デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ギャルリ・ヴェロ=ドダのガラス屋根

ギャルリ・ヴェロ=ドダは傍に乗合馬車や郵便馬車の発着場があったことを狙いを定めてつくられた面があることは既に書いたが、他にもブロワ通りから当時の盛り場であったパレ・ロワイヤルが近いということも建設の大きな狙いであった。


天井絵

パサージュはパレ・ロワイヤルに負けないようなゴージャスなつくりにするため、当時としては高価な透明ガラスを多く使い、テナントの仕切りには鏡を用い、床には白黒のタイルを敷き詰め、天井のガラスではない部分にはアレゴリカルな天井絵を配した。ネオ・クラシック調の豪華でシックな雰囲気のパサージュの誕生であった。(しかし天井絵のある「ガラスでない部分」は、実は建物の三階部分が載っているという。いわば苦肉の策でできてしまったものだそうだ)



ところが卑俗な意識においてはどうであったかを露骨に、しかしやはり典型的に示しているのは、同時代のあるジャーナリストの発言である。彼に言わせれば、いつの日か後世は、「一九世紀に古代ギリシアの建築術がいにしえの純粋さのままに再び花開いた」ということを認めるにちがいないのだ。『ヨーロッパ』Ⅱ、シュトゥットガルト/ライプツィヒ、一八三七年、二〇七ページ    [F3a,2]

いつごろからあるのか分からないけれども、この小さいディスプレイ?の上の鋳鉄のインボリュート曲線みたいな形に、いわゆる「近代的な技術の世界と、神話のアルカイックな象徴の世界の間には照応関係の戯れがある、」[N2a,1](『パサージュ論3』(岩波現代文庫))を感じたように思う。古代ギリシャ建築の柱頭のタイプにドリス式というのがあるが、19世紀に鉄でつくられたドリス式の柱頭のデザインがパサージュに現れたのではないかと思ってしまったのである。


ブノワ通りの方を振り返る

「しかし、わが家にいながら郷愁を覚えること、それこそは〔回想の〕技術だろう。そのためには幻想に熟達していなければならない。」キルケゴール『全集』Ⅳ、<『人生航路の諸段階』イエナ、一九一四年>、一二ページ。これこそ室内(インテリア)の定式である。    [I3,5]

ところで、『パサージュ論』にはパリを巨人に喩え都市の主だった建物を内臓として捉えたり、(遊歩が)パリを室内に変容させる、つまり遊歩者にとって見れば町が家で、一つ一つの部屋が街区で、パサージュは室内装飾(インテリア)であるといったような記述がけっこうあるのだけれど、その捉え方からすればたとえ21世紀人の一旅行者であってもパリの室内のインテリアに19世紀の痕跡を見出せるというふうに言ってもいいのだろうか。
パサージュは急速に発展し急激に衰えたものだから、19世紀の遊歩者たちはそれこそ落魄する室内にいながら郷愁を覚えたいたのかもしれない。

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