Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

曇天の聖土曜日の騒々しさ

2017-04-16 | 
聖土曜日は朝早くから買い物客が押し寄せた。例年の如く、厚い雲が覆う聖土曜曜日の天候だが、復活祭で火曜日まで休みになるからだ。先ずはパン屋で並び、八百屋に行くのに遠めのところで駐車した。おばさんが牛蒡を渡すのを忘れていたので帰宅後電話した。帰りにはバイパスが地元の南インターチェンジまで開いていて、いつも使うところはラムぺが殆んど出来上がっているので、旧道の混雑は解消されて、もう一息で工事以前よりも更に静かになるだろうことを確認出来てよかった。

立ち寄った肉屋では青胡椒入りミニザウマーゲンを購入した。残っているマウルタッシェと合わせてこれで火曜日まで暮らせるだろう。一食は米があり、一食はジャガイモがある。復活祭初日はパン屋も開いているので、リースリングを一本開ければ充分だ。

途上のラディオは予定されている復活祭の平和行進の予定などをニュースとして伝えていた。ラムシュタインの沖縄と並ぶ世界最大の海外米軍基地へと向けてシリアへの攻撃などへの抗議行動を行うという。その行動の規模は知らないが毎年のことだろうからある程度は分かっていることであり、こうして朝のニュースとして伝えることは中立の公共放送としては公平なのだと思う。

そこで、トラムプ大統領が北朝鮮を朝鮮半島の非核化に向けて交渉の場に引き出そうとしている挑発の報道は、丁度冷戦時代の戦略核構想を想起させるが、あの当時の西ドイツの報道はどうだったのかなどと思わせた。当時は右左両翼の政治勢力と報道姿勢などがはっきりあったわけだが今はどこの国も異なっている次元ではやはり質の良い冷静な報道などが必要とされるのだろう。先日、米中の両首脳は今回の件で協議したことだろうから、ある一定の効果は計算できているのだろうか?

北朝鮮と謂えば、先日シュネーベルガーのお弟子さんと話したときに、金正恩とも平壌で会う可能性はあったと語っていたが、それは冗談ではないと分かった。逆に会っていなかったのだろうと分かった。それほどスイスでの滞在は後継者となる本人にとってはあまり表に出したくない事だったのだろうと推測する。スイスの全方位永久中立政策ゆえになせる業だろうか。

南朝鮮と謂えば、ベルリンの尹伊桑の家構想に韓国政府が経済的援助を惜しんで暗礁に乗り上げているという話しを聞いた。貧しい国でもなく、サムスンなどの大企業は連邦共和国において大きな利益を上げているのであるから、ソニーが首都にセンターを作った様に、韓国を代表する作曲家であり、政治的にもとても世界の注目を集めた人物であるから構想に財源を出すべきである。勿論彼を迫害して、死刑判決を与えたのは先頃弾劾された朴の父親の朴正煕大統領であり、あまりに北朝鮮と近かったことからその援助が難しかったのは理解可能だが、この時点で方針が変わらないのだろうか。その政治信条以上に、朝鮮民族にとっては重要な芸術家であることは間違いなく、金大中と並んで時代の証人であったことも間違いない。韓国人も慰安婦像などに市民の募金を集めるならば、尹伊桑の家構想に資金を集める方が将来的にも価値があり、民族の誇りとやらに繋がるのは間違いない。



参照:
聖土曜日から復活祭にかけて 2013-04-01 | 暦
ポストモダンの貸借対照表 2005-09-02 | 歴史・時事
詭弁と倹約 2005-02-18 | 料理
日本人妻たち対慰安婦たち 2017-03-16 | 女
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聖金曜日のブルックナー素読

2017-04-15 | 
オバマ前大統領が五月にベルリンを訪問するという。プロテスタントの教会大会に出席してメルケル首相と面談して、その足でメディア賞授与にバーデンバーデンを訪れるらしい。子ブッシュとは異なりその世界的影響力は健在のようだ。

ラディオは、電気代が上がることを伝えていた。理由は連邦共和国が進める電気自動車の充電機の設置のために新規投資が必要だからのようである。既にアウトバーンの脇のマクドナルドなどでも見かけるが、充電時間を考えると本当に実用的なのかどうか分からない。少なくとも、自宅では今後とも更に節電する方向で最後の微量電流までを抑えて行くことになりそうだ。今年になって殆んどワークステーションを点けていないので既にこれまた期待できる。

ランニングのスピードが出ない。理由は分からない。気温摂氏六度もあれば十一度もある。それほど変わらない。どこがどう悪いわけではなく、絶食をしている訳でもないが、もう一つである。先週、週末の疲れが残っているのだろう。コンサートに行くだけでも結構厳しい。十代の時の年間百何十回かの記録が一度だけあるが、二時間近く集中しているだけでも疲れるのである。それが三日に一度ほどとなると堪らない。あの頃は好奇心の方が強かったのだろうが、それでも厳しかったのを覚えている。

2015年から再びフランクフルトの演奏会とバーデンバーデン以外にミュンヘンのオペラに通いだしたが、フランクフルトは定期を止めた。それでも今年、来年の計画を立てると、そこにこれまた極力減らしているスキーと山を加えるとダブルブッキングの可能性が高い。今は泊まりで仕事に出かけることもなくなっているので幸いだが、そのようなものがあると仕事先からオペラやスキーということになってしまうのだ。

忙しく動き回っているとやはりじっくりと色々な勉強ができなくなる。音楽のお勉強だけに限ってもあの忙しくしていた時の時間に追われてのそれと今ではやはり大分異なり、深く勉強出来る。ブルックナーの交響曲四番の「素読」を第一楽章から始めた。最初の版も写譜屋さんの筆ではなくて直筆譜だった。古楽の場合などは苦手なのだが、これはシステムがはっきりしているので、なによりも書き込みが分かり易くて余り苦にならなかった ― 余談ながら、通常の文章とは違って、音楽の記号は速読に適していて、視覚的に文字とは違ってそれは瞬間的に捉えられるからである。寧ろ、動機の扱いなどを見るとその勢いとか書き込みに流れが見えて分かり易い印象である。同時に後年の成功と攻撃から対位法の大家のような印象があるが、この交響曲をこうしてみると可成り隙間だらけでそれほど密に書かれてはおらず、精々その辺りの学校の先生という感じである。実際にオルガン弾きとしてと同時に、ヴィーン大で講座を持つとなっているが、現在もどこにでもいるような普通の音大の講師程度ではないだろうか。流石に第一版は冗長なところがあって改定の必要に迫られただけでなく、今は誰も使わない楽譜であるというのは感じられた。少なくとも動機の扱い方においてということである。まだよく分からないので先に進もう。



