Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

喜びの2013年通知簿発表

2014-10-17 | 生活
2013年の通知簿発表である。電気エネルギーに関しては別途発表してある。それ以外のヒーターとお湯や水の消費量からそのエネルギー消費を纏める。

因みに2010年はヒーターは4877KWh、お湯使用量は49立方メートル、水は85立方メートル、2011年は5042KWh、48立方メートル、水は73である。2012年は各々3373KWh、50、86となっている。

2013年1月1日から12月31日までは、参考数値2462KWh、36立方メートル、水は66リットルであった。

参考数値となっているのは計測器が壊れているというのだ。しかしこれぐらいの減少は十分に推測できる。理由は暖冬が一番大きいだろう。調べると完全に2011年からは冬篭り体制が完成していたのでそれ以外の大きな要因は少ない。

それにしてもこうして意外に思えるのは、2011年のヒーター使用量の増加で、2013年はお湯だけでなくて、お湯と混ぜる水の使用量まで少なくなっていることだろうか。

2011年の冬は結構寒く、当時通っていたハイキングが雪で取りやめになったときだろう。2010年の暮れにいつもの走るコースでアルペンスキーをした雪の多い冬だった。2012年はアイスクライミングの氷が素晴らしい寒い年だった。それに比較すれば2013年の程度はこれぐらいか。

水の消費が減っているのはシャワーや風呂の量が減っていることを示すだろう。シャワーは運動の回数が増えているので2010年に比べると倍ぐらいの回数になっている筈だが、風呂は減っているかもしれない。理由は、水風呂に浸かるほど暑い夏はこの間無かったことと、冬篭り体制で体を温めるための入浴がほとんど無くなったことによるだろう。意外に効いているのは水をやかんで沸かすことがなくなったので、無駄に水を使う必要も無くなったことかもしれない。

また、以前は洗濯物を急いで乾かすのに客部屋を暖めたが、最近はそれもしなくなって、できる限り日の光を利用するようになっている。もう一声成果を挙げるには、食器洗い機と新しい洗濯機の利用しかないように思われるが、食器洗いもバケツを購入して溜め洗いをすれば減らせるだろう。

エネルギーコストが上昇する一方のなかでこれだけの成果を示し、二十年ほど前からエネルギー使用量が減少しているのは驚愕すべき喜びだ。電気の年間消費量とヒーターの年間消費量のカロリーが同じぐらいになっているのも面白い。



参照:
我が町のエネルギーミックス 2014-02-15 | アウトドーア・環境
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
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スレンダーながら多層的な23歳

2014-10-16 | ワイン
二種類のワインについての覚書である。一つは、先日入手したザールのアルテレーベンである。ファン・フォルクセン醸造所のリースリングは、天然酵母の拘るワインとして決して質が高い洗練されたリースリングではないのだが、独特の拘り方で期待させるものが多い。特に2013年は健康な葡萄が余り収穫できなかったゆえに十分なラインナップの辛口リースリングは発売されていない。その中でベーシックなアルテレーベンを見れば、その質が評価できるのだ。

開けて驚いたのは、濁り酒風のそれではなくて比較的清潔な感じだったことだ。そして鼻についてくるのが、糞尿のような用土臭である。個人的には天然酵母に拘る典型的な田舎のワイン農家で購入することがないので、初めての体験なのだ。しかし、それは最初だけで決して味は悪くないどころか、2010年から知っているその中で最高の洗練さに至っていると感じた。要するに糖が沈んでいるような感じではないのである。

ここまで試飲すれば、上位のリースリングは可也期待できる。そしてその酸は、量感だけでなく、典型的な酸の年のそれであり、2010年に通じる酢酸的なそれも混じっているのである。如何に2013年が酸の年であるかの傍証の一つである。シャルツホーフベルガーを早いうちに試して、ゴールトベルクの期待度を認定してみよう。

もう一つは、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所の2013年ゲリュムペルである。これは、開けて直ぐに花園のような香りが漂うが、決して蜂蜜ではないのである。しかし、天然酵母香か用土的な匂いがするのだが、とても清潔な香りなのだ。この差異が、方や傷んだ葡萄からの酵母醸造であって、方や健康な葡萄の酵母を使ったことの証としてよいだろう。皆が知っている天然酵母醸造というのは前者であって、後者のような清潔で都会的なそれはどこにも存在しない。世界で最も高価なリースリングを輩出する技術なのである。これで2013年の酵母の特徴は用土臭さと推定できる。

それにしても四半世紀ほどゲリュンペルを飲んでいるがこの2013年に匹敵するのは2007年か、もしかすると2001年ぐらいにしかなかったのではないだろうか。そして、その味筋はホーランダーを通して一瞬の赤いチェリー風味へと落ちていく。グローセスゲヴェックスが50ユーロ以上でしか入手できなかった2013年物のPCとしてこれはとても貴重なリースリングである。リスト価格も他の醸造所のグローセスゲヴェックスに近く、ロベルト・ヴァイル醸造所のラーゲンヴァインと同じである。そのテュルムベルクやクロスターベルクとは比較できないほどの複雑さと喜びを与えてくれるのである。

なるほどゲリュムペルは地所としてはただのPCでしかないかもしれないが、その葡萄の質や酸の分解などで決してひけをとらない高品質のリースリングであるばかりか、その天然酵母の扱い方で一際抜き出ているのだ。

八月ごろのぴちぴちさを保ちながら、落ち着いた多層性を示すようになってきている - そしてスレンダーでありながらのこの躍動感!女性でいえば23歳前後だろうか?もう半年ぐらいして25歳ぐらいの感じを試してみたいのだ。間違いなく健康な色香が増しているに違いない。



参照:
解禁なったPCリースリング 2013-07-05 | 試飲百景
貴重なワインのお詰め合わせ 2014-08-20 | ワイン
ピクニックにタブレット 2014-08-15 | 生活
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笑止千万な旧姓に拘る人々

2014-10-15 | マスメディア批評
馬鹿らしい記事を見逃していた。いつも極東から日本政府の問題などを伝えるゲルムス氏の記事である。それによると2012年に日本の外国人登録法が改正されたようで、特にドイツ人が困っているというのだ。

それは、日本人と結婚したドイツ人のパスポートにあるgeb.つまり旧姓がそのまま日本での外国人登録書に採用されるようになったことである。何が問題かは、頭に来ている例えば小林スザンナさんであったものが、新しいものではKobayashi Geb Dicke Susannaとなっていて、正式な契約などは全てこれを書き込まなければいけなくなったことである。記者が買い物などのカードには全て書き込むのかと尋ねると「夫が買うから大丈夫」と話す。そして、文句を在京ドイツ大使館に寄せるのだ。

もしくはガブリエレ・クボさんが二年ごとに免許を書き換えに行くと、Wagner Kubo Geb Wagner Gabriele Theresiaが正式名称と鳴るのだが、場所がないのでTheで終わっているというのだ。これまた大使館に権利の侵害を訴える。在京のロベルト・フォン・リムシャ大使館スポークスマンは「馬鹿な話だ」とはき捨てる。

日本の当局つまり外国人管理局は、それに対してどこの外国人を対等に扱うために仕方ないと言い訳する。日本人の多くはこれを読んでそのように感じるか?何を考えるか?

