十月三十一日は晴れた。前日も降らなかったので比較的良い条件が予想された。そこで、南プファルツ最大の独立峰アッセルシュタインをターゲットの一つとした。前日には更なるセクターのボルダリングを見学して、また当日出会わなかったパン親方からハイデルベルクの石切り場へのお誘いメールがあった。既に相棒と約束してあったので断ったのだが、これだけの気候条件で人工的な石切り場の壁を登る気がしなかったのは真実である。
有名な独立峰であるから特にノーマルルートに誰かが取りついていれば断念したのであるが、そもそも岩場に誰も居なかった。そこで意を決して、以前トップロープで登った割れ目にとりついた。その時は苦労はして汗だくとなったが殆どぶら下がらずに熟せたことは覚えている。しかし息絶え絶えだった。そこは、地元のヒーローであり天才クライマーであったテオとフリッツのマン兄弟によって1912年に登られたクラシックルートであり、90年代のトップクライマーでプロフェッショナルでもあるイェンス・リヒターによって「百年たっても厳しい」と書かれているのである。
出来る限り手がかりを中間支点で虱潰さないように苦慮して支点を掛けて登った。何よりも被り気味のところで中間支点の楔を選びセッティングして、更にザイルを掛けるまでの間、十分に筋力を使うのである。流石にレッドポイントで熟す実力はまだまだ無いが、何とか一般ルートの最初の終了点まで登りついた、割れ目の中は乾いていた。二年前とは全く違って体のコンデションも優れているが、左右への身体の張りで登る技術を身につけたので、大分力を節約できたのである。
第二ピッチは相棒に行かせたが、難しい方のヴァリエーションを選んだので苦労していた。成程肝心な手掛かりが自身の設置した中間支点で潰されていて、それが無ければとんでもなく難しい。ヘクセントリックもただ置くだけの使い方をしているので直ぐに外れ、そのような怖い経験を勉強して貰わなければいけない。流石に何度も登っているルートであってもオリエンティールングに不安を持っていたようで、そこが最も今後の課題であろう。少なくとも下の割れ目を登ってくる様子を見るとまだ難易度五級の技術を十分に習得しているとは思えなかった。靴もふにゃふにゃであれでは横方向への緊張を作れない。
第三ピッチは丁度頂上へ抜ける割れ目から始めたが、上を見てダイレクトを試してみるのは次回とした。日暮れが近かったからである。しかし、その後第四ピッチにその上部に出る安易なルートを選択したので、上部の様子は確認できた。次の機会に試せば十分である。技術的難易度は全く大したことは無いが、中間確保支点の設置だけである。
頂上に出て急いで記帳をすると、先週末に合流できなかったライヴァルを含む仲間の名前があった。ライヴァルがどうも引っ張ったようである。勿論ノーマルルートであった。その後に二組ほどしか入っていないので如何にシーズン終了かが分かるというものだ。我々にとっては冬シーズンの始まりであった。陽が弱くなると急に寒くなり、摂氏6度まで一直線に下降する。急いで懸垂下降を二回してザイルを片づけるころには辺りは暗闇となっていた。
参照:
黄金の十月の美しい残照 2011-10-16 | アウトドーア・環境
登り納めの謝肉祭 2012-10-14 | 暦
いよいよラストスパート 2013-09-01 | アウトドーア・環境
有名な独立峰であるから特にノーマルルートに誰かが取りついていれば断念したのであるが、そもそも岩場に誰も居なかった。そこで意を決して、以前トップロープで登った割れ目にとりついた。その時は苦労はして汗だくとなったが殆どぶら下がらずに熟せたことは覚えている。しかし息絶え絶えだった。そこは、地元のヒーローであり天才クライマーであったテオとフリッツのマン兄弟によって1912年に登られたクラシックルートであり、90年代のトップクライマーでプロフェッショナルでもあるイェンス・リヒターによって「百年たっても厳しい」と書かれているのである。
出来る限り手がかりを中間支点で虱潰さないように苦慮して支点を掛けて登った。何よりも被り気味のところで中間支点の楔を選びセッティングして、更にザイルを掛けるまでの間、十分に筋力を使うのである。流石にレッドポイントで熟す実力はまだまだ無いが、何とか一般ルートの最初の終了点まで登りついた、割れ目の中は乾いていた。二年前とは全く違って体のコンデションも優れているが、左右への身体の張りで登る技術を身につけたので、大分力を節約できたのである。
第二ピッチは相棒に行かせたが、難しい方のヴァリエーションを選んだので苦労していた。成程肝心な手掛かりが自身の設置した中間支点で潰されていて、それが無ければとんでもなく難しい。ヘクセントリックもただ置くだけの使い方をしているので直ぐに外れ、そのような怖い経験を勉強して貰わなければいけない。流石に何度も登っているルートであってもオリエンティールングに不安を持っていたようで、そこが最も今後の課題であろう。少なくとも下の割れ目を登ってくる様子を見るとまだ難易度五級の技術を十分に習得しているとは思えなかった。靴もふにゃふにゃであれでは横方向への緊張を作れない。
第三ピッチは丁度頂上へ抜ける割れ目から始めたが、上を見てダイレクトを試してみるのは次回とした。日暮れが近かったからである。しかし、その後第四ピッチにその上部に出る安易なルートを選択したので、上部の様子は確認できた。次の機会に試せば十分である。技術的難易度は全く大したことは無いが、中間確保支点の設置だけである。
頂上に出て急いで記帳をすると、先週末に合流できなかったライヴァルを含む仲間の名前があった。ライヴァルがどうも引っ張ったようである。勿論ノーマルルートであった。その後に二組ほどしか入っていないので如何にシーズン終了かが分かるというものだ。我々にとっては冬シーズンの始まりであった。陽が弱くなると急に寒くなり、摂氏6度まで一直線に下降する。急いで懸垂下降を二回してザイルを片づけるころには辺りは暗闇となっていた。
参照:
黄金の十月の美しい残照 2011-10-16 | アウトドーア・環境
登り納めの謝肉祭 2012-10-14 | 暦
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