参照:
復活祭音楽祭のあとで 2017-04-13 | 生活
夏タイヤについてのファクト 2017-02-24 | 雑感
インタヴュー、時間の無駄四 2016-08-03 | 音
魂をえぐる天国的響きに 2016-06-13 | 雑感
東京の失われた時の響き 2016-03-06 | マスメディア批評
予定調和的表象への観照 2015-09-29 | 音
ブルックナーの真価解析 2013-12-17 | 音

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フランスのチーズとワイン

2017-04-14 | ワイン
バーデンバーデンへの途上でワインを二本購入した。一本はブルゴーニュだが、もう一本は白ワイン代わりにロゼを購入した。いつもはプロヴァンスの安く軽いものを購入するが、魚などに合わしたいので探してみた。あまり飲んだことのない、フランスで最も高価なと呼ばれるタヴェルを購入した。他のロゼの倍ぐらいの5ユーロぐらいだったが、アルコールが14%とと高いのには気が付かなかった。二度ほど滞在したニームとアヴィニョンの間だが、現地ではあまり飲まなかった。高価だったからだろうか。

サケのパイに合わせて、悲愴交響曲から帰宅後に開けた。何よりも甘みが口に広がるので、最近はフランスのワインの甘みに閉口するかと思ったら、苦みが急に広がって来てまるで仁丹のようだった。あの石灰土壌でこれだけ苦みが走るのは高アルコールでしかありえないだろう。魚の焼いた苦みとか貝の苦みとかには合いそうだ。それにしても可成り強引なワインである。あの辺りから地中海にかけてのフランスワインは、繊細とか柔らかみとかとは正反対のワインを何とか石灰岩のカルシウム丸みのようなテロワーで飲ませるものが殆んどである。兎に角ロゼの割には赤のような色をしていた。暑い2015年産ということで、ドイツにおいても繊細さを求めるのが間違っており、フランスでもそれは同じだろう。

スーパーでは直前にドイツの親仁達がエビを買いさらってしまったので、烏賊を買った。自宅で初めて掃除した。そして一回はゲソを使ってイカスミスパゲティーにした。これは、味も色合いも丁度良かったのだが、腹がごろごろした。下痢をしたわけではないので毒性はなかったのだろうが、翌日も腸が疲れた感じは残った。もう一回はトマトを入れずにスパゲティーにした。こちらの方も若干腹にもたれたが、イカスミほどではなかった。兎に角、魚介類の料理は処理するだけでも指が臭くなり、臭いが気になる。普段あまり弄っていないからだろう。

次にバーデンバーデンに行くときも何を買おうかと思うが、今回何よりも良かったのはサヴォア地方の山チーズなど二種類だ。期限も19日までで、5ユーロぐらいで塊を二つ購入できた。地元のドイツのスーパーでは到底無理な量で、更にドイツやオランダのチーズ文化とフランスのそれでは差があり過ぎる。

なるほどスーパーワインも安くて様々なワインがあるが、それ以上にチーズはお買い得だ。そしていつものようにフリゼーを購入した。価格は安くはないがあれほど新鮮で大きなものはドイツではなかなか買えない。



参照:
破局に通じる原発銀座の道 2012-04-11 | 文化一般
原発銀座で息を吸えるその幸福 2011-04-26 | アウトドーア・環境
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復活祭音楽祭のあとで

2017-04-13 | 生活
次のコンサートとオペラに向けてのお勉強準備である。オペラの方は、もう一つドレスデン版と、パリ版と楽譜を両方を用意して、欠けるのはドレスデン版でのメディアマテリアルだけだ。コンサートの方は、ブルックナー交響曲4番とモーツァルト交響曲39番である。前者は1878*90年版ということなので、一番長い1874年版とその第二版の手書きのファクシミリをダウンロードした。当初は交響曲34番になっていたのが変更になっている後者も、紙のものを購入したものがあったと思ったが見つからないので、これもついでにダウンロードする。

これで漸く、ロシア音楽を終えて、ヴァークナーとブルックナーで独墺に戻り、その時代背景も二十年も違わない二曲を同時にお勉強すると余波効果があるかもしれない。特に前者のドレスデン版と1860年以降の影響が顕著なパリ版から取捨選択されるということで、当然のことながら「トリスタン」以降の影響がみられるようだ。聖週間は極力音曲を避けて楽譜を眺めることにしてみたい。二つの版の違いから後年の影響が分かるようならばたいしたものだが、さてどうなるか。

ヴィーナーフィルハーモニカ―のどさまわり公演が増えて入りが芳しくないようだ。だからより有名な変ホ長調の交響曲に替えられたとは思わないが、管弦楽団としての評価は平素の演奏水準からすると致し方ないかもしれない。それはベルリンでも同じで、ラトルの指揮で80%の演奏でも水準に達していると言っても、ドイツの地方管弦楽団の水準が場合によっては東京のそれよりも劣ることからすれば話しにならない。そのようなことではアメリカのビックスリーには敵わないから、次期監督の下では120%が求められているというのは正しい見解だろう。

ザルツブルクでの「ヴァルキューレ」公演が新聞で絶賛されている。昨年は惨憺たる「オテロ」上演だったが、今年はティーレマンファンのおばさんがバーデン・バーデンの「トスカ」が終わってから駆けつけている。確かに歌手陣も充実しているようで、慣れている楽曲だけに管弦楽もそれほど問題が無いのは予想できるところだ。それどころかこうしたセミコンツェルタントなやり方で充分とすると、そもそも歌劇場なんて最早要らない。すると座付き管弦楽団も解散である。要は、音楽劇場が如何に現代社会の劇場として機能するかであり、娯楽ではない音楽劇場の在り方が問わなければ何も書いたことにはならない。この高級紙の水準に満たない歌芝居感想記である。