個人的には大変立腹した。一つは、出入国の法務省の官僚などもドイツで修士などを習得しているのを見ていて、またFAZ批判などをしているのを聞いていて、初めてなるほどと思うこともあった。しかし、geb.のピリオドを落としているのは明らかにアルファベットの表記法として大きな問題があり、白痴 としか思われない。

しかし、四人のドイツ人妻がここで取り上げられているが、その国籍とその講義の仕方などが馬鹿馬鹿しく、この記事の取り上げ方も馬鹿馬鹿しい。この記者が書いているものとして、この高級紙の内容としてもとても腹立たしいものなのだ。

一つは、その追加情報とされる連邦共和国の旧姓併記の問題で、本当にそれは追加情報なのだろうかという疑惑である。これは、ナチ時代にさかもどるまでもなく、一種の血統主義の名残りで、大分その傾向が薄くなった感のある連邦共和国のそれもこの影響をまだまだ払拭するまでにもいたらず、それどころか2000年ごろからの新しい移住法には大きな憲法違反の疑いがあるのだ。要するにパスポートに旧姓などを明示している限り自業自得としか思われない。

個人的にも初期のビザなどの申請には母親の苗字までを書かされており、今でもその書類は当局に保管されていることを考えれば、なるほど記者が言及するように官僚主義のドイツから官僚主義の日本へという構図が成り立つ。その通り、明治以降のそれはプロシアの十九世紀前半の官僚主義を取り入れたのだった。

もう一つの大きな問いかけは、夫婦関係におけるこの中途半端な感覚であり、結婚と国籍もしくは旧姓などのそれに深く関わっている。更にドイツ式に旦那が支払いを済ませるとなるとほとんど笑うしかないのである。だから、この奥様たちの運動は在京大使館経由での訴えかけにしかならない。本当に戦わなければいけないのはそのようなことではないのは明らかなのである。

一時、朝鮮民族のそれからか夫婦別姓が日本でも話題となっていたが、こうした問題は官僚主義やその他の問題ではない。この問題を凝視しないことには到底イスラム問題なども凝視できないに違いない。

そもそも日本などの人権意識の低い国に喜んで住んで、なんだかんだと文句を言うならば、外国人として、シナ人や朝鮮人と手を繋いで社会運動をするべきことなのである。それが日本の社会のためになるのである。



参照:
Gestatten, Wagner Kubo Geb Wagner, Careten Germis, FAZ vom 6.10.2014
醜悪を隠す被り物を取れ 2009-11-14 | 歴史・時事
目の黒いうちの工程表 2012-11-24 | 雑感
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自由選択の無い社会への警告

2014-10-14 | アウトドーア・環境
土曜日に宣戦布告があった。今年も「小バエとの戦い」が始まったのだ。昨年は一月後、2011年とは時期が似ている。とにかく、窓に集り、食物やワインなどに集まってくるのみならず、鼻や耳にまで入ってくるのでおぞましい。通常の蝿と違って、とまられると色が変わるように数が多く、密集する。スーパーに行っても似た様な按配であった。

興味があるのは、昨年との比較で明らかにワインの醸造時期が異なって、それがわく時期が一月異なり、2011年産はやはり摘み取りが早かったのだろう。2014年産の葡萄は過熟成はないと思われるが、小バエだけは早く消えうせて欲しい。

窓拭きが半分済んだ。木曜日に残りが終われば部屋の中が明るくなる。日曜の朝トイレに立つときに電気をつけると、吹き抜けの照明が破裂した。見事な破裂だった。仕方なく掃除機を朝から持ち出した。

昨日の疲れは、やはり今までと異なり残っている。理由は分からないがビタミンか何かが欠けているのだろうか。陽射しが少なくなってのことでもあるかもしれないが、運動量が減ると食事量も極端に落ちるので悪循環の一つである。

昨日の今中哲二の講演と質疑応答の中でもう一つ印象に残った言及があった。それは、避難や賠償に深く関することで、小出氏の主張と同じく「正確な情報と分析で被害者自身が各々決定すること」とすることには違いないが、もう一つ踏み込んだ情報を提示していた。それはセシウムの半減期から三百年相当の年月を復興期とする考え方である。つまり三十年周期の十倍だから2の十乗で千分の一に少なくなる期間を具体化する。

要するに三百年ほど経過しないと原状回復は不可能となるということである。三百年といえば家系でいえば二十世代ほどの年月になる。三百年も我慢するよりも、三百年分の補償金をテプコに請求して逸早く新天地を求めることの方が立派な中興の祖になるという考え方が通るのだ。原状回復に今後二十世代が我慢するよりも三百年分の補償を請求するべきだとする考えがこの的確な情報から合理的に導かれる。

もう一つ同じようにIWJで石狩郡・新篠津からTPP反対の農村ワークショップ中継があった。ここでの山田元農水省の話が素晴らしかった。これまでは氏の話はそれほど説得力があるとは感じなかったが、これほどの情報が飛び交うとは思わなかった。特に遺伝子操作の原料が日本の植物オイルを駆逐して、それが全く表示されていないことから、「選択の自由の無い市場への警告」はまさしく本当の自由市場への賛歌であった。

これは、核汚染などの表示を明確にすることよりも、容易なことなのだ。もし遺伝子操作食品が怖いと思えば選択しなければよく、それが安く得と思えば購入すればよいのだ。つまり、それゆえに安くなるか付加価値が付くかで市場価値が定まるのである。それが市場の淘汰力であることは断るまでもない。

山田氏は、それだけに留まらず日本に輸入される肉類は成長ホルモンが多く含まれていて発ガン性があると警告する。エストラゲンの環境への影響や危険性に関しては改めていうまでもないが、これも放射能と同じで正しい情報に基づき、それをどこまで購買者が許容するかでその市場が定まるのである。明示しないのは犯罪である。

