Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

時間経過で熟成する表現

2025-01-18 | 
承前)例えば?

最近ではドヴルォジャーク交響曲七番二楽章の最後。静かに終わるのをいつも願ってましたが、練習で其処を逐一やる時間が無かったのです。それが最後の演奏会で、思っていたよりもそれも美しく突然為されたのでした。

時間経過の影響はどのようなものでしょう?

表現は熟成します。練習で二日しか時間が無く、それは多くはありません。演奏会から演奏会へと管弦楽団は作品を大きく成長させていきます。一つのプログラムを度重ねるツアーの終わりでは、そうした忘れがたい時がやってきます(注一)。例えばスメタナの「我が祖国」はとても難しい曲で粉骨健闘していました。先ずベルリン、プラハで演奏して、更に昨秋にはツアーで演奏。最後のロイヤルアルバートホールでの演奏会で、跳躍がありました。それは特別な一晩で、管弦楽の質と熟達、そして僅かばかりの幸運が重なったのです(注二)。つまりやり遂げると感じることもあれば、疲れてやれるだけをやるということも、その点でロンドンでは全てが叶った。

その全てとは、表現、技術、美ということ?

…音響、有機性、完璧、熱狂、感受性ということ、そして指揮者と管弦楽団でのハーモニー(注三)。これらは必ずしも完璧に同時に得られず、それは記憶に残るようなものとなりました。

演奏会では練習と異なる事をどれほど試みますか?

実際、毎晩あれやこれやと違います。どのようなことが上手くいくかなどにはあまり配慮しません。それはいつも私達への大きな期待を以てということの裏腹です。そうした期待は上手に熟していかなければいけない重圧でもあります。いつも演奏会で思いの儘に運ぶということはなりません。まだ上手にやっていくことを習わなければいけません(注四)。恐らくそれは危険を冒してやる時期だということでしょう。(続く)

さてここからブルックナーを終え、マーラーの九番への今後の活動への橋渡しとして、それらへに向かう立ち位置を、今迄のプロフィールから自らが語っていく段落へと移行していく。

注釈一、最初の日本ツアーでの東京での最後の「英雄の生涯」の仕上がりにペトレンコらは大変満足していた。
注釈二、個人的にはその前のルツェルンで聴いてその見事さと更にの熟達を期待していたが、放送では収録の音響的に粗さを感じていた。
注釈三、まさしく最初の音響こそは舞台の上でか、マイクの収音かということでは判断が難しい。例えば弱音なども私が知るあの会場でのライトに照らされて立ち上る音響はマイクでは収録しがたい。
注釈四、まさしくペトレンコがミラノで示したその上手に波を作って軽々しく振ったそれのことを意識しているだろうが、ベルリンの交響楽団での実際はこれからだろう。



参照:
描き切れない普遍的価値 2024-09-01 | 文化一般
美しい響きをお土産に 2024-08-30 | 音

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