承前)先日の悲愴交響曲で書き加えておかなければいけないのは、四分の五拍子のヴァルツャーに関する解説で、有名な弦楽セレナードと異なるのは、一二がナポリ風の若しくは南イタリア風にと、五拍子のロシア音楽と組合されているということだ。これを意識すると更にまたこの交響曲の全体の構図が分かり易くなる ― 更にそうした楽曲解析を超えて作曲家の創作意思まで考えていくと切りが無い作業となる。キリル・ペトレンコの演奏の特徴は、あのムラヴィンスキーでも充分に示せていなかったこうした創作の妙や機微に気付かせてくれることであり、如何に楽譜などから創作に可能な限り忠実に演奏していくことがその楽曲を深く知ることへの唯一の方法でしかないことを教えてくれることだ ― 要するに演奏芸術の手練手管の話ではないのである。同時にそうした演奏解釈への信頼感があってこそ、管弦楽団も楽曲に忠実に全力で奉仕することへの動機づけとなるのである。私自身にとって二度目の悲愴交響曲の実演体験だっただけでなく、キリル・ペトレンコ指揮の演奏が何時も同じように唯一無二の体験であるのは、そうした楽曲創作を具に音化しているからに他ならない。(続く



参照:
鼓動を感じるネオロココ趣味 2017-04-10 | 音
価値のあるなしを吟味する 2017-04-05 | ワイン
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
高額であり得ぬ下手さ加減 2016-03-25 | 文化一般
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今日か明日かの衣替え

2017-04-12 | 
衣替えの季節である。毎年四月が目安になっている。半年もつという虫除けを購入して納めると十月までは効果があることになる。そのような計算である。今年もスーパーでぶら下げる紙を10枚購入した。箪笥にこれを吊るせば先ずは大丈夫だ ― 更に昨年から使いさしの蚊取り線香がそこに入っている。寝室の箪笥だが、臭い等でそれほど問題になったことはない。天井が高く、風通しが良いからだろう。

毛の衣料などは、水洗いすべきかどうかなども考えるのだが、虫除けさえしておけば使えなくなることはないので、出来る限り致命的になりかねない水洗いは後回しにする。そろそろ余所行きから自宅での衣料に下すというときに洗ってみるというようなことが多い。以前はドライクリーニングもしばしば使っていたが、価格やらその効果にはあまり期待しなくなった。

兎に角、明日寝室を掃除する前に、箪笥の中の冬物を整理して、衣替えして、紙を吊るして行こう。来週には夏タイヤになり、これで復活祭と同時に一先ず本格的な夏支度となる。

パン屋から森に入って、朝早かったので八時のニュースを車の中で聞いていた。三つ目のニュースとして、アムネスティインターナショナルの人が電話で日本を批判していた。新聞のフランクフルターアルゲマイネ紙と並ぶ独自の特派員を東京に置く独有数の知日・親日メディアSWRの朝のニュースである。それによると、死刑執行は中共の数と日本の扱いが大問題なのだという。つまり合衆国でも執行までに猶予日時があるのに、日本では当日一時間前に突然やってくるというやり方への批判である。死刑囚は、毎日今日かどうかと拷問状態に置かれているというのである。これが重要な人権侵害とされるところである。なるほどまるで日隠の世界だ。

日隠はそうした覚悟を説いているのだが、死刑囚がそのような貴い精神状態に至れるとは思わない ― そもそも二割にも満たない武士階級のそれらをその他もに強要したのが帝国軍事教育で、とんでもない結果になったのは歴史の知るところだ。拷問であるとの批判が恐らく正しく、死刑制度を継続させたいならば死刑囚の健康を第一に考えていかないと、拷問として更に批判が強まっていくと思われる。

このニュースの数分前には、今日の一言として、聖週間の意味つまり神は生贄を求めず、自らの犠牲でもって人々を救うという、人を裁かずの話が流れていたので、このニュースを聞いた教養のある人々への語りかけは強かったに違いない。



参照:
衣替えの季節 2006-04-22 | 生活
日本社会の文化的後進性 2013-02-21 | マスメディア批評
同じ穴の狢が議論をすると 2010-08-27 | マスメディア批評
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運命の影に輝くブリキの兵隊

2017-04-11 | 文化一般
承前)グスタフ・マーラーの最高傑作交響曲六番の冒頭はブルックナー作曲第一交響曲の行進曲の引用である。それゆえにポストモダーンの時代にマーラーの交響曲は最も人気が出たとするのは正しいだろう。そして、その引用が謡曲にも及んでいるのは、丁度途上のラディオでフランス人音楽家がバーデン・バーデンの放送局で話していた中世の音楽からルネッサンス音楽への特徴と繋がる。そうしたメタシムフォニーとしての第六交響曲では、一楽章の第二主題のコラールからその展開の鐘の音や遠くの山城、鳥の囀りやカウベルに交じってきらきらと彩光を放つと、その音達に注目したのがダリウス・シマンスキーのオリエンティーリングだった。それは、例えば12世紀に流行ったバイエルンの金箔の聖画に表れるように、丁度クリムトの画風と並行している。そこまでは周知の事実として、その意味合いが考察される。それは、このマーラーの交響曲の場合の所謂悲劇的な運命が大きければ大きいほどその投げかける大きな影に、丁度幼児期に退行するように、光り輝く子供部屋の世界に引き戻されるというものだ。それが、ブリキの兵隊であったり、お城の王子の世界であったりとするということで、この幼児の世界つまりきらきらと光り輝く所謂砂糖菓子のような風景が音響になるということである。

今回のバーデン・バーデンのコンサートは、前夜の悲愴交響曲そしてこの六番と、まるで音楽監督サイモン・ラトルのプロデュ―サーとしての手腕を見せたような構成になっている。前日のオリエンティーリングも19世紀の時代背景、つまりロココの18世紀にはなかった職業選択の自由などに代表される市民社会の勃興が背景にあって、それ故のネオロココ趣味だった。それがまたドイツ語圏のビーダーマイヤーとは異なるフランス趣味の美学の中でのチャイコフスキーの創作であり、勿論そこには18世紀にはなかった悲哀つまり自己実現とその挫折というようなものが人々の人生観に強く影を落としているということになり、そもそもチャイコフスキーの悲愴におけるような主題はそれ以前には存在しなかったとなる。これらをして、一波絡げにまるでドイツロマンティシズムの傍系の民族主義の影響のように取り扱ったのが可笑しいと気が付かせる視線が東欧の人から提供されることはとても幸福なことではないだろうか。

指揮者としてのサイモン・ラトルは、残念ながらフィルハーモニカ―との関係において離婚直前の夫婦のように不幸だった。前日と二日続けて訪れた人を何人かは見かけたが、前日とは異なり楽員の意気はとても低かったと皆気が付いたのではなかろうか。直前まで練習をしていたようだが、一楽章などは、そのままザルツブルクに行っても大丈夫かと思う程、箍が緩んでいたが、最終的にはホルンのシュテファン・ドールが引っ張ってある程度の水準を維持した。管弦楽団の鳴りとして、二日間を比較すれば、どこがどう違うかは明らかだったのではなかろうか?前夜に下りていた楽員が中心となっていて、編成も楽曲も異なるとしても、その響きの充実度の相違は決して演奏者の意気だけの問題ではなかった。要するに、楽譜の音符をどのように一つ一つ拾っていくかに関わっているようだ。