もちろんEU市場も個人的にもほとんどスローフードの方向へと、豊かな社会ではその購買傾向は定まってきているのだが、それを貧しい社会にも押し付けることは不可能なのである。それは最終的には自由主義の精神であり市場原理なのである。



参照:
本当に価値のある商品とは 2012-08-25 | アウトドーア・環境
安全デマ被害補償の一時金 2011-08-19 | マスメディア批評
QOLとしての水道水 2005-07-29 | アウトドーア・環境
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ふらふらしそうな感じ

2014-10-13 | 生活
一度脱出したかに思えたが、やはりもうひとつ体調は冴えない。通常ならば十一月に起こる症状が今出ているようだ。そして今年の特徴は、決して自分自身が置かれている環境はよくはないのだが、なかなか起きられない朝にとてもハッピーな夢を見ているのである。どこからそのようにご機嫌な気分が出てくるのか分からない。

そして目が覚めると、現実に戻ってはっとするのだ。寅さんシリーズに魘されない夢がどれだけあったかは知らない ― なるほど就寝前にテスト代わりに「男は辛いよ」をちょっと観たのは事実だ。そして冷静に考えると、まるでボケ老人か、モルヒネ患者はこうしたものかなとも思った。正直こうした桃源郷は怖いと思った。所謂覚醒である。時差などについても考えるような時節柄となった。

IWJで山本義隆を観た。流石に老けたが、年齢を聞くと当然であろう。科学と技術について語っていたが、それについては改めて扱おう。同じく、東海村で行われた今中哲二の講演と質疑応答を観た。この人の講演は同僚の小出氏のようなショー的な訴えかけの強さはないが、時々漏らす専門家としての言葉はとんでもなく衝撃的である。

質疑応答で、欧州のそれもフランスの原子力ストレステストの結果だろうか、コアキャッチャーというのものについて漏らした。サルコジ政権下でフクシマを受けてさまざまな議論がされたのは知っているが、格納容器の中の圧力釜の下に引いたコンクリートの厚さではなくて、どうもメルトスルーした場合の溶解した燃料を包み込むもののようである ― これに関しては「容器の下のコンクリート層」ということで中にあるのか下にあるのかの誤解が頻繁に生じたことである。日本では全くそれがないので日本の原子力がもっとも安全などというのは全く嘘だと断言していた。

それだけでなく、「日本の原子力関係者」は安全神話を作りながら自らもそれを信じていたという話は殊更面白い。これは日本における「科学と技術」にも関わることであるが、日本における科学の発展と深く関わっており、一種の宗教性にも至っていることから、マルクス主義のみならず「科学者だから無宗教」だとする言論にも深く関係する一般日本人の思考態度にも通じる。

今中氏は、「官僚が進める行政の責任を問う」とするのも官僚主義云々以上に、実は日本の権力構造に深く関わっていることは少し考えれば分かることであろう。この点において、小出氏の講演よりも今中氏のそれが日本の科学や思想の恥部を浮き立たせるのは、今中氏があくまでも専門家として一般市民のまっとうな判断力に訴えかけることを是としているからである。

事故直後に福島に入って調査していることから、直後には250マイクロシーヴェルトを越していながらなにも退去命令を出していなかったことなどを確認している。そして今回の安全基準で設置されたヴェントのフィルターによってどのような風向きによっても少なくとも30KM以内は即時に安全に退去することが前提となっていることを明言する。これが不可能なのは明確なのである。

書き忘れていたが、吉田証言などの問題を最近聞くが、NHKのネット放送の「フクシマ速報」を昔の台風速報のように四六時中観ていた者としては、番組の途中で未確認情報としてフクシマ第二への退去などのニュースを聞いていたので全く問題点が分からない。国の調査にはドイツでの放送を例としてその情報管制を真っ向から問うたが、NHKの速報はTV放送とネット放送では異なっていたのだろうか?NHKんーかイヴを調べてみなければ分からない。

前回は疲れが残った8キロメートルコースを辿った。沢沿いは、12分1950歩は悪くはない。それでもそこから走り上がる余裕はまったくなかった。ゆっくり歩きながらよくもこのような坂を走りあがったなと思う。歩いていても足がふらふらしてくる。



参照:
「杉の家」さん初訪問でした。(福島県二本松市) (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
福一バイパス放水の影響 2014-05-17 | アウトドーア・環境
小出裕章の虚の権威 2012-02-16 | マスメディア批評
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不可逆な我々の現代環境

2014-10-12 | 歴史・時事
日本のニュースを見ていて面白いと思ったことがある。一つはイスラム帝国への支持や従軍への動きで、工業先進国の若者に共通する感覚がそこでも見出されることである。しかし恐らくモスリムへの評価は大分異なるであろう。それは日本におけるユダヤ教への対応とも極似ていると思われる。

ヘブライズムへの西欧の対処はさらに複雑になるのでここで簡単に改めて記すことはできないのであり、このBLOGにおいて一貫して扱っている内容であるので触れることはできないが、イスラムへのそれは比較的容易である。

その表れは偽善的と呼ばれるような西欧に住むモスリムの反イスラム国への反対デモンストレーションにも顕著であるが、所謂近代社会の枠組みに収まらない思考や生活心情などがそこで徹底的に否定されることになる。

ドイツなどでも容易に保守的な政治家が口走るのは、「男尊女卑」と呼ばれるようなイスラムの教えであって、また懲罰などへの考え方を含む現代的な人権意識に反するイスラム主義の考え方なのである。これをもっとも端的に正確に述べたのは前ローマ法王の演説であり、その意味からもとても歴史的な意味を持つものかもしれない。

今回ノーベル平和賞にイスラムの少女が選ばれた件でこうした面にももう一度光が当てられるのだろう。西欧においてはこの問題は日常において頻繁に繰り返される議論でもあるのだが、それでもイスラム国へと参戦する若者が絶えないことは見逃せないのである。それはあまりにも当然に支配する西欧の近代的且つ科学的な合理的な精神から逸脱することでの未知の可能性を見極めようとする精神であるかもしれない。基本的にはトーマス・マン「魔の山」の雪原を彷徨う若者の姿とまったく変わらないのではあるが、そこにあるのは啓蒙思想でなくてイスラム思想なのである。

イスラムの教えに関しては容易に否定不可能かもしれないが、少なくとも近代化や脱近代などとはまったく異なる次元で、今更女性の教育や地位の向上に反対することは、同じ一神教のカトリックの女性の立場の問題などを考慮してももはや容認できないのである。これが必ずしも西洋化と呼ばれるような枠内で評価可能なものでないのは明らかなのだ。人権の尊重やその他の社会構造の変化については付加逆なものである。

