デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
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パサージュ・ショワズール(3)
ひとりよがりな回想
/
2013-03-12 00:00:23
前回も書いたとおりパサージュ・ショワズールは1827年に開通したが、このプロジェクトを推進したのはマレ銀行という銀行であった。
パサージュ・ショワズールはパレ・ロワイヤルとグラン・ブールヴァールとをつなぐ通り抜け歩廊で人を呼び込む狙いと、パサージュに隣接する劇場への道として利用してもらうことも目論んで造られた。
「パサージュ・ショワズールでは、「王室自然学者」コント氏が、自分も出演する二回の奇術ショーの合間に、氏の主催する有名な有名な児童劇団を披露しているが、この劇団の子どもたちは、見事な役者である。」J=L・クローズ「一八三五年夏季のパリのショー」『ル・タン』紙、一九三五年八月二二日号) [A8,2]
『パサージュ論』にも引用されているコント氏の劇場は今ではブッフ・パリジャン座として親しまれているらしい。
商売と交通は街路の二大構成要素である。ところで、パサージュにおいては後者の要素は死に絶えてしまった。交通はパサージュに痕跡としてしか残っていない。街路は商売に対してのみ色目を使い、欲望をかきたてることにしか向いていない。こうした街路では交通という体内循環が滞っているため、商品がパサージュの両側の縁にはみ出し、ちょうど潰瘍にかかった生体のように独特な結びつきを示しているのである。――遊歩者は交通を滞らせる。彼はまた買い手でもない。彼は商品なのだ。 [A3a,7]
生活第一の品を多く扱うパサージュ・ショワズールにではあるが、このパサージュの昔の写真はベンヤミンの書いているような感じなのだ。
「彼はまた買い手でもない。彼は商品なのだ。」という箇所は、きっと以下の断片にも通じるところがあるように思う。
遊歩者は市場の観察者である。彼の知識は景気予想についての秘密の学問と親密な関係にある。彼は消費者の王国へ派遣された資本家の偵察員である。 [M5,6]
パサージュ・ショワズールの人通りの多さを思い起こすと、19世紀にパサージュに人が押し寄せた時代の様子と少し似ているかもしれないと勝手ながら思っている。19世紀のパリの資本主義の興隆は、街やパサージュをぶらぶら歩けるような社会的階層の人間を登場させた。それは、いわゆる批評家や研究者や文士のような孤独な遊民といわれる人々で、彼らは遊歩者として群集に紛れ込みその中に居心地の良さを求めた。大雑把にいいすぎかもしれないが、群集に紛れ込んで町の相貌をうがった言葉で表現する人たちが、19世紀の作家や蒐集家たちなのではないかと思う。
「私がボヘミアンということで言わんとしているのは、その生活ぶりが不可解で、身分が神話的で、財産が謎めいているといった連中のあの階層である。彼らには決まった住居も、世間から認められた安息の場所もない。彼らはどこにもいないが、彼らにはいたるところで出会えるのだ! 彼らにはただ一つの定職もないのに、五〇もの職業を営んでいる。彼らの大部分は朝に目覚めた時には、夕食をどこでとることになるのかわからない。今日は金持ちであっても明日には飢えている。できれば正直に生きようとする気持ちはあるが、それができない場合には別の生活を送ることになる。」アドルフ・デヌリー/グランジェ『パリのボヘミアン』(アンピギュ=コミック座、一八四三年九月二七日上演)、パリ(『マガザン・テアトラル』)、八―九ページ [M5a,2]
そういった遊歩者はやたらめったら物を買わないけれども、歩いて見て来た物の知識を増やし価値を定める権威をもつようになる。遊歩者が商品の価値を決める、つまり価値を決める人間が遊歩者であり言い換えれば(遊歩者独自の)カタログだったのだ。カタログというのは紙を媒体にしたいわば「商品」と同義だから、遊歩者は商品という言い方ができる、と『パサージュ論』ではいいたいのかもしれない。
パサージュ・ショワズールで店を構えていた日本食のレストランに入った。ここで、男性の店員さんといろいろ話し込むことになるとは思いもしなかった。その男性の店員さんは、日本の私の地元の地域について土地勘があって、日本にいる頃になじみ深い土地の一つだったという。まさかパリに来て自分の出身地の話を初めて会う人とすることができるとは! 接客のあいま合間に私の席に来てくれて私の旅行の目的や彼がパリで働くことの感想などを話し込んだ(笑)。
この瞬間、パサージュ・ショワズールは、昼食を摂りに立ち寄ったパサージュというだけにはとどまらなくなった。定食も美味かったが、なにより気持ち的なものが生き返ったように思う。
上階のトイレをお借りしたときに。上の階は整理中だった。
昼食後、パレ・ロワイヤルへ。
遊歩者の格言。「現代の画一化した世界では、その場で核心に迫らねばならない。新鮮な衝撃と驚き、息をのむような異国情緒はすぐそばにある。」ダニエル・アレヴィ『パリ地方』パリ、<一九三二年>、一五三ページ [M14a,4]
パリのパサージュ内での日本料理店というだけで異国情緒てんこ盛り過ぎるし、君は異国情緒を味わいにパリに来たのだから本末転倒、逃げていく真理をつかまえようとする意味合いでのこの引用とは意味が違うと総つっ込みを受けるのを覚悟で、この引用とこじつけたくなる出来事であった。
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