それでも、三楽章の「亡くした愛娘のよちよち歩きの動機」がコーダではあれほど痛切な悲しみとして響くとは今まで知らなかった ― これを看過できる人などいるものか。それだけではないが、このスケルツォを三楽章とする版の内容的な根拠はこれだけでも充分に示されている。これが二楽章に置かれて三楽章アンダンテに繋がるのとでは、このスケルツォ意味が、繋がるのがアンダンテかフィナーレでこれだけ異なり、二楽章とされることで、聞き落とされるものは余りにも大きい。それは動機的連関や動機的処理だけでは説明不可のものではないか?当日のプログラムには、この議論に関して開かれたままの記述があり、結局それを受け止める時代の美意識に拠るのではないかと思う。恐らく、キリル・ペトレンコも二楽章をアンダンテとすると思う。(続く



参照:
もう一つの第六交響曲 2017-04-01 | 音
二十世紀を代表する交響曲 2015-03-24 | 音
多感な若い才女を娶ると 2005-08-22 | 女
第六交響曲 第三楽章 2005-08-21 | 音
お花畑に響くカウベル 2005-06-23 | 音
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鼓動を感じるネオロココ趣味

2017-04-10 | 
承前)高揚感の中で目覚めた。このままでは血圧が上がっていけない。早速パン屋に出かけ、峠まで走って下りてきた。準備体操をして走り出すと、悲愴交響曲のファゴットが鳴り響く。何時も馴染みのダニエル・ダミアーノの素晴らしい響きである。そして先日指摘した力任せのヴィオラ陣の力を抜いた運弓の音の深みが広がる。謂わば硬いワインではなく、こなれた熟成したワインの深みである。正直、ここまで抜けてしまうと、これはどうなるだろうかと思ったのだった。そしてアレグロノントロッポへのリテヌートからの主題の提示がとてもうまく運び、そのあとの聞いたことのない盛り上がりが、第二主題へと流れていく、美しさが際立つ。そしてクラリネットの郷愁を呼ぶ歌声からアタック厳しく展開部へ、そして警句的な金管の鋭いパルス ― 第五交響曲のボン公演でのそれを思い出した。テムポ運びもしなやかにそしてコラール。

同行の仕事仲間のヴァイオリニストがその合奏ぶりにいたく感心していた二楽章の五拍子のヴァルツァーが響き出す。当日のオリエンティールングで取り上げられた、サロンの笑い声の第二動機部を殆んど人の声のように奏する弦楽合奏。これ程実体感のある擬音をリヒャルト・シュトラウスは書けているだろうか?そしてトリオ主題の動機連結。

カーヴを超えて走り続けるが、なぜかどうしても三楽章のマーチの主題が出てこない。視覚的に楽譜を頭の中で捲ろうとするのだが、なぜかヴァルツァーの一二三、一二の一二から再び第一楽章の展開部へと巻き戻ししてしまうのである。先日までは走り出すと流れてきたあのマーチはどこに行った。八分の十二拍子がマーチになることもタランテラでの細かな音型もある程度頭に浮かぶ、それでも無理してでも歩調を整えないとあのマーチが出てこない。そして一楽章の主題に、その一二の刻みから漸くマーチ主題に入れた。何と鋭い刻みだろう。そしてクライマックスへと、会場の聴衆の心拍数を上げ、血圧を上げさせる ― あのボンでの公演を再び彷彿させる追い込みだ。最後には、ペトレンコ指揮「悲愴交響曲」としての二度目の正直が三度目になるか、つまり拍手が鳴るのか鳴らないかが気になって更に心臓がどきどきしてきたのだった。そして二回目に成功した時のように両腕を広げたまま心臓の鼓動に耳を澄まさせる ― 会場では嗚咽のような溜息が漏れ聞こえる。

その心臓の鼓動の響きに、そのままから振り下ろされる指揮棒で、まるで心の真空地帯に吸い込まれるように第一主題が紡がれるのである、そして第二主題へと慰めへと、しかしまだまだ鼓動は収まらない。生きているのだ。当然のことながら、葬送のトロンボーンが鳴ろうともそれを私たちは耳にしている実態がある。だから死のピチカートで終わるとは限らない。この交響曲は、そうしたキリル・ペトレンコに言わせれば、典型的な白鳥の歌ということになる。

峠から下りには、四楽章の主題が流れて胸をうった。心臓の鼓動が中々収まらないが、無理して急ぐ必要はない。嘗て、吉田秀和が「魔笛」の音楽を称して悲しいのか何かわからないが涙が流れると書いたが ― ああ、彼の小林の道頓堀のモーツァルトの焼き直しだ ―、まさしく当日のオリエンティーリングにあったようにこの曲は19世紀におけるネオロココ趣味のそれもフランス文化の影響を受けた美学に立脚した創作であり、敢えて言えばこの終楽章のラメントーソもそうした美学に裏打ちされている。要するに19世紀の自然主義的なブルックナーなどの交響曲とは世界が違うということになる。峠から下りて来て34分35秒、勿論全曲短縮版であった、そして心の汗で全身がびっしょりになっていた。これをカタリシスというのが正しいのか、それとも。(続く



参照:
あれやこれやと昂る気分 2017-04-09 | 雑感
漸く時差ボケから解放される 2017-04-08 | 暦
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あれやこれやと昂る気分

2017-04-09 | 雑感
とても気分が昂っている。私事もあるのかもしれないが、土曜日のキリル・ペトレンコのバーデン・バーデンデビューがここまで気分を昂らせるとは思わなかった。自分が演奏する訳でもなく、なんら理由はないのだが、いつものように分析的に冷静に居れるのかどうか心配になる。昨秋の座付き管弦楽の演奏会は今回の予行の心算でボンまで行ったのだが、その結果は想定以上で、今回もネットで既に確認したとしても本格的な管弦楽団とのコンサートは初めてなのだ。どのようなコンサート指揮をするかは完全に分かっていてもとても期待が高まる。

