが、連邦政府に参与して脱原発の決定を下したころから同時に脱イデオロギー化が進行して広範な支持層を獲得するに至ったのだった。

ドイツ緑の党のHPにはその歴史の一頁として、三十年前を振り返り、次のように述べられている。

原子力発電、軍拡、森の死滅、差別そして監視 ― その他を問題を含むこれらは、七十年代の後半では既成政党からは無視され続けた。そこでこのニッシュを埋めるべく緑の党が政界進出する。自然環境団体、平和・反核運動、第三世界、婦人運動から集結する。これは1980年に正式な党の要綱となる。

先日の「福島の子供を守る会」の活動やその雰囲気などは、既成の政治活動や行政機構には任せて置けないとの危機感から生じたほとんど自然発生的な運動と見受けられて、体制を維持する側のそうした行政機関と市民の立場や運動が如何に異なるかを明白に示していたに違いない。

行政側が、原発事故や被害を過小に見せかけようとするのはある意味当然であって、たとえ菅首相がもともと市民運動家であったとしても、「優秀な首相」である限りはそこには何一つ期待できるものではないことを有権者は認識した筈である。政治家前原などはそれとは比較にならないほど、トップダウンの采配の出来るエリート教育を受けており、市民運動認識のボトムアップの声とは甚だかけ離れるだろう。

戦後社会党が密かに合衆国の支援を受けてガス抜きとして活躍したといわれるフランス共和国や五十年体制で猿芝居を続けた日本の政界とは、東西に分断されていた西ドイツを比較するのは難しい。しかし、アナーキーなグループの運動においても、たとえばここでもコメントなどで嘗て交流のあったアタック日本とドイツのそれのHPとを見比べて驚かない者はいないであろう。

attac日本の代表Yoko AkimotoはドイツのHPでその第一報を伝えているのだが、日本のそれを見ると福島などまるで無かったかのようで薄気味悪い。おそらく内部での路線問題も関わっていると思われるが、政府や東電に対して今アタックをかけられないアナーキーな組織など存在意味すらない ― そもそも新自由主義などは既に過去の遺物であり、むしろ東電を解体して自由市場を拡大することがこうしたアナーキーな運動の方向である筈なのだ。やはり彼らは共産主義政党とのセクト化を演じさせようとする合衆国の回し者かもしれない。さらに温暖化問題がそこに見出しとして見つかるとなると、反グローバリズムと反新自由主義を掲げながら実はどのような機能を日本で果たしているかに疑惑が湧く。

東電前や高円寺やその他で何度かの反原発デモンストレーションが伝えられているが、それらからも自然発生的な雰囲気と同時に、連帯と後方支援などが貧弱であるためかその規模が拡大しないのが確認されている。

より若い世代のドイツ市民と話していて気がついたのは、ああしたアタックやグリーンピースなどの実力行使の活動家がプルトニウム満載の再生核燃料の移動を妨害している行動のその趣旨を十分に理解していなかったことである。威力妨害などの触法行為のその是非はともかく、その行為にはそれなりの意味があることに気がついていなかったのだ。

緑の運動それ自体は非常にシムプルものであるけれども、その運動の明確化や科学的な根拠などの明白化は非常に専門的な作業が必要とされる。緑の党の創立メンバーやブレーンに、68年闘争の左派グループの残党でもあったのだろうが、哲学者が科学者が名を連ねていたのはそのような理由で当然であったろう。その中で左派イデオロギーグループの多くは、コソヴォ参戦の党決定で離脱したのは当然であった。

先日も触れたがジャーナリズムにおける質の問題もこうした政治構造と極似しているからこそ、既成ジャーナリズムは同じように既得権を護る第四の権力などととんでもないことを言い出すのである。たとえば反原発については小出助教のような学徒や院生のような立場の者に、編集者が書く場所を与えない限り、到底「権力を監視する朝日新聞」などと嘯くことは出来ない筈である。能力の無い記者などを囲い込むからこそ、金が必要になり、東電などのスポンサーに頭が上がらなくなり、インデペンデントなどとは名乗れなくなるのである。



