Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

刻まれる夏の想い出

2024-08-12 | 
土曜日の朝写真を撮った。タイヤの溝を測る時だ。谷の駐車場では陽射しの関係で撮り難かったので、フォルストのグランクリュ地所ペッヒシュタインの一角に止めて撮った。天皇家にベルリンの日本大使館から献上されているバッサーマンヨルダン醸造所の地所である。嘗てはその歴史と共にそれだけの価値があったのだが、身売りしてからはやはり没落した。宮中晩餐などで味を覚えた元最高裁判事などが買い付けに訪れていたのも昔話だろう。

序に葡萄の様子を見ると、状態の悪い古い幹に貧弱な実りしかなかった。収穫量を落とすのはグローセスゲヴェックスとしての条件でもあるのだが、それはただ実りが悪いとしか思われない。固く不揃いの粒から真面なリースリングとならないのは我々は観るだけで分かる。

それ以前に葉も落とされておらず手が全く掛かっていない地所の下草も甚だしい。オーナーが変わって暫くは真面だったのだが、落ちるところまで落ちたという感じだ。あれだけの規模の独有数の名門となると少々の投資では一朝一夜には回復しない。他人事ながら全体の環境に影響が大きいのでとても気になる所である。

チェリビダッケ指揮ブルックナー五番のYouTubeを流した。朝から眠くなった。カセットに録ってある1986年9月24日の演奏とは異なっていて、これはその前年のミュンヘンでの録画。管も重ねられていて、記憶通りに特に緩徐楽章では遅いテムポで進むが、思っていたよりも指揮者の狙いもよく分かった。但し大きなマクロの流れが見え難いのはいつものこの指揮者特徴かもしれない。テムポが遅いだけに拡大されてゆっくり練習するかのようにその音の断面が見えるということでは成功していて、対位法的な扱いでオルガンの様に出てくる響も分析的に聴こえる。
Bruckner - Symphony No 5 - Celibidache, Munich Philharmonic (1985)


上の日付で初めて気が付いたのは、あのカラヤンが完売していた第九を指揮して日程を消化できずにキャンセルした音楽週間で、チェリビダッケがシチェドリン自作自演の「カルメン」が終わって一人スタンディングオヴェーションした背景には、その後の公演指揮があったのだと初めて今回気が付いた。当時も上の演奏会のことは全く眼に入っていなかった。何故だかはよく思い出せない。

ミクロのところではこの指揮者の意図は見えてくるのだが、全体への視野が欠けている。ということでお勉強用にはなったが、使える参考音源がどうかは疑問。しかし、細部に拘ればしっかりそこに意味が浮かんでくることは分かった。

夕刻も乾燥して来て、空気が軽くなって、日暮れまでの一時間ほどの気持ちよさは珍しかった。多くの隣人が外に出て来て話し声がしたりするのでそのことが確認された。夏はやはり暑く、夜中も湿気で気温が低下しない時も少なくないので、今夏のこの快適さは今迄も経験のないぐらいのもので、日曜日朝の爽やかさも喜ばしかった。

週明けからの夕立が来るまでの暑さに備えて、今のうちに火を使っての食事をしておこうと思う。現在までのところ冷たい飲み物も余り摂っておらず、胃腸の調子も悪くない。それだけで少しでも自身のタフさを感じられる。



参照:
覗き込む深い溝 2024-08-11 | 雑感
少しづつ見えてきた今日 2024-08-09 | 雑感
コメント
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