前日に買い物も済ましておこうと車に乗ると、フィルハーモニカ―のクヌート・ヴェーバーというチェリストが話をしていた。初日の「トスカ」の前に放送局に来て、それから谷を散歩をして、着替えてから会場入りするという。歩いてスタディオからクーアハウスの方へ、ホテルへと戻ったのだろうか?あのヨハネス・ブラームスのように。とてもいい天気で、爽やかだ。

翌日はペトレンコとの演奏会で、ベルリンでの五年ぶりのコンサートは練習からとてもうまくいき ― 私の言うように「将来への方向性を定める」という言葉を使っていた ―、また少しだけ今回も合わせてから本番だという ― つまり同一メンバーが乗る条件だろうか。当然の如くミュンヘンから前乗りすると思っていたが、練習は何時ものように開演前まで続くのだろう。トスカ初日を覗かないと歌劇の場合の音響はあまり分からないだろうが、登場は来年はないので、まだ時間があるということだろう。

悲愴交響曲の練習でもペトレンコは、三楽章の後で拍手のファールが無かったのは今まで一度しかなかったと。そして23日に初めて二度目を経験したということだ。確かに体で聴衆に示唆するだけの静止をして、そこから終楽章へと流れた。これも経験の積み重ねということになるのだろうか?さて、祝祭劇場ではどうなるだろう。

ベルリンでは聴衆の期待に圧倒されそうになったとヴェーバーも語ったが、バーデン・バーデンでも我々のように将来のスーパーオペラの本拠地としての始まりへと寧ろこちら側が胸がはち切れそうになってしまっている。YOUTUBEなどにはバーデン・バーデンで期待しているという書き込みもあり、そのような人達もいるのだ。



参照:
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
ギリギリの悲愴交響曲 2017-04-06 | 音
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漸く時差ボケから解放される

2017-04-08 | 
木曜日の走りは疲れが残っていた。早く走れるとは思っていなかったが、走るうちに攻める気持ちが出て来ていたので、ひょっとすると真面な数字が出るかもしれないと期待していた。しかし結果は、25分30秒往復とジョギングテムポで、往路に12分も掛かっていれば致し方が無い。やはり初速が早くなければ比較的平らなコースでは記録は難しそうだ。

足の筋肉の疲れなども少々のストレッチングでは治らない。肩の柔軟を丁寧にしたが、関節のそれと筋肉痛はやはり異なる。目下の課題は、乳酸の溜まらないような運動とその回復を如何に早くするかで、今までの疲れによる運動能力の低下を是正していかないとあまり使い物にならないと考えている。

久しぶりに熟睡した。どうも夏時間に入ってから昨夜までは夜中の三時前に目が覚める傾向があったからだ。要するにそれ以降11夜は夜中に目が覚めた。時差ボケが続いていたことになる。今まであまり意識していなかったが、それぐらいかかるのは普通かもしれない。それでも僅か一時間ほどの時差は寧ろそれに気が付く方が難しいのかもしれない。その意味では良く身体で意識できたと思う。気持ちが良い。

ミュンヘンの劇場の極東ツアーの日程をみると、なかなか上手に出来ている。勿論東京公演にソウルと台北を付け加えたわけだが、少なくとも日本公演初日の一週間前以上に台北に入っている。つまり時差が殆んど抜ける頃から東京公演が始まるのである。これはなかなかよく考えられた日程だ。面白いのは台北ではベートーヴェンプロが演奏されて、ペトレンコ指揮ではイスラエルフィルぐらいでしかなかったのではなかろうか?熱心な日本のファンはこれに出かけるのも面白いかもしれない。交響曲七番は直接カルロス・クライバー指揮との比較が可能だろう。

Ludwig van Beethoven 
Klavierkonzert Nr. 3 c-Moll op. 37 
Symphonie Nr. 7 A-Dur op. 92
Leitung Kirill Petrenko 
Klavier Igor Levit
National Concert Hall, Taipeh 
So, 10.09.17 
npac-ntch.org/en 
T +886 2 3393 9888
veranstaltet durch die Konzertgesellschaft der Musikalischen Akademie e.V

昨夜、YouTubeへリンクを貼ろうと思うと、そこにGOOマークがあるのに気が付いた。貼れることは分かっていたが、リンクするのが早いと思っていたので今まで貼っていなかった。しかしこの方法ならリンクよりも手軽だ。そしてクリックするだけで簡単に観れて、サムネイルの写真があるのも悪くはない。そこで、遡って劇場関係のものを貼った。今後も沢山貼れるかと思う。

自分で撮ってアップロードしているものはないが、目下の課題のボールダーの動画などもアップされているので使えるものは沢山ある。短い時間で印象を得るにはやはり文章よりも動画が早くてわかりやすいのは当然だろう。しかし、テュイッターなどと同じで、短い文章や印象で納得できるものは構築的、高度な理解には至らない。その意味では、如何にTV文化などというのは20世紀後半文化の仇花だったかというのがよく分かるだろう。

Beethoven: Piano Concerto No. 3 / Vogt · Petrenko · Berliner Philharmoniker



参照:
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
ペトレンコにおける演奏実践環境 2017-03-30 | 文化一般
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オンドラ、東京オリムピック否定?

2017-04-07 | アウトドーア・環境
久しぶりに南プファルツの岩山を登った。前回は肩を痛めている時だったと思う。気温は摂氏20度には満たないまでも陽射しもあってアウトドア―に快適な条件だった。肩を痛める心配も少なく、それでいながら比較的乾いていて。陽が陰ると寒くなるような天候だった。寝不足だったが、簡単なスタンダードルートとトップロープで何回か登ったことのある六級上を初めてリードした。パートナーはその岩場は初めてだったのが、ベルクヴェークという私が肩を痛めている時に時間を掛けて登って顰蹙を買ったルートを試した。難易度は六級しかないのだが、全てフレンズで支点をとっていかないといけないので、結局我慢出来ずに降りてきた。そのために二本目も私がリードして、三本目は上部を彼が登った。降りて来て、スタンダードのフォアバウという五級のルートを彼がリードした。14時半過ぎに待ち合わせして、帰宅したのは20時過ぎだった。シーズン始めとしては肩も傷めずある程度の挑戦が出来たのでよかった。但し傷だらけになった腕や手以外にも腕や足も可成り筋肉痛である。ボールダーリングでは、足が使い切れていないことは当然だとしても、腰から背中まで堪えた。