参照:
I'm asking you to believe 2008-11-09 | マスメディア批評
胃が痛むほどに追詰める 2007-06-09 | 女
制限域の自由な境界線 2007-06-08 | 暦
石頭野郎にぶつけろ! 2007-06-07 | 生活
活き活き、力強く、先鋭に 2007-06-06 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

溶解したアンナのドタキャン

2011-06-04 | 
今朝の新聞記事であるからもう情報としては古い。しかし、取り上げておこう。福島の放射能を恐れてメトロポリタンオペラ日本公演をドタキャンした世界的なソプラノの話である。

我々からすれば、初日の名古屋はともかく東京で世界的なスターを引き連れて計画通りに引越し公演を履行するというのはかなり政治的な行動であり、日本に対する連帯を示すことに違いない。その行為自体はとても素晴らしいことには違いないが、そこまでの危険を冒して行う価値があるかどうかはまさに政治的な判断なのである。

少なくとも、今更東京市場で成功をして更に名声と金を稼ぐ必要の無いスターにとっては、出来るだけ東京に行くことを避けたいと思うのが当然であり、実際にメトロポリタンオペラの公演のメンバーであった二人のドイツ人ヨーナス・カウフマンやヨゼフ・カレヤなどは巧く被爆を避けるように動いた。

しかし、プリマドンナであって目玉であったろうアンナ・ネトレブコは、その契約上のためかマネージャーの都合か直前までキャンセルとはしておらず、既に総勢が東京に結集してからキャンセルをしたというから支配人は大変お冠である。

もちろんニューヨークの歌劇団にとっては、日米同盟の枠組みやオバマ政権の核政策もあって、そのような非常識で正直な行動は到底受け入れられないのである。このソプラノがこうしたことから合衆国内での今後の活動にブレーキがかかるかどうかは皆目分からない。

新聞は、ロベルト・シューマンの言葉「全身全霊で打ち込まないような芸術家など嫌いだ」と挙げているが、モスクワで若くしてチェルノブイリ渦を経験して世界市場で十分にキャリアーを積んできたこうした東欧の歌姫がその稼いだ金が使えきれないようになるような危険に好き好んで突入するとは思えないのである。一体何のために苦労したキャリアーだったのか?当然である。

そもそもニューヨークの歌劇団が東京で披露するのは芸術などという立派なものでは一切無くてただの娯楽である。東北で福島で日々の生活に困っている人を尻目に、享楽を享受するためのエンターティメント以外の何物でもないのである。なるほどそうした消費が経済を支えているという説は確かにあるだろうが、そうしたエンターティメントが将来に向けて何らかの投資となるようなことは一切ないのである。いわゆる溝に捨てるような金である。

新聞は語る、なるほど福島の第一原発に働いている人を集めての建屋でのコンサートなどはプログラムに載っていないと。もちろんこれは途轍もない皮肉に違いない。



参照:
Annas Angst, Feuilleton, FAZ vom 3.6.2011
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界的評価の高まる菅政権

2011-06-03 | 歴史・時事
福島ウォッチャーとしては、日本の政治破局感などよりも、二人の物理の決して分からなくは無い大物政治家の「福島感」のほうが遥かに気になっている。

鳩山氏がいつものようにおかしな動きと発言をしているのはご本人の素性であるから、これは否定しようもどうしようも無い。しかし、卑しくも科学の学徒として、今回の福島の現状をどのように見ているかは大変重要であり、見逃せない。

「大震災からの復興」という場合、津波や地震の天災からの復興はその地理的な広がりや、菅首相が力説しているように阪神震災のような再生では駄目だという前提を鑑みても、通常の行政機構の中で遅かれ早かれ前進する。しかし、福島の原発渦に関しては、人類は未だ嘗て無い規模の放射能被害であり、その進行中の汚染を食い止める工程どころか有効な手立てすらないのが現状である。鳩山氏がこれと大いに異なる現状認識を持っているとは考えにくい。

そうした前提の中で、復興への道筋に目途がつくとは何を指すのか?それは隣接した避難区域圏外で緊急事態で再び避難するようなことが無い安定化と汚染源の隔離、東北関東圏での農業林業漁業の本格的な再開と、居住と食の安全が確保されることでしかない。