ハムブルクやツェッレでイスラム国支援者とクルド人組織の流血の衝突が、アンカラでのそれを受けた形で発生した。デュッセルドルフでは無事終了したようだが、嘗て問題となった過激派指定されたクルドのPKKを応援する形で反イスラム国勢力に加担する形になっている。こうした矛盾がある限り、今後連邦共和国内でも流血騒ぎが拡大するのは想定内である。



参照:
フィリッピンで誘拐される 2014-09-28 | 歴史・時事
上から目線でしょうか? 2013-12-04 | マスメディア批評
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持続可能な環境の誕生会

2014-10-11 | アウトドーア・環境
誕生日会のことをまだ書いていない。流感性の関節痛などはまだ若干あるが徐々に落ち着いてきている。目指した岩場から駆け下りてくるのは早かった。岩場の上からほとんど地形的な感覚がつかめていたからだ。恐らく上から見えていたのはオーバーペルヒタールだろう。最近は日本でもジュニアーのジャムプ大会からショーナッハも有名になった。

グリルが出来るようになっている駐車場まで急いで駆け下りた。上りは25分ぐらいかかったかもしれないが下りは15分ちょっとだっただろうか。そして泉で手を洗い着替えて、車に乗り込んだ。町を抜けるまでにそれほど時間も掛からず、そこから国道500号線を僅かに行くと目指すエルツァッハヘの分かれ道に入る。この道を走るときはいつも逆方向が多かったが、今回はショーナッハを通過して、ペルヒタールを下って行く。するとエルツ谷のホッホシュヴァルツ街道B500へのぼりと交差する。そこから町外れのガソリンスタンドまでは直ぐである。今回は急いでおり満タンにしてきたのでいつものように給油はせずに、今度はキンツィックタールへの登りを少し進むと誕生日会の会場である三ツ星ホテルだ。

いつものように駐車しようとすると流石に車でいっぱいだったので、新しくできていた第二駐車場の方へと進んだ。その進入路は昔は草原につながる通路だったところで足元も悪かったのであまり歩くことはなかった。そしてその先に第三棟が完成していた。エレヴェーター付の三階建ての大きなホテルで、一部はまだ完成していなかった。手作りのケーキとコーヒーで落ち着いた後で不完成部分を見て回った。可也ゆったりとしていたが、鉄筋のそれは内装もまだないことであり若干よそよそしさのある印象があったのも事実である。

その後ブィフェー形式で宴席が進んだ。調理場も可也手があって豚の焼肉を中心に白ソーセージなどを、ジャガイモから団子やクラウト、ヴィルシンクなどのつけあわせとソースで食する。ビールやミュラートュルガウなどが呈されたが、ビールの方が人気があった。どうもバイエルンミュンヘンファンのおやじのアイデアとビールのガンターのオクトーバーフェストのアイデアが合致したようだ。

相席者と環境の地区として日本などでも有名になった話になった。知らなかったのはこの行政区のビーダーバッハのバイオマス発電に日本などからも見学者が訪れていることで、この近辺の水力、風力などと合わせて持続可能なエネルギーの開発とその観光への可能性が検討される。そもそもこの場所ももともと水車の粉引き小屋から飲食を提供するところとなりホテルへと発展してきているのだ。なるほど嘗ての豚や羊などの飼育や解体などは背後に追いやられているが、本来は自給自足的な経済が存在する地域であるのだ。その意味からも必ずしも昨今の再生可能エネルギーの拠点となってきていることも必ずしも不思議ではなく、このあたりの住民感情としての持続可能の生活と環境こそが本質であると改めて感じるのだ。

夜も更けてきて、ダンスも繰り広げられて、ボツボツと週の始まりに備える様子が出てきたところで辞去することにした。ビールを一リットルほど飲んだだけなのでほとんどアルコールの影響はなかった。そして自宅までのその約190KM間ほどの道が年々よくなって短くなっていて、走行時間もどんどん短くなってきている。宴席の間に稲妻が光っていて、車も綺麗に洗われていた。今まではあまり気がつかなかった敷地の縁石や噴水周辺も花崗岩であることを確認して帰路についたのだった。その環境にある営みこそがこの地方の風土であるのだった。



参照:
黒い森の花崗岩を吟味 2014-10-07 | アウトドーア・環境
黒い森の新旧エコシステム 2012-02-15 | 料理
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思いがけない請求書

2014-10-10 | ワイン
既に決着がついていると思った請求書が届いた。九月に解禁になるリースリングの詰め合わせがザールから届いたのだ。発注していたのにも拘らず一向に届かないのは発注が遅れたために売切れてしまったと思っていたのだった。

ファン・フォルクセム醸造所の便りには2013年は腐りが多くてまともな辛口はごく僅かしか収穫されなかったと書いてあったから、それはそれれで仕方ないと思ったのだ。正直今年のワイン購入はそろそろ締めにしようかと考えていたところだ。

今回は上のような事情もありよいものを少量、グローセズゲヴェックスは二種類しか収穫されずに、ポトリティス交じりの辛口以外は甘口下手になってしまっていることであり、それ以上は求めようがなかったので上級リースリングのお試しセットにしたのである。価格は六本で114ユーロである。

内訳は、自身の葡萄で醸造するもっとも単純なアルテレーベン二本、グランクリュのゴールトベルクとシャルツホーフベルガーを二本づつである。後者二本の出来はアルテレーベンを試せば分かるだろう。寝かしてものになるのかどうか?何はともあれこれを試すことで2013年のモーゼル流域の出来もある程度認知可能となる。

ここ暫くで、カルタヴァイン、ゴールトベッヒェル、フリューリングスプレッツヘェンを立て続けに開けた。真ん中のそれが上位のクラスに当たるだけで、略同じ価格帯の現在のドイツの代表的な価格帯のリースリンク三種類である - もはやこの価格即ち現在16ユーロ以上の白ワインはドイツのリースリングと比較できる品質と価格は世界で皆無となった、それ以下はおそらくフランスとイタリアの天下だろう。

前回開けたときに残糖感にがっくりしたゴールトベッヒャルは二日目も三日目もまったく問題なくて、前の瓶は何らかの問題があったとしか考えられないと落ち着いた。天然酵母で立派に造ってあってもポトリティスが混じっていたのかなと落胆したぐらいだが、全くそれは危惧であったようだ。カルタヴァインに関してはなるほど酸が立っていて若過ぎるかもしれないが、これはこれでより都会的素晴らしいと感じた。最も田舎くさいフリューリングスプレッツェンも柑橘系ながら複雑な味が混じり、最初のポトリティス由来の蜂蜜味もそれほど食事に否定的には感じなかった。むしろこれぐらい汚れがある方が気楽に楽しめて、食事に合わせやすいのかもしれない。

いづれにしても2013年産は、酸に関しては2010年に近づいているが、その年と異なって石灰処理をしないで醸造できた醸造所が数多くあるので経年劣化が少なく、品質としては明らかに上位となっている。2014年に関しては、酸は2013年には及ばないが、2012年よりは効いているということである。しかし試食した感じでは、風味は2013年には遠く及ばないようで、量は収穫されたが、質はあまり期待していない。

先週誕生日祝いに2012年産ガイスボェールを購入した節に、既にキルヘンシュトックも収穫されてしまったということで若干驚いた。2014年産は買い手市場になってくれればよいと思う。



参照:
多少の揺れは想定内 2014-06-28 | 生活
本場って、一体どこ? 2013-12-22 | 暦
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いつものフェードアウト

2014-10-09 | SNS・BLOG研究
久しぶりに一っ走りした。これで何とか不調から抜け出せれるだろうか?先週には短い距離を走ったが立ち入り禁止で距離も時間も走ったうちに入らなかった。それでも今回は峠への中間地点まで走って、12分1975歩とまずまずの走りが出来、車まで走り降りてきたときは十分に汗ばんでいた。

床に就いてから感じたのだが、夏と変わらないまま半袖で半パンツの寝巻きでは体調を壊すのは当然かと感じた。冬の用意をした方が早く体が馴染むかもしれない。季節の変わり目はこの体温調整などが難しくて毎年苦労しているのだ。

そして一汗掻いて、決して気温は高くないのだが午後に窓を開けて清々しい気分になった。あれはやはり一種の風邪引き状態だったのだろうか?十日間以上調子が悪かったことになる。

昔ほどそうした落ち込みの起伏は感じなくなったのであるが、やはり何らかの身体的な調子の悪さで閉じこもり気味になるのだが、客観的に見てあれだけ体調が悪ければ当然というような気もする。なにかと区別に悪い病気でも背負っているような感じである。

久しぶりに体重計ると暫くは見なかった74KG台に太ってしまっている。体調がよければ食欲も出て、食事量も増える傾向にあることを考えれば当然なのであるが、運動から減量を企てている者としてはかぐわしくないのである。

ライヴドーアのrssリーダーが終了になるという。事情は知らないが、blogのみならずsnwの事情が変わってきているのだろう。相変わらずネットでの情報収集も基本はそこに現れるようなサイトの時事ニュース報道であり、決してツィッターのようなものではない。正直ツィッターは使うことがない。その内容も今まで読む内容も殆どなかった。理由は、読みにくく、短く事情説明がなされていなくて、状況が正しく把握できないことに尽きる。

この度、終了のお知らせを受けて他のrssリーダをタブレットとwindowsで試してみた。現時点で使えるのは、前者の一つと、後者のネットヴァイブスと称するものである。前者もライヴドーアのそれよりも使いが悪く、後者も悪い。しかし、今までの使用の慣れがあるので、もう少し使い込んでみないと客観的評価は出来ないかもしれない。表示の方法や選択などの自由が利くものが最も使いよいのだが、兎に角個人のblogのみで660件ほどあるのだから、それを正しく掲示させるだけで大変なのである。

タブレットの方は場所もあるので、既にurlが存在しないものをマニュアルで消去した。既に止めてしまって久しいものもあったが、殆ど忘れているものもあり、気がつかないうちにフェードアウトしたものもあった。しかしその多くは、その投稿内容から、おそらくフェースブックで名を名乗って登場している者、まったくそうした時間がなくてなにも発信していない人、明らかに最初から続きそうになかったものなのが窺い知れた。

おちゃらけで書いていたものもとても真剣に書いていたものも両方ともなかなか続かないものであることは最初から明らかだった。書き方の手引きとして出ていたように、特定のテーマに沿って書き続けているもので残っているものはむしろ希少な存在である。原因は至極当然でどのような職業的な専門について語っても専門的な内容を深めていかない限り、同じことを繰り返すしかないのは授業のクールの作り方と同じだからだろう。



参照:
RSSリーダーを新調する 2009-07-29 | BLOG研究
少し咳き込んでの不安感 2013-02-18 | アウトドーア・環境
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気がつかないステレオの面倒

2014-10-08 | 
文化欄に面白い記事が載っている。モノラルの薦めである。前編集長が亡くなって、その質の低下なども心配されているフランクフルターアルゲマイネ新聞である。そこでは、「サージェントペッパーの録音をモノで聞いたことがないものはこれを知らないののと同じだ」との名言を取っ掛かりとして話をつないでいる。ミラノスカラ座のロージェのよい席になればなるほど、モノラルに近くなるが、生の体験は家庭でのそれと違って集中できるということだ。

通勤のカーオーディオと家庭でのそれとの相違も明らかで、当然のことながらステレオサウンドは二つの耳があるからこそ自然な音響なのだが、仕事の合間やPCでそれを一こまとして映し出したりするときの音響としてはモノラルなのだという。それは包まれるような音響空間が生じない方がマルチタスクにはやり易いとなる。

音楽におけるモノラル再生の利点は、ステレオやマルチマイクロフォンのそれでは位相を合わせるのに技術と経験がものをいい、自然な音響を作るのはとても大変なのに対して、そのような問題点がないことである。とても素晴らしいモノラル再生が存在することは間違いない。

ローマの歌劇場の解雇問題が話題となっているようだが、首都であることは別にして、そうした人件費を持ちこたえるだけの音楽劇場は欧米ではほとんどなくなってきている。もっとも公費が使われている連邦共和国においてもベルリンでの統合などは進んでおり、経済的に豊かな筈の大都市でもローマ方式の持ち回りやアウトソージングは当然のことである。そもそも大管弦楽演奏会などにおいても客席は年金生活者が殆どで現役の人や若者の顔は殆ど見かけない。要するに将来性は皆無ということである。

先日、ラディオ番組に指揮者のクリストフ・ドナーニがゲストで出ていた。ハムブルクでのリーバーマン監督時代の成功についても語っていた。面白いと思ったのは、この作曲家と指揮者が知り合ったのは指揮者がたくさん作曲をしていた時代ということで、そこまで本格的に作曲をしていたとは知らなかった。もちろん祖父などの家柄から考えればまったく不思議ではないのだが、自作自演演奏会など聞いたことがなかったからである。また、モーツァルト解釈としてフリッツ・ブッシュのそれを紹介していてこれまた興味深かった。名指揮者となるのもある年齢まで絶え間なく活躍してきて、経歴や経験を重ねることがそれに当っていて、比較的若死にしてもっと偉くなったであろうカイルベルトやケルテスやフリィチャイやカンテッリなどの名前が挙がっていた。初めてその肉声をじっくり聞いたが思ったよりも老けていた。

スーパーへの道すがら、大阪の釜ヶ崎のカフェーに纏わる身近なドキュメンタリー番組が流れていた。そこで雑用をすることになっている男性の肉声や、詩や芝居を通じてこうした人たちにその場所を提供している女性の詩人のことが扱われていた。欧州ではそうした活動は必ずしも珍しくはないのかもしれないが、日本においてボランティアーとかそうした枠組みとは異なるところでの活動としてとても興味深い。そもそもそうした人々を緊急信号が発せられるまで放っておくような社会の方がおかしいのかもしれない。
スーパーの駐車場に車を停めて周りを見渡すと、如何にも浮浪者のようなオヤジが軒の下で寒そうにパンか何かを齧っていた。上の大阪のオヤジは京都で学生時代に放蕩を繰り返して、ギャムブルで崩壊したようだったが、ああしたオヤジにもそのようなヒストリーがあるのだろう。買い物を済ませてレジで並んでいると、丁度交代の時刻で客を待たせながら、レジの交代をしていた。「客の足がなくなるまで待て」といいたいが、レジのログインが上手くいかずに「畜生と」罵るおばさんに、のんきオヤジのような人が「機械はなかなか思うようにいかない」と口裏を合わせていた。そしてその前の客が忘れていったカードを見つけて後を追いかけたが見つからずに戻ってきた。こちらに一言誤りを入れていたのは、私が面倒な表情をしたからに違いない。



参照:
Stereo und Multitasking kommen uns nicht mehr ins Haus, FAZ vom 1.10.2014
一時間38円の贅沢三枚 2014-04-27 | テクニック
極東の世襲政治の様相 2006-12-13 | マスメディア批評
強い意思と「努力」あるのみ 2012-03-12 | 文化一般
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黒い森の花崗岩を吟味

2014-10-07 | アウトドーア・環境
シュヴァルツヴァルトの誕生日会の前に、花崗岩の岩場を訪れた。大きさは最長のルートでも30Mほどと決して大きくはなかった。それでも価値はあった。

雨降りが予想されていたので日曜日の朝に目が覚めたときも、二度ねした。降ってはいなかったが帰りに夜遅くアルコールを帯びて帰宅することを考えると、少しでも寝ていたかった。予想は外れ夕方まで降らなかったので、もう少し早く出発していたら一人でも登れただろう。しかし、ルートを登ることはそれほど重要ではなかった。

最大の目的は購入したガイドブックを使ってみることで、その内容を吟味して、シュヴァルツヴァルトの花崗岩の岩場を吟味することであった。同時にそれは友人のホテルから動けるクライミングの可能性を広げることであり、当面はそこに宿泊にいく予定はないが、私にとっては一種の駆け込み寺的なドイツでの生活の原点のような場所なので、そこに暫く滞在することは必ずあるのだ。だから、そのご近所は知っていなければならない。

今回訪れた岩場はそこから二番目に近い場所で、所謂シュバルツヴァルトの本峰筋にある。だから頂上の標高は700Mあり、冬は雪が積もる。そのためか比較的風化も進んでいるが、しかし日本のたとえば神戸や芦屋・西宮のような風化ではなくて、まだシャモニのそれに近い。対岸のコルマーのそれと比較して岩質はほとんど変わらないが、規模が小さいだけである。

自宅から走行距離170KM約110分、更に徒歩25分は今回のような序がなければ割に合わないが、100KMほどのところに同等の岩場があることは理解できたので、何箇所か試してみたい。

久しぶりに花崗岩を触ってその小さな突起などの感触を得られたのはとてもよかった。気温が低いとその当たりが厳しく感じるものなのだが、天気がよく、駐車場から2KM強の坂道で汗を掻いていたので温もりすら感じられたのである。

ホテルから反対方向の冬のアイスクライミングを企てる場所の山の反対側には岩場があるがそこの岩質は片麻岩であって、アルプスの谷の代表的なものであってそれほど面白い登攀を約束するものではないのである。だから態々登りに行く価値があるかどうかも疑問である。

もう一つアイスクライミングの滝の流れる谷に一箇所小さな岩場もあった。嘗てそこの滞在していたときに目視で岩場を探したのだが見つからなかったものが、こうしたガイドブックで簡単に情報収集できたのである。30ユーロほどの投資はとても安かった。



参照:
そこから始まる上級志向 2010-09-28 | 試飲百景
ガブリエリ・ルッペに学ぶ 2013-07-23 | 文化一般
皆病気がちのバイオウェザー 2012-11-06 | 生活
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デーヴィッド・マンローの伴奏者

2014-10-06 | 
先ごろケムブリッジで73歳で亡くなった音楽家ホグウッドの追悼記事を読む。写真つきの小さなものであるが、「古楽のカラヤン」は悪くはないのではなかろうかということだ。この人の名前は指揮者としてはモーツァルトの交響曲全集以降私の前からは長く消えていたのだが、バーゼルで仕事をしており、パウルザッハー関連曲の録音で再会した。この間40年近い流れがあった。一度そこでの活動振りを体験しに訪れるつもりでいたが、こちらも出不精でご無沙汰しているうちに、本人にも身近に接する機会を失った。

そうした録音を今回改めて流してみても、またハイドンの交響曲集を流してみても、この音楽家の活躍は私にとってはデーヴィッド・マンローの伴奏もしくは鍵盤楽器奏者としてのそれに尽きる。今回、リコーダー曲集やニーダーランドの前衛などルネッサンス期からバロックの名録音をLPで流してみて、その主役の見事さとともに演奏するこの鍵盤奏者の音楽をとても楽しんだ。それと比較すると後年のそれが物足りなさ過ぎるのはやはり共演する演奏家の音楽性ということになるのだろうか?

そもそもアマチュアーとして鍵盤を弄って来て古い鍵盤楽器を集めるうちにケムブリッジの自宅で博物館展示することから、そこでの音楽会などから本格的にこの道に入ってきたとある。また生涯250を超える録音をなしていると書いてあるが、レコード会社の身売りなどでハイドンもそしてロバート・レヴィンとの協奏曲集も完成しなかったとある。

前者に関しては「三和音を弄繰り回して全ての交響曲を完成させてしまう、無駄を一切出さない料理人」とフォノフォールムに語っているようで、なるほどこの人の演奏実践ではそうしたエコの感じがとても強い。ハイドンの交響曲の面白さの表現としてそれで十分な面もあるかもしれないが、面白さを示すために透明性をモットーとしているようである。

嘗て、モーツァルトの全集が出てきたときはそのディスクの価格などとともに可也話題になったと同時に、そのサウンドに度肝を抜かれた音楽愛好家は少なくなかった筈である。しかしこうして振り返ってみれば、そこにそれ以上のものを求めたのは間違いで、それで十分だったということなのであろう。

その点からも、安売りでよい録音が入手できれば協奏曲の方も聴いてみたいと思うのだ。ここでも独奏者がそれなりに素晴らしい演奏を繰り広げているならば、嘗ての交響曲集よりもマンローとの共演のように期待できるかもしれない。しかし所詮古典派の名曲でありそれほどの成果は期待できないのである。もし特別な価値があるものならば、いかなる場合であり丁寧な録音作業は最後まで継続されたに違いないからである

そのような意味からもデーヴィド・マンローの指導の下でのこの音楽家の録音は歴史的な価値を今後とも持ち続けるに違いない。しかしあの衝撃的なサウンドのモーツァルト全集の評価は流行性のものになるかもしれない。

過去を振り返ればマンローの何周忌かのケムブリッジでのコンサートではこの人は見かけなかった。既に交響曲全集で世界的に有名指揮者になっていたから自宅にも居なかったのだろうか。



参照:
Der Veränderer unserer Ohren, Eleonore Bünning, FAZ vom 26.9.2014
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活
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豪快にまどろっこしく登る

2014-10-05 | アウトドーア・環境
先日書こうと思っていた。以前は年に何回かは体調不十分で寝ているのも辛い思いをすることがあったのだが、最近は運動量の増加とともに寝ている暇さえなくなっていたことを。しかし週末の疲れで背中が張り、あちこちの筋肉や筋が痛んで疲れが残った。原因は分からないが慢性的な疲れが出たような感じである。それに精神的なものが加味されているのだろう。

お馴染みの岩場でまだリードで登ったことのないところで、嵌めた楔の回収で苦労してから、同じように南プェルツァーヴァルトでもっとも素晴らしい一般ルートと呼ばれる場所を登った。ここも頂上まで昨年の秋に行き着けなかった。理由は至極簡単で、岩頭最後の頭部で足が届かなかったからである。そして方法も見つからなく、相棒に代わってもらって登ってもらっても駄目だった。夕暮れが迫っていた。

今回はケフラーの棒のようになるシュリンゲをその場所の杭に引っ掛けて、人口登攀で一歩登り、中間支点をかけて、そこで徐に反対側の岩に突っ張ることで超えた。その予定でいたのだが、杭にシュリンゲをかける作業も一歩上に登らなければ不可能だった。これが不可能ならば投げ縄しか方法はなかったであろう。流石にクラシックルートである。

結局私が率いた支部の経理担当の十分に大きな男もフリーで超えられなかった。しかし流石に後続した家族部指導員はそれほど大きくないが見事にこなした。それを頂上から撮影した。彼はそこの写真を見ていたのでどうしても登りたくて、希望がかないとても喜んでいた。彼の後続はさらに大きく190CMほどあるので綺麗に突っ張っていた。これだけは致し方ないのである。練習ではどうしようもない。

それでも頂上からの景色は素晴らしく、頂上まで一気に登れたので満足した。この岩頭に登るには一般的に中間で切って、二ピッチとすることが普通であるが、前回の経験から一気に登れたら素晴らしいことが分かっていたので、十分に中間支点の細引きを伸ばしてザイルを伸ばした。その技術難易度に比較してあまり十分に中間支点が取れないことから、初心者向きではないので私が先行した訳である。

当然のことながら降りるには私の60Mザイルだけでは二度降りなければいけないが、後続のパーティーの70Mのザイルと結び合わせて、一気に地上へと降り立った。60M以上の岩頭を一気に登る豪快さとさらに限られた中間支点を有効に安全に使うにはこうして一気に登る方が遥かに安全度が高いのである。

所謂クラシックルートは、テラスからテラスへと繋げて弱点を縫ってルートが開かれているので、それに合わせてショートカットすることがよいとされている。しかし、アルプスの大ルートを視野に入れるとき重要なのは往年のそれを偲んだり、アルプスごっこをするのではなく、ザイルが伸びるような中間支店の設定や延長の練習が登る技術そのものよりも重要になり、場合によってはまどろっこしいように見えてもこうした練習を繰り返さなければ意味がないのである。



参照:
ケブラーでしゃっきっと 2013-10-01 | アウトドーア・環境
いってしまい勝ちな銀の楔 2014-10-02 | 生活
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ノンCM情報収集の意味合い

2014-10-04 | マスメディア批評
福島県潜入中のSAARWEINEさんから郡山第一報が入った。予め南相馬の汚染と比較はしていたのだが、第一報で空間線量が高いことが知らされた。この機会に福島県のサイトで空間線量のメッシュを調べてみた。ある小学校の横の道で九月の始めに空間線量0.5マイクロシーヴェルトが出ている。こうした除染されて安定した測定場所でとても高い数値が出ている。記憶で定かではないが、この小学校は年間20ミリシーヴェルト問題で話題になっていたと思う。

南相馬の役場の近くの徹底的に除染された地域と比べて広範囲に高い空間線量が市街地内で見つかるのは郡山市である。駅前からその小学校や自然公園のある地域との分布の差があるのは山地の形状によるプルームの落ち方の違いであると推測可能である。

行政がこうした汚染に対して出来る限り過小評価しようとしたのはその経済的な被害の大きさを知っているからに違いないのである。そのことだけで子供たちの健康被害を推し進めようとしているのが自己防衛しか考えない官僚組織なのである。

年間被曝量をそうした数字の八時間で計算して室内での被曝量が少ないとすることからいい加減な計算を示しているが、室内や住宅がセシウムで汚れているとすればそれ以上に高い線量のところで衣食住を繰り返しているかもしれなく、更にこうした公的な観測場所の三倍以上のホットポイントはこうした被曝地域では頻繁にあるに違いないのである。そしてセシウムは地面などに沈着しているとしても内部被曝量も通常ではない。