先日購入のDMMのピヴォットは優れものだった。下降器としてもコントロールが思いのままで強すぎたり弱すぎたりもせずに、思うように走らすことが出来る。計算つくされた構造になっている。また所謂ガイド機能の後続者確保時もザイル入れや設置などとても扱い易く、横に書いてある図示もとても役立つ。写真を写す時に手を開放する時もとても使い易い。当然のことながら下降のザイルを挟むときも今までよりも大分手に落ち着くので手を滑らす危険性が少なくなっている。但し金属加工でザイルの表面を擦るのか表面が今まで以上に色素を手の方に落としているような感じがした。

新聞のスポーツ欄にチェコ人のアダム・オンドラが大きな庇を登っている写真が載っている。東京オリムピックで正式種目として初金メダルを獲るべき人物としてその競技方法に異議を唱えているという話しだ。だから出るかどうか熟慮が必要という。現在まではボールダーリングとリードクライミングが複合された競技として行われていて、その実力だけでなく新ルート開拓などでも第一人者も26歳という年齢で金メダルへの最後のチャンスだというのである。但し東京でされようとしているのはそこにスピードクライミングというのが加わり、要するに今までのクライミングの実力とは関係ない競技が加わるというのである。これは詳しく知らないでもよく分かることで、自分自身もアルパインクライミングにおいても結局リードクライミングとボールダーリングを合わせたトレーニング方法が最も効果的であり、それに基礎体力などを育成することで成果が出ると確信しているからである。つまりそれ以外のものは従来のアルピニズムとは関係のない観るためのつまりTVメディア向きのショー化された競技となる可能性が強いということであろう。もう少し考えると、怪我の質もさらに悪くなるのではないかと思う。そもそもクライミングの筋力自体は充分に敏捷的であって、静的なそれではないからである。それ以上にどのような動が必要なのであろうか。疑問である。八月にこの種目によってはじめての世界大会がインスブルックで開かれるという。その結果が注目される。

Adam Ondra climbing Change - World's first 9b+ route


参照:
右足の脹脛の攣りに思う 2015-04-25 | アウトドーア・環境
技術的な断層を登る 2014-06-07 | アウトドーア・環境
割れ目登攀の煩わしさ 2014-06-08 | アウトドーア・環境
購入したDMM社PIVOT 2017-04-02 | アウトドーア・環境
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ギリギリの悲愴交響曲

2017-04-06 | 
承前)悲愴交響曲である。予想以上に難しかった。動機の扱い方と曲の構成との関係から運弓指示などのアーティキュレーションなどが係っているからだろう。この曲に関しては、土曜日の本番で体験してから改めて纏めたいと思うが、23日の演奏から分かったことだけでもメモしておかなければいけないだろう。先ずはテムポだが、メトロノームで数えてはいないが、第二楽章のヴァルツァーなどを聞くと、もう少し第一楽章と第三楽章を早く出来るのではないかと思った。

なるほどベルリンのフィルハーモニカ―は、第一楽章主題のヴィオラでの提示などでとても力強い響きで奏でていて、これは断然の特徴であろう。特にこの交響曲においてファゴットやクラリネットの低音部と弦楽、管と弦の掛け合いなどがとても重要な要素となっているから尚更だ。

現在のロシアの交響楽団でも木管や金管の機能的な問題は甚だ多いが、ムラヴィンスキー指揮のレニングラード管弦楽団の演奏などを聞くと芸術以前の響きとなっていて、ヴィーナーフィルハーモニカ―のオーボエを笑える程度ではない。要するにハイカルチュア―の音楽芸術としては楽器が鳴っておらず、今やどこの軍楽隊でもこれよりはマシなのではないだろうかと思わせる。

流石にフィルハーモニカ―の管も健闘していて、座付き管弦楽団とは異なりとても機能的であるが、その響きには嘗てのように特別な響きが無い。しかしながら弦との掛け合いやそのバランスという意味では、今回の演奏で大きな課題が突き付けられた形となっている ― 恐らく、次期監督の狙いとしては早めにこうした課題を明確にすることで、2019年までに底上げできるような指標を示す意図もあったのだろうか?賢明なフィルハーモニカ―であるから、指針さえ示されれば自らが改革していくことが可能ということなのだろう。だから今回の練習は鉄のカーテンの裏側で行われたというのも理解できる。それ故に22日は奏者の緊張のためにフィルハーモニカ―らしからぬアンサムブルの出来だったと想像可能だ。

第三楽章のスケルツォにしても主兵の管弦楽団ならばと思うところは少なくなく ― キリル・ペトレンコは客演としてここでも可成り安全運転をしている、しかし何よりも第一楽章の展開部が数年後にはどのように響くべきかは今回の演奏でよく分かった。週末も同じようなメムバーが乗るとすれば学習効果は出ないこともないかもしれない。とても楽しみである。勿論会場のアコーステックも異なるので、基本テムポに影響する。(続く

フィルハーモニカ―は、今秋東京公演をするというが、次回は少なくとも2021年まではないだろう。そしてペトレンコ音楽監督の日本でのオペラ公演も今回が最初で最後になるかもしれない。あり得るとすれば、バーデン・バーデン祝祭劇場が力をつけて引っ越し公演という場合ではなかろうか。まだまだ三万円ぐらいの席が入手出来るとなると都民が羨ましい。フローリアン・フォークトはダブルキャストとなっていて、最後のコンサートに掛けて訪日するようで、嘗ての初日云々というようなシリーズとはなっていないようだ。中二日、三日? ― ネット情報はダブルキャストが消されてしまっている、理由は分からないが、東京から苦情が入ったのだろうか?私なら歌手などどちらでもよいと言いたい。声が強ければ、スケデュールさえ調整すれば全部歌えるのだろう。

Tchaikovsky: Symphony No. 6 "Pathétique" / Petrenko · Berliner Philharmoniker


参照:
Ich war noch nie in Japan. Das ist.. 2017-04-03 | 暦
もう一つの第六交響曲 2017-04-01 | 音
ハフナー交響曲を想う 2017-03-28 | 音
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価値のあるなしを吟味する

2017-04-05 | ワイン
サヴィニー・レー・ボーヌを開けた。一月にバーデン・バーデンへの途上で購入した2014年物である。一口で言うと甘い、果実風味というよりも甘みを感じた。だから口当たりがよくて飲み過ぎて明くる日に残った。決して悪いものではない筈だが、ミネラル風味どころではなかった。価格からしてもクリストマンの2014年物にかなり劣っている。クリストマンのギメルディンゲンの方が雑食砂岩のミネラルもあり、また涼しいテロワーの表出もはっきりしていた。それにしても甘みがこれほどあると高級感も何もいない。そもそもブルゴーニュのミネラルは単純なのでその意味からすると、雑食砂岩や花崗岩は本格的辛口のピノノワールとして長所があると思う。やはりブルゴーニュでも特別なテロワーでなければ駄目なようだ。

アーモンドの花は完全に散った。今年ほど咲いたアーモンドを暇も無く、嵐に見舞われることもなくこんなに早く散って葉アーモンドになって仕舞うことはなかった。気象の特徴なのだろう、この影響がどのようにワインに表れるか、表れない筈はないであろうが、また開花していなければ影響は限られるのか?それとも?

月曜日にはミュンヘンで新制作「タンホイザー」の稽古が始まったという。歌手と合わせることからだろうが、パリ版とドレスデン版の折衷の楽譜とはどれぐらい異なるのだろう。ドレスデン版は既にダウンロードしてあり、パリ版の上演ヴィデオは保存したので、音を聞けばその取捨選択は分かるようになるだろう。

最近はネットのストリーム放送を時間があれば簡単にコピーしておく。特にオペラ公演のものは役立つことも少なくない。ミュンヘンからでは先日の「アンドレア・シェニエ」も録画した。ヨーナス・カウフマンとアニヤ・ハルテロスのものだった。しかしオペラ作品でもコンサートの画像と同じように中々じっくりと見る暇などが無くて、よほど勉強のためになるものでないと必要が無くなる。要するに自宅でホームシアターさながらに楽しむという時間も興味もないのである。

Revolutionsoper Andrea Chénier


それでも、先日ベルリンで上演されたピーター・セラーズ演出の「ルグランマ―カーブル」は時間が出来ればじっくりと観てみたい。その他リゲティ作曲ヴァイオリン協奏曲、そしてブーレーズを追悼してのリームの作品、これらは価値のある動画である。ざっと見てシーズンに幾つかのコンサートから幾つかの曲目の演奏録画がアーカイヴに値するものだろう。



参照:
ブルゴーニュ吟味への投資 2013-10-05 | ワイン
大分マシの今日この頃 2013-03-05 | ワイン
子供錠剤の甘味料に注意 2013-03-01 | 生活

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FFmpeg出力でハイレゾ

2017-04-04 | テクニック
雨が降りそうだった。その前に走り終えるつもりで出かけたが、結局まとまっては降らなかった。金曜日の疲れが残っていて、軽く流して峠まで上がって下りてきた。20分40秒で峠、下りて来て33分5秒は、この冬の走り具合だが、足元が異なるので気分は大分違った。一週間で三回の走りと2回のボールダリングで運動量は十分だった。怪我無く、それだけで良しとしよう。陽射しが無くて肌寒かったが、摂氏11度だったので戻って来た時は汗びっしょりになっていた。

先日ルートを開いたKingoRootの動作の不安定は直らなかった。そのうちにアンドロイドの方が消去するかと尋ねてきたので一先ず消去した。もう少し安定してくれれば使いたいときに使えたと思うと残念である。ルート化していなくてもそれほど不便ではないので、このまま暫く使おう。どうしても必要な時にまたルート化すればよい。問題はメモリーが一杯になってきている様子で、PCでと同じようにそろそろ限界に来ているのかなという印象もある。現在使用しているRAMが1024MB、CPU1GBなので、倍ぐらいの性能は欲しい。

モニターへとHDMIで繋いでPCオーディオを鳴らしている。籠もり部屋からドッキングステーションのノートブックをデスクへと下してきたからだ。そして大きなモニターで総譜を映し乍ら音楽お勉強する。そして音を流すとハイサムプリングへとアップサムプリングしている筈なのに、なぜか録音と同じ48kHzしか出ていない。Realtekの調整は間違っていない。192kHz出力に上げてある。そこで気が付いた。キャストに出す以前にHDMIに繋いでいるからそれに合わせた仕様つまり48kHzでキャスティングすることになるようだ。

そこでHDMIを外して内部スピーカーへと送る信号をキャスティングするようにすると96kHzに上がった。つまりクロームキャストに192kHzで入力している。それならば問題なく楽譜や映像を観乍らハイレゾリューションサウンドが鳴らせる。その時点で出力段はFFmpegになっていて、スピーカー出力もオフにしてある。これならば問題なくLINUXでもハイレゾリューション出力が可能だと思われる。ということはRealtekに依存しないでもアップサムプリングが可能になって、クロームブロウザーの出力も上げることが出来るのではなかろうか?

録音したドイチュラントラディオの音が俄然よくなる。それに比較してデジタルコンサートの方にあまり差が出ないのは、入力自体がスピーカーに近いどころでその時点でアップサムプリングしているからだろう。つまり、そもそも流れている音質は艶消しのような味気ない音のようなのだが、ノートブックの回路によるものなのかラディオ放送のネット配信システムの特徴なのかは分からない。



参照:
一皮剥けるキャストオーディオ 2016-10-21 | テクニック
アンドロイドのルートを再開 2017-03-31 | テクニック




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Ich war noch nie in Japan. Das ist..

2017-04-03 | 
ミュンヘンからのネット中継を観た。新シーズンのプログラムお披露目である。12月にプッチーニの三部作、2018年6月に「パルシファル」となる。前者は想定内だったが、後者は想定外だった。まだまだ時間を掛けると思ったが、やはり後のことを考えると早めにやってしまう方が良いとなったのだろうか? ― ブラームスを取り上げるのも同様で、明らかに将来のレパートリー構築から逆算していて、この曲の影響として印象派や初期シェーンベルクに言及した。カウフマンやシュテェムメ、コッホの豪華キャストとなるとまたまた券を確保するのに苦労しそうである。個人的にはプッチーニの方が楽しみだが、バーデン・バーデンで3月末に一度、そして6月となると、もはや8月にバイロイトに出かける価値もなくなってしまう。

日本旅行、ロンドン、ニューヨーク公演についても言及があったが、初めての日本への期待も語られていて、そのプログラム内容よりも旅行という感じだ。

(Was würden Sie zum Akademiekonzert sagen wollen?) (アカデミーコンサートに関して何かおっしゃりたいことは?)