最初の安定化の安定冷却工程自体が既に形骸化してしまっており、今後どのような形で安定されるかは未定であり、その汚染源を隔離断絶することは先二十年以上掛けてもなかなか達成しないと考えられている。要するに、その他の点に関してもそれ以前の程度に戻ることは有り得なく、如何に指針を定めて市民生活と折り合いをつけていくかに係っている。

十分に情報を吟味している菅首相の思惑は不明であるが、その状況認識にこそに関心が集まる。不信任案否決後の首相記者会見で改めて、「計画避難地域にあたる地域の避難が遅れた責任」をぬけぬけと否定したが、これは事故当初から一貫している「過小評価」政策であり、その意味からは菅首相の政治行政手腕が世界的に評価される所以である。

こうした過小評価と将来的な放射性被害の米国主導の人体実験は、広島・長崎原爆投下から一貫した日米協力であり、これは本日の統合記者会見でもオバマ大統領の支持を受けたその日米協力として傍証されたといっても良いだろう。

また菅首相は、政治家として万が一上手く安定化が果たせたならば政治状況は好転して、さもなければ思惑通りなんら将来への道筋をつけることも出来ずに、今までのように対症療法的に事故対策を後手後手に粛々と推し進めていくということに他ならない。菅直人はまれに見る大物政治家である。



参照:
次世代にとって途轍もないこと 2011-06-01 | 歴史・時事
誰が、福島の核物質を拾おう? 2011-06-02 | マスメディア批評
政治課題としての環境認識 2011-01-07 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰が、福島の核物質を拾おう?

2011-06-02 | マスメディア批評
「若い世代のために明け渡したい、道筋がついたところで」と菅首相は約束したと、東京からの第一報としてコロンコ女史は伝える。休日明けの明日のフランクフルト版のフランクフルター・アルゲマイネ紙にはこのように載るだろう。

そして大多数の国民は、危機の真っ只中でのこの権力闘争に批判的に反応していると伝えている。

失脚した小沢が派を上げて企てた党内抗争に乗った形で菅下ろしを企てていた前首相の鳩山は、補正予算後の年内の辞任を確証したとしているが、既に政府筋がこれを否定していると、流石に関西のメディアのように「金は持っているがボンクラ」とか「アホボン」とはFAZは書かないが、前回もあったような「一体私は何だったの?」と呟いたこの不思議な人間の雰囲気をそこはかとなく伝えている。

何を思っていたかは知らないが野党代表自由民主党の谷垣が、茶番劇としているのを伝えて、これまた谷垣の茶番劇顔を披露している ― これが日本人が希求した二大政党制の素顔なのである。

いづれにしても、菅がいつ辞任するかの時間的な枠組みの争いに不信任案否決直後から明け暮れる一方、福島の汚染水は先日来の降雨のために、もはや四五日中にその貯蔵量の限界を迎えるとますます心配になって来ていると伝える。

なるほどあの民主党代議士会の菅の「辞任表明」から鳩山の支持までの情景を観て、さらにその本会議での投票風景を観たならば、それを「日本の政治の妙」と感じるのは甚だ難しく、一般的な国際的なビジネスシーンなどの場面では絶対ありえない脳に蜘蛛が巣食ったような人達の演じる特別な世界と感じるのが普通であろう。道理で、東電や政府のやっていることが普通の人達には一向に飲み込めない筈である。

これをしてフランスの作曲家ピエール・ブーレーズの名言ではないが、「議事堂に火を放ってしまえ」という気持ちになるのが当然であろう。これで菅さんには、あと二十年ほどは最高権力の座を温めて貰わなければいけない。今の状態で一体何処の誰が、火の中の栗どころか福島の核物質を拾おうと思うだろう?



