山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

堕落の道

2009-07-24 22:06:58 | 日記
放送大学の単位認定試験が迫っていますが、前回受けなかった科目がそのまま再試験で5科目残っています。
なんか、やる気なくて、放置していました。
っていうのは、今勤めている職場への恨みから、仕事に関係した分野の勉強をしたくなくなってしまったのです。

パートタイマーがどんなに頑張っても、専門分野の校正という仕事では、なんら評価されることはなく、お茶汲み、雑巾がけ、電話応対、消耗品・備品の在庫チェック、業者の立会いなどの仕事をいかに快くひきうけるかどうかで、仕事への評価が決まるってことです。
確かに、そういう仕事も必要ではあるでしょうが、どうも納得できません。

私は主に化学系の文書の校正をしているので、もともとは、そちらの業務室の所属ですが、組織上の上司が、総務系の人になったので、本来の仕事での残業などはできうる限り控えなければならず、その上に、社員のための雑用に優先的に時間を割くようになってしまいました。

どっちが本来の仕事なんでしょうか?全然本末転倒です。
「もともとの雇われている目的と違う」と言ったら、「カイシャインというものは、入ったときの仕事ではなく、状況に応じて変化していくのはあたりまえだ」と言われてしまいました。そして、「発展性のある仕事をしてくれなきゃ困る」というわけです。

発展性とはナンでしょうか?急ぎの校正をしているときに、業者がやってきて中断し、ジュースやお菓子を補充するのに15分も20分も立ち会うのが、発展性のある重要な仕事なんですか?

書類の不整合を調べるため神経を集中させているときに、外線電話が鳴ったら、すぐに出てくれといいます。書類をそっちのけで電話に出ると、もうどこを読んでいたのかもわからなくなってしまい、もう一度読み直しです。
外線電話に出るときは、会社の顔なので、相手に失礼のないようにとのことです。だから、あらかじめ社員の日程などをスケジュール表を見て頭に入れておくようにとも言われています。重役以上にかかってきたら直接取り次いだり、折り返し電話をかけるなどという応対をしてはいけないとか、どういうときはどうするとか、様々な取り決めがあります。
電話が、事務のほうで出なかった場合だけ、こっちに回ってくるので、毎日かかってくるものではありません。たまにしかかかってこないことのために、毎日準備をするのも馬鹿らしいですが、たまにかかってくると、不手際があっては困るので、かなり緊張します。

人件費節減のため残業は禁止されているので、時間が遅くなると私がやるべき書類のチェックの仕事は省かれます。そのために、ミスが見過ごされ、結果的に、そのミスを後になってやり直すために、多額の出費が発生したりしています。もし、そこで私が1~2時間残業をして書類の内容を確認できたなら、そのミスは見つかっていたかもしれません。そうすれば、出費は私の残業代1000~2000円で済むところ、あとになって修復するのに何万円もかかっているということも見受けられます。

でも、チェックをちゃんとしたほうがいいという意見は私のようなパートタイマーにはいえる立場ではなく、そんなことを意見したら煙たがられ嫌われるばかりですから、黙っています。

仕事のことなんか考えたって面白くもなんともないですね。
っていうか、私は本来の仕事は好きですが、ここにいたら、自分自身になんら発展性が見出せないのです。
ポットにお湯を補充したり、お茶回り品や文具の在庫に気を配ったりするのは、人の役に立ってるんでしょうけど、それで満足はできません。
それが、総務の人のように正社員の給料でやってるんだったら話は別かもしれませんが。

しかし、だからといって、転職しようとしても、別のところで、私がやりたいような仕事を求人している職場もないようです。
イジメがないだけ、ここはマシかもしれません。
結局、どこかに乗り移ろうったって、行き先もない。
不動産業界なんて行っても、勝手のわからない業界で1人前にやっていけるはずがない。
だから、宅建の勉強をする意味づけも怪しくなってきています。

それで、何の役にもたたない車の運転して、遊んでるのが一番たのしいんです。
だから、堕落の道に進んでるってわけです。
お金ばかりかかって、このままじゃいつか破綻しますね。
何をやっても、阿呆で空虚な自分なんですよね。

お尻に火がつかないと、私は正しい道に走り出せないでしょう。


コメント (2)

阿呆と空虚

2009-07-24 19:26:22 | 日記
仕事で、文書の校正をしていたら、こんな人名がでてきました。
「アホウ」さんと「クウキョ」さん?
これは物語ではなく、実在の人物ですよ。
しかも、芸人とかじゃなくて一般人です。

ええ~っ、そんなバカな・・・
そんなムナシイ名前があるのか?
お気の毒に・・・・
本当に正しい名前なのか・・・?
ふざけてるんじゃないの?