Ich würde als das Wichtigste gerne erwähnen, dass nicht nur in Hinblick auf die zwei Premieren, ist das für mich, eine Spielzeit mit vielen anderen Premieren, nämlich, ich freue mich sehr darauf nach Japan... 「私にとっては、ただ二つのオペラ新制作に止まらない、初めての重要なことが盛り沢山のシーズンであります。言えば、つまり、とても楽しみにしている日本への旅行です。」

Ich war noch nie in Japan. Das ist für mich irgendwie ein Aufbruch in die neue Welt. 日本は未知の国で、新世界への旅立ちといった感じです。

東京では、「タンホイザー」の三回のオペラ公演に加えて、「ヴァルキューレ」第一幕マーラーの作品などを二回のコンサートで指揮する ― これの九日十日の台湾、韓国公演もあるようだ。「ヴァルキューレ」は、ミュンヘンでは指輪四部作の第一夜として、ベルリンでつまりバーデン・バーデンで上演するまでの最後の機会として、コッホのヴォータンとシュテェムメのブリュンヒルデで再演され、そこで新たな面を見せたいと言われると、これまた幾つかは行きたい気持ちにさせる。

Teaser Bayerisches Staatsorchester and Kirill Petrenko on tour, September 2016 #BSOtournee

DER RING: Preview (Conductor: Kirill Petrenko)

早速、恒例のCD落穂拾いをした。今回は先ず先月から気が付いていたクリスティー指揮のヘンデル作曲「ベルサザール」に食指が動いた。この曲はピノック指揮のものを所持しているが、三枚組10ユーロしないとなると手をつけずにはいられなかったのである。もう一つはアルティメス四重奏団のベートーヴェン全集の一つが二枚組でこれも9.99ユーロで出ていたので発注した。中々よいのは各々三期の曲が組み込まれていて、マーケティング的にも気が利いていることだ。その他は、ウィッシュリストに入っていたフィラデルフィルをムーティーが振ったもので、一月に聞いたシカゴとの演奏からより豊満な響きでも聞いてみたくなった。もう一つ超高級管弦楽団クリーヴランドでブラームスのヴァイオリンをツェートマイルが弾いたもので、フォンドホナーニが付けているのでこれも発注した。先に購入したムター演奏のカラヤン盤が何時ものようにその管弦楽団が余りに良くなかったので、ソリストだけでなくクリーブランドの管弦楽団に期待したい気持ちもある。それで値引き最低額30ユーロを超えているが、ロバート・クラフト指揮のヴェーベルン集が2ユーロしなかったので発注した。探しても探しても購入する価値の見つからなかったナクソス盤をこれで初めて購入することになる。



参照:
まずまずの成果だろうか 2017-03-26 | 生活
消滅したエポックの継承 2016-10-23 | 文化一般
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購入したDMM社PIVOT

2017-04-02 | アウトドーア・環境
夕方ボルダーに出かけた。気温は高いが週末にかけて湿度も上がって来た。身体が動きやすくなっているので、少しでもこの条件を見逃すことはないだろう。買物を済まして、その足で向かうと、二輪車などは多かったが、ハイキング客などはまだ見かけない。不思議なものである。

車も停まっていなかったので、先ずは前々回に手も足も出なかったトラヴァース課題のアレックスに向かった。その前に真新しいチュークがついているアクセルシュヴァイスを試みようとしたが到底駄目だった。先ずはその横の目的の課題を試していると、若い兄さんが降りてきた。チョークの主だったようで、水曜日に試したというから、私が奥の課題をやっていた時にいた車の主だったようだ。各々、黙々と課題に向かい合っていて、ちらちらと覗くとアクセルシュヴァイスの上ののエッジにまで手を伸ばしながら断念した。そこで話しとなった。刺青をいれたお兄さんだが、中々引き締まっていても愛嬌のある顔立ちをしていて、黙々とやっている姿や喋り口調がとても真面だった。

結局自分自身も切り切りには課題が通るのだが続けて出来ないというような話をした。大分課題が通るようになったが、湿気の為に水曜日よりも条件が悪いというのはお兄さんのいう通りだった。繋がりの一カ所で力を使い過ぎてよくない。彼に言わせると手掛かりの入れ替えで解決するというのだが、なかなか難しく苦手だという。彼の中堅の実力でそういうなら、私が簡単に出来なくても仕方がない。それでも長い時間靴を履いていても、爪先を押し付けられるようになったのはとても助かる。この靴をもう一つ、次は半サイズ大きめを購入しても良いなと感じた。それでも結構登れそうだ。同じところを今年最初に試したときに比較すると大分数を試したが体の調子はその時ほどにダメージが無い。

懸案のアクセルシュヴァイスの登り方をお兄さんに教えてもらった。自分自身の最後の詰めはやはりその足場からでは右手が次の手掛かりに届かない。やはり違う方法を考えなければ駄目で、彼らが使わない途中の足場を使うしかないだろう。そして彼が言うには、その時の手掛かりの更新が最も難しいというから私が苦労しているのは当然だろう。そのあと、右の手掛かりをとってから右足を膝の上に上げるのも高いので厳しいという。つまり私が途中の足場に立って、右手が取れれば左の足場の位置次第では上手くその上の立てる筈だ。まだ身体の芯が定まらない感じがあるのでこの先の見通しは余りたたない。

確保・下降器を注文した。昨年九月にアルゴイの岩壁から愛用していたブラックダイヤモンド社のATCガイドを落としてしまったからだ。終了点近くの尾根に近いところだったので最後の日の最後の確保に近かった。手でもて弄んで踊って下に落としてしまったのだが、ザイルを入れる穴が小さく入れにくいことや時間が掛かったりする、そのようになる可能性は何度も思っていたので ― 実際フランスでパートナーのものを落としたこともあった、何時かはとは思っていたが気の緩みと思い、よい反省材料だった。そこで同じものを再購入する気はなかった。最もヒット商品であるATCに対抗する商品は各社から出ていて、選択の為にネットで色々と読んだ。結果、重量も88gに対して72gと軽く、大振り乍ら、好ましいDMM社製からのピヴォットを試してみることにしたのである。価格は、チャイナ製に対してウェールズ製と五割高であるが、送料とも33ユーロならば文句はない。色は三色あるが、人気のブルーは高所では寒そうなので、赤にした。

手にとるとATCよりもしっくりときてとてもおさまりが良い。またジョーカーの9ミリ強のザイルを入れてみても滑りが良い。これならもたつく心配はあまりない。あとは懸垂下降や後続の確保などで実際に試してみないと分からないが、以前のものと比較して欠点などはあまり考えられない。第一印象はすこぶる良い。



参照:
収支決算をしてみる 2016-09-08 | 生活
収容所送りとなる人たち 2011-04-04 | 雑感
保湿状態などで変わる出来 2014-09-10 | 暦
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