参考:
„Vertrauen“ für Kan im Parlament,, Petra Kolonko, FAZ vom 2.6.2011
次世代にとって途轍もないこと 2011-06-01 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次世代にとって途轍もないこと

2011-06-01 | 歴史・時事
「次世代にとって途轍もない好機である。」と「原発全廃に際して演説」したメルケル首相は、輸出、開発、技術、労働市場を指してその限りない可能性を挙げた。

そしてこの勇気溢れる大志に関しては、技術的な問題もさることながら、政治的な課題が山済みになるとされている。既にシュレーダー政権から十年間の試行錯誤があったとしても、今後の具体的な停止順序やその手順などには行政の介入とともにその反面自由市場での活発な投資が必要となることにはかわりない。

要するに、如何に投資を促しつつ、電力料金や税金の負担などとして、首相の口を借りた国民の意志が耐えられるかの勝負だというのである。もちろんそこでは政治学としてのプラトンやアリストテレスとの討論やカントから新カント論への流れを無視できないというのである。

しかし少なくとも、同じ情報を得た国民各層の合意と議論の結果として、スリーマイルやチェルノブイリでは覚醒出来なかった福島を受けての結論なのである。停電があろうともそれを甘受しなければいけないということでもある。

福島で成人を迎えることすら出来ないかもしれない多くの子供たちの、そしてその近親者たちの、また毎日を脅えて暮らさなければいけない関東一円の人達の人生よりも遥かに甘んじやすい自らが選んだ運命であるともいえるのだ。

一変して日本の衆議院の党首対談を観ると、そこにはただ嘆かわしさしか感じられない。一体日本人は、一体あの人達はどういった考え方で日々の暮らしをしているのだろうと訝しい。

菅首相の原発堅持とその代用エネルギーの開発という、福島以前のメルケル首相でさえ考えていなかった原発依存症は、「連合」がそれを改めるといっても未だに修復されていないようである。まさに、支持基盤とそれに乗っかった権力構造こそが最重要であり、将来のエネルギー政策への哲学などは一切無いことが良く知れた。

そうした姿勢をモットーとして福島に当たってきているので、市民の安全や収束への対応が後手に回っているだけでなく、情報共有に関して非常に慎重になっているそうした事情が明らかになったのであった。

さらに輪をかけて悪質なのは自由民主党の総裁の弁舌であって、原発推進は石油危機の状況下での当然の政策であったので一切の反省や責任は感じていないとの表明であり、さらに今後とも重要なエネルギー政策として「原子力の明るい未来を進めて行きたい」との表明と思われた。

これが二大政党制政治の正体であって、ドイツ連邦共和国の国民の声をそのまま代弁する政府とは異なり、最重要な争点を議論をさせない、議論をしないで、有権者を手なずけるために許認可権をもった大マスメディアとともに国政を進めるという政治体制なのである。まさに日本戦後共産主義体制と称されるような茶番劇の民主主義政治体制である。その延長線上に、イデオロギーにとらわれない反原発の環境政党すら育たないからこそ、大新聞の記者までが未だに世界的に権威ある環境市民団体グリーンピースを反捕鯨団体と敢えて矮小化して見せるのが日本の文化程度である。

福島の市民が、移住も何も出来ないことから自らを騙して、「放射能からの安全を信じたい」と思う自己欺瞞をそのまま国政が代弁しているような非科学的な政治が先進七ヶ国に含まれているのが不思議なのである。近代化していない社会には脱近代化も無いのであろう。

自由民主党の総裁の顔を見ていると、中共の幹部が過去を反省して修正していく姿よりも遥かに醜く、その反省も何も見せない姿勢には安物の高級官僚以下の人物像しか浮かび上がらない。大衆日刊紙の新聞記者の能力程度もみすぼらしいが、日本の高級官僚もみすぼらしい。

そもそも事故管理会社で解体されるべき東電と協力して一体誰が何が出来るというのだ。電気供給における自由化と本当の民営化以前には誰もなにも出来ないから時間稼ぎをしているだけなのである。本当の野党というものがあるならば、一刻も早く更なる被曝を防ぐための緊急提議をする以外には何も無いのである。

連邦共和国の政治を衆愚政治と批判することは容易である。しかし、それを批判する者は日本の政治に眉をひそめる。反対に、日本の政治を批判する者は、少なくともドイツ連邦共和国政府が国民の選挙権を行使する成人としての遥かに立派な判断を代弁していることぐらいは理解できるに違いない。



参照:
Merkel:Eine riesige Chance für kommende Generationen,
Noch eine Häutung, Berthold Köhler,
Kosten der Wende, Andreas Mihm,
Machen Sie sich erst einmal unbeliebt, Wolfgang Kersting,
FAZ vom 11.05.2011
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする