Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

シャムプーの効果期待

2024-08-21 | 
走り下りて来てシャムプーをした。車のシャムプーの続きで、ボンネットとAピラー、既に行ったライト以外のグリル横、ルーフの前面、そしてトランクの蓋と番号札回りの背後。15分も掛からなかったと思う。錆で酷いところの近くは出来るだけ触らない様に、まだ目立つ様にならない様にで、側面は殆ど無視。

ボンネットも数カ所の飛び石傷以外は綺麗で、乗用車で錆びるところと汚れるところが十分に把握できた。ルーフも雨中走らせると汚れは取れる。まだ終えていないガラスの部分は涼しくなったら別のクリーナーで磨きたいからだ。新車になるとガラスの面積が増えるのでそのことも考える。

水洗いしていないのでまだ輝いていないが、一度洗車出来ると綺麗になるだろうか。これで国境などで怪しいとは思われないだろう。綺麗なところが目に入ると、傷んでいるところはあまり目につかないと思う。新車では使えない柔らかいたわし面がついているからか指先程度の家事用の使いさしスポンジでこんなに早く拭けるとは思ってもみなかった。濯がないのも楽だ。

ギュンター・ヴァント指揮のブルックナー五番を試してみた。キリル・ペトレンコが「抹香臭くないブルックナー」と言及しているのだが、想定以上によさそうである。ハムブルクの放送交響楽団を振った1986年の中継録画である。これを選んだのは、指揮者がまだ若いのとケルンの放送局での録音や晩年のベルリンなどでのそれが一般的によくないことを知っていたからだ。まず最初の半分を聴いてみて、指揮も演奏もそれらよりも遥かに良い。そして放送中継録画を其処まで導いたディレクターの腕の良さも際立つ。

総譜のシステム間のバランスも絶妙に収録されているだけでなく、とても上手に熟している。この指揮者が駆け出し頃にケルンの音楽監督としてアロイスツィムマーマン「ディゾルダーテン」上演拒否など悪名が轟いていたのだが、この恐らく絶好調時期の指揮は自らが分からないことは指揮出来ないような拘りの準備が整っていたようだ。

それらによって得られるのは、先ずは動機の律動処理へのブルックナーの拘り、それが対位法的に組み合わされた時の扱い、つまり明晰なアーティキュレーションと相まって動機の意味とその目的が明確にされることである。楽曲の構造とは創作者がどのように筆を運んでいるかに全てがあるので、即ち何を創作のまさしく精神的動機にしているかということでしかない。それは細かな総譜上にある指示であり、テムポ運びがそこから自ずから定まってくる。

なるほど、創作の意思をどのように読み取るかは最終的にはそうした一つ一つの積み合わせて行かれた合理性から理解されるもので、決して上からのイデオロギーではない。ペトレンコが評した言葉もここでは取り払われて、その演奏実践に全てが語られる。

金曜日に初日を迎えそこから生中継される演奏に注目したいが、こうした参考音源には理解を深めるお勉強になるものもある。その違いは何かというと、総譜に書かれていることが音として表現されているかどうかである。さて後半でそしてフィナーレでその意味合いをしっかり明かしてくれるか。(続く)
Bruckner: Sinfonie Nr. 5 mit Günter Wand (1986) | NDR Elbphilharmonie Orchester




参照:
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