よくよく見ると、
「阿呆」ではなく「阿保」でした。
“アボ”と読むのかな?
そして、「空虚」ではなく、「空處」でした。
そういえば、字が違うね。
ああ、びっくりした。

なんとなく「阿保」さんというのは記憶にありますが、
「空處」さんというのは初めてです。

この「處」という字は、何なのでしょう?
漢和辞典でしらべてみると、「処」の旧字体だそうです。

名前では「別處」ベッショさん、「田處」タドコロさん
「城處」キドコロさん、「満處」マンドコロさん
などがあるそうで
「空處さん」は「ソラジョ」か「クウショ」と読むようです。

「空處」とは何か意味があるのでしょうか?
「空」であるところ=何もないところ、ってことかな。
「四空處」とかいう言葉が、お経の中などにあるようですが、
仏教に関係のある言葉でしょうか?

いろんな名前があるもんですね。
つまらない仕事の中で、ちょっと眠気覚ましになりました。
コメント

このごろ

2009-07-24 03:02:56 | 日記
このごろ、夕飯を食べると眠くなって寝てしまい、1時ころ目覚めるも、なかなか起き上がることができず・・・。
(たぶんこれは、過労や体調不良ではなく、低血圧だからでしょう。)
1時間くらい朦朧とした後に、ようやく心身ともに目覚め、そしてパソコンに向かい、お風呂に入って、明け方寝るというふうな、変な習慣になってしまいました。
そのまま起きないで朝まで寝てるっていう方法もあるのでしょうが、それではあまりにも寝すぎなので、どうしても夜中に一旦起きて2回寝る形となってしまいます。
すると、ちょっと睡眠不足なので、翌日もまた夕飯を食べると寝てしまうという悪循環です。
まあ、いいか。

今日は、夫は夜勤なので、自由自在ですが、夫がいたところで、あんまり関係ありません。
この年になると、お互い同居人ですが、勝手なことをしています。
全く、夫婦なんてものは、変わり映えもしなくて、おもしろくもなんともありませんね。
こっちがそうだから、むこうもそうに違いありません。
相手を軽蔑しているわけでもないけど、尊敬もできないし、それもたぶんお互い様で、残念ながら自分に相応の相手なんだと思いますよ。

よそで仕事をしている男性を見て、「この人いい感じだな~」と思うことがあります。きびきびと働いている姿や、仕事に情熱を持っている姿です。中年以上だったらだいたい妻帯者であり、「この人にはどんな奥さんがいるのかな?」と想像したりします。だいたいステキな男性にはステキな奥さんを連想しますね。こんなステキな人なんだから、ステキな奥さんがいるに違いないんです。どう考えたって、変な奥さんであるはずがないですよ。

ということは、たとえば、うちの夫を見た女性が、「この人どんな奥さんがいるのかな?」と思った時に、どんな奥さんを思い浮かべるんでしょうね。
「大した男じゃない」と思えば、奥さんである私も「大した女じゃない」はずです。
そして、私を見た男性も、「この人どんなダンナがいるのかな」と思ったときに、私を通して夫を連想するわけで、「きっと大した夫じゃない」と思うんでしょうね。

なんだか、わけのわからないことを書いてますが、
しかし、もしかしたら、家のなかのぶざまな姿と外の姿とは違うかもしれません。
外に出たらきびきびと働いているのかな、夫は。
私だって、会社の机の上をごちゃごちゃに散らかしたりはしていないし、きれいなもんですよ。
夫なんか、「親切でとってもいい人だ」と思われているかもしれませんね。
まあ、お互いに家にいるときよりは外にいるときのほうがマシなんじゃないかとは思いますけどね。

そうしたら、仕事をしていてステキに見えるよその男性も、実はその家庭では何の魅力もなく、無価値なものと思われている場合もあるかもしれませんね。もしそうだったら、「そんなことはないですよ、お宅のダンナも捨てたもんじゃないですよ」と教えてあげたほうがよさそうです。
みんなそんなもんかな。
それとも「うちのダンナはステキなの」と、ぞっこんの奥さんもたまにはいるのかな。
そうだとすると、逆に、「大したことないじゃん」と言ってやりたくなりますね。

夫には、人から見て、「ステキな奥さんがいそうな人だな」と思えるような男性でいてもらいたいし、私も「ステキなダンナがいそうな奥さんだな」と思われたほうがいいですね。
背中を丸めて自転車に乗っている夫の姿を見たりすると、「せめて背筋を伸ばしたら、もっと印象がいいのにな」なんて思います。

何歳になっても、自分を磨き、夫婦そろって魅力的でいることがいいことですよね。
目新しいことなどが長年なにもない生活をしていると、そういう中で新鮮さを失わず、お互いの魅力を見つけたり、自分たちを磨いていくことはなかなかむずかしいものだなと思います。










コメント