Pilot-Kの「前見て加速!」

自動車運転に関するアドバイス・感想等を書いていきます。※偶数日更新(原則)

なぜ三木露風は「幻か」と「いつの日か」を入れ替えたか

2017-10-22 16:59:03 | Weblog

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※今回は自動車運転とはまったく関係ない記事ですが、たまにはこんなのにもお付き合いください。

童謡『赤蜻蛉』の詩は、
1番が「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か」、
2番が「山の畑の桑の実を 小籠に摘んだは 幻か」
(現代仮名遣いで表記しています)です。
が、詩集『樫の實』に掲載された原詩は、
「夕焼小焼の 山の空 おはれて見たのは まぼろしか」
「山の畑の 桑の實を 小籠に摘んだは いつの日か」と
なっていたのだそうです。

これでも意味は通じる、というより、
むしろこちらの方が自然ではないかとすら感じられるのに、
作者の三木露風は、なぜ1番と2番を入れ替えたのでしょうか。
その経緯について作者本人は明らかにしていないようですが、
ネット上には
「原詩ではどこか第三者視点だったものがこの推敲によって主観性が高まった」
という意見もありました。
それが3番「十五で姐やは嫁に行き」につながるととらえれば、
なるほど、納得できる意見だと思いました。

ついでに言うと、そう考えれば、
やはり、1番は「母に背負われて見た」(そう解釈する識者もいます)のではなくて、
「ねえやに背負われて見た」と読むべきなのでしょう。

ところで、
4番に含まれる「赤とんぼ とまっているよ 竿の先」は、
三木露風が中学生の頃に創った俳句なのだそうです。
それを、遠くの地(北海道ともドイツとも言われる)で
洗濯竿に赤トンボがとまっているのを見て、
郷里での出来事とともに思い出したとのこと。
このエピソードの方が歌詞の内容よりも泣かせる、
と感じるのは、小生だけでしょうか?


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