先日フィリップスベルクの原発に検査技師として入っている女性の仲間に聞いてみた。彼女らでの年間の被曝量は3ミリぐらいにしかなら無いと言う。健康な子供をもつ彼女は専門家として十分にコントロール出来ているだろうが、福島県内などの多くの家族では不慮の被曝に曝されている家族が多いに違いない。

ざっと計算すれば年間5ミリから20ミリの被曝をしている市民は決して少なくないはずである。勿論あの災害時に何処でどのように生活していたかで生涯被曝量が可也異なり、通常の人ではありえない被曝量に達している市民は少なくない筈である。それでも移住計画やそれに対する援助などは殆んど施されていないのが現状である。子供たちに被害が出る頃には責任を問われるべきその人たちは退職金や年金を片手に逃げ失せているのである。

タブレットの整理から新たにアドブロックプラスと称するフリーソフトをウィンドーズなどにも導入した。長く使ってみないと分らないが、とてもよい感じである。特にUストリームの生放送で煩わしいCMなどをこれでカット出来るようになっている。いずれフラッシュプレーヤーとの騙しあいになるのだろうが、急いでフラッシュプレーヤーのアップデートをしないことで当分は使えるのではないかと思っている。そこに表れる一つのサイトでカットしているCMの9などという数をみると堪ったものではない。既に書いたようにCMをカットできるように皆がこうしたソフトを導入すれば、現在のネット関連の株価は十分の一以下になるだろう。実質経済価値の伴わない経済価値を可能な限り縮小する方法である。これによって人為的に計画されたバブルとその崩壊を少しでも抑えることが出来るのではなかろうか。

その他、動画サイトのDLはUストリームの生などを除けば全く問題が無い。生は動画のスクリーンショットとしてしか方法は見つからないが、問題は音声であり、これは丁度嘗て我々の世代がやったようなTV受信機の前でマイクロフォンで音を拾うような感じになってしまう。

その関連で、オービットダウンローダーと称するフリーソフトを検索するとなにやら問題があるようなことが書いてあった。XP時代から長らく利用している動画ダウンロードのための便利なソフトであるが、今まで様々な検査でも問題があったことはない。常時使っているわけではないが、少なくともウインドーズのシステムなどでは全く問題なく使えている。しかしアンドロイドなどタブレット版はないようであるが、アーカイヴにあるそれらの動画をダウンロードするためには全く必要が無いほど、他のソフトなどを組み合わせれば容易である。

夜中に香港のでも中継をUストリームで観ていた。で、寄せ集めサイトなどはあるが日本のIWJのように画期的なそれは見つからなかった。それでも世界中に中継されているとすると少なくとも天安門のようなことは流石の中共でも出来ないだろう。いざとなればネット回線を遮断するだろうが、タブレット研究でも分るようにそうした網を抜けるような努力は日々為されているのである。



参照:
活性化とは被曝すること 2014-05-11 | アウトドーア・環境
革命的な道程と記録 2014-09-12 | テクニック
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小荷物とともに届く招待状

2014-10-03 | 雑感
小荷物とともに知らないところからの手紙が入っていた。どうせつまらないものだろうと思ったが、Mcと読めたので誰かなと思った。立派な封書である。よくみるとマックラーレンと書いてある。アイルランドなどには知りあいがいないので一瞬思い当たらなかったが、そのロゴが車を想像させた。案の定彼の高級車の試乗への誘いである。

それにしても資産家と思われている訳でもなく、高額所得者とされている訳でもなく、超高級車を所持している訳でもない。詮索すればスポーツカーに乗っていたことがあることぐらいだろうか。名前やその名声は知っていても価格は知らないがフェラーリの方が身近な存在であって、そもそもポルシェを購入する予定すらない。

何の間違いで案内を寄越してくるか知らないが、個人情報を集めると購入の可能性が無い事は無いということなのだろうか。そもそも資金も無いが、こうしたスポーツカーを今後購入する可能性があるかというととても可能性は少ないように思う。たとえ四千万円ほどの金が自由になるとしてもウィッシュリストの上位にはスポーツカーは入らない。

ある年齢になると若い頃の夢を捨てられずにそれを追い求めるような高齢者が少なくないのは分っているが、あと二十年以上経ったときにそのような気持ちになるとは全く考えられないのである。そもそも動体視力が落ちる一方なので高速で走る楽しみなどは無く、少しでも早く目的地に燃料を節約しながら到着して、時間とエネルギーを節約することぐらいしか考えない。

スポーツカーの居住性やその視界などは決してよいものではなく、運転感覚も緊張が勝つものなので全く現在の心境からすると受け入れられないものなのである。もはやBMWですら走り心地は気持ちよいのだが、なんとなく飛ばすことに喜びを感じてしまいそうなので否なのである。

週末以降体調が良くない。胸辺りが若干重苦しく、嘗ての胸の痛みのような感じが若干再来している。胃の調子があまり良くないのは先週辺りから感じていたのだが、ここに来て全身症状が悪くなってきた。沢沿いの奥が閉鎖されていることもあり短く走ったが、変化はないのだが、一汗掻いて気持ちよくといった感じにはならないのである。当然の事ながら食欲も落ちているのだが、体重がなかなか減ってくれないのは発汗量が少ないからであろう。

さて小包には前日発注したシュヴァルツヴァルトのクライミングガイドブックと紛失した変形楔一つが入っていた。日曜日は天気が悪くなりそうなので、使えないかもしれないが、態々二時間も走っていくのなら序にその辺りの花崗岩の岩場も見て来たい。更に天気が悪ければ手作りのグラスで割れた赤ワイングラスの補充もしても良いか。

兎に角、超高級車に大枚を叩くような余裕があるならば同じ金額を寄付すれば助かる文化事業やその他の活きた使い方が幾らでもあるのだ。そもそもアウトバーンでさえ十分にスピードも出せない乗り物を所有しても全く意味が無いのである。巡廻速度が飛躍的に上がるような車両ならば経済的価値は十分にあるのだが。試乗の機会があれば面白いかなと思う反面、この車の顧客になることはありえないと、ワインのそれと同じで試乗することも無い。また電話が鳴り響くのだろうか、乗り換えの時期とされるとどうしても騒がしくなる。



参照:
十二年超えを一杯走らせる 2013-09-25 | 雑感
いってしまい勝ちな銀の楔 2014-10-02 | 生活
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