山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

額に汗して

2006-07-13 20:05:06 | 未分類過去
今日は「額に汗して」庭仕事をしました。

ハゴロモジャスミンがものすごい勢いではびこっていました。それをやっと剪定しました。
みごとに丸坊主にしてやりました。
すると、知らないうちに太い根っこが4株にもなっていたので、2株の根は掘り起こして捨ててしまいました。
20年も放置しておくと、こういうことになるんですね。
毎年いくらかは刈り込むものの、徹底的に刈り込むのはひさしぶりです。
株の中のほうは、もう枯れたツルばかりで、ひどい状況でした。
根元から関係ないツル状の雑草もはびこっていました。こういうのに限って本物の根っこの直ぐ脇に根を張っているので、表面に出たツルを何度排除してもしつこく出てくるわけでした。

株の奥のほうの、葉をつけることもない醜い茶色い大量のツルと、そこにはびこる草ををみると、それは私の家の中のようでもあるし、私の頭の中のようでもありました。
これも一種の廃墟ですね。
人間が住みながらにして、ガラクタを溜め込んで掃除もしない部屋は廃墟であり、自分の中のはるか昔に築いたさび付いた知識や経験も廃墟であり、それらは決して今現在に役に立つわけでもなく、かえってそれが新しい一歩を進めるために障害にさえなりかねません。
そういうものは、全部すっきりと整理する必要があります。

このジャスミンは夫と私が結婚してこの家に引越してきた時に夫の親友が引っ越し祝いにプレゼントしてくれたものです。その後、あまり花をつけなくなり、ジャスミンの花と匂いが気に入っていた夫がまた同じような鉢植えを買って来たので、さらに株が増えてしまいました。今ではどっちがどっちだか判らないのですが、4株のうちの中央の2株を捨てることにしました。
結婚祝いといえば、夫婦の運命を象徴するような気もするので、これを廃れさせたら夫婦は終りではないかとも思ったりするわけですが、この際、すっきりとリフレッシュしましょう。

ほんのわずかに葉をのこして、庭はすっきりしました。
何事も、リセットすることも必要かもね。

汗だくになって、Tシャツの胸や首もぐっしょりになりました。
労働や運動による発汗は、体内の毒素を外に出してくれるそうです。べとべとの汗です。
岩盤浴のときの発汗も体によく、気持ちがよいそうで、一度やってみたいですが、岩盤浴はさらさらの汗で、あまり体内の悪い物質は外に出ないのだそうです。

今日は、ちょっと、体に良かったかもしれません。

庭に引続き、近々、家の中と頭の中も整理しましょう。
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お世話になった医師

2006-07-13 01:37:01 | 未分類過去
この間、夜8時過ぎに駅の近くを歩いていたら、ばったり以前お世話になったお医者さんとすれ違いました。
そのお医者さんは、私が顔面神経麻痺にかかったときに、半年くらい通ったクリニックの先生です。病院からご自宅にお帰りになるところだったようです。
あっ!と思いましたが、先生のほうは全然気づかない様子で通り過ぎて行きました。
思えば、もう10年近くにもなるので、見ても気がつかないかもしれません。
でも、何度も通ったし、そのうち何回かは顔の動きを見て点数をつける検査もしていただいたし、大学病院へ検査にいくよう手配もしていただいたので、患者の一人として先生の記憶にあるのが普通じゃないかとは思います。
でも、病院の先生というのは、病院外では元患者なんかに会ってもあまり目を合わせないようにしているのかもしれません。
病院の中では、親しみやすく、常連の患者さんとはかなり親しげに話されていたようでしたが・・・。

しかし、私にとってこの先生は、人生の中で大きな存在でした。
顔面麻痺という病気になる前は、単に専業主婦に飽きて、なんでもいいから適当な収入を得ようと考え、肉体労働のような仕事をしていたのでした。
そのころは、あまり向上心とかはありませんでした。
夫の収入を浪費するだけの生活から、自分の収入を得てそれで衣服などを買うという程度に変化したに過ぎないものでした。
顔面麻痺になって顔半面が動かなくなった私は、今度は通院依存症のように、病院に通うことで、顔がすこしずつ動くようになるということだけが楽しみのような生活になって行きました。
しかし、顔は一定の動き以上には回復しなくなり、これ以上の通院は無意味であるという宣告を受けました。それは予期していたことでもありました。

通院していた期間は非常に楽しい時期でした。顔が回復していくことに加えて、この先生の患者さんに対するやりとりが素晴らしいものだと思いました。
言葉づかいがとてもきれいで、やさしく、ちゃんと説明してくれる先生でした。

治療が終わる頃、私も人の世話にばかりなっていないで、何か人の役に立つちゃんとした仕事をしたいと痛切に思うようになりました。
自分もその先生のような要素のある人間になりたいというのが本当の夢でした。
その後、以前関心をもったことのある日本語教師になろうと思いつき、その道に進んで行きました。
結局、その職業には挫折してしまいましたが、今の仕事についているのも結局はその延長線上のことだと思います。
先生のおかげで切り開いてきた道だと思います。

尊敬する人なんかいないと思っていたのですが、確かにその先生は私にとって人生のお手本となる人だったと思います。

クリニックを開業されている先生は、ご自宅から毎日電車で通っていらっしゃるようです。朝から夜まで大変だと思います。病院は午前の診療があり、午後の数時間を休んで、また夕方から8時頃まで診療するという形です。これはかなりの拘束時間でしょう。
開業医は儲かるなどと聞きますが、毎日サラリーマンと変わらず仕事に縛られてると感じます。お店を経営している自営業の人も大変ですけど、開業医もあまり変わらないように思います。毎日毎日患者さんのために診療を繰り返しているのです。

この10年間、先生は変わらずクリニックで診察を続けておられたのでしょう。

突然先生と出くわして、私は今、先生の前に立って恥ずかしくない人生を送っているだろうか?とあせりました。
いやあ、以前より太ったおばさんになっちゃってますね。恥ずかしいです。
世の中の役にたつ仕事は一応しているとは思うけど、周りの人に対する先生のやさしさのようなものは欠落したままだし、まだまだ努力と心がけが足りないようです。

実際、先生の目に私の姿が入ることはなかったようで、挨拶もできませんでしたが、もっとちゃんとした人間でいなくちゃなと思いました。
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