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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

武蔵村山のイオンモールへ

2013-12-01 23:30:27 | 車・運転・道路2013
車はせめて1週間に50kmは走らないといけないと思っているのだけど、結構大変だ。
土日だけしか乗れないし、休日毎日運転をする暇もない。
となると、1日で50km走らなくてはならない。
先週はゼロであるため、今週その分を走るとなると100km走らなくてはならないけど、
到底無理である。

運転は、土曜か日曜のどちらかにしたいが、昨日12kmくらい走っただけで
終わりにするわけにもいかないので、今日も運転。

そこで、どこに行こうかと考えあぐねた末に、
武蔵村山のイオンモールミューに行くことにした。

これは、最近よく走っている「新青梅街道」の「本町一丁目」という交差点を曲って、南に行けばいいようだった。
立川に行く「芋窪街道」を超えて、さらに行った「三本榎」の次のところだ。
最近行った「ジョイフルホンダ」よりは近い。

相変わらず家事が溜まっているので、さっさと行って帰ってこようと思った。
それで、9時過ぎに家を出た。
早く出れば道路が空いているかと思ったらそうでもなかった。
しかし、何か違う。

どうも走りにくい感じがするのだ。

朝は結構寒い。エアコンをつけると燃費が悪くなるし、それではバッテリーの充電も貯められないので、
暖房を使わないようにしようと思って走っていた。
しかし、寒い。
特に、日陰で信号待ちなどしていると冷えてくる。
それで、車内があたたまるまで少し暖房を入れることにした。

だが、アクセルをけっこう踏み込んでも、どうも車のスピードが遅れがちなのである。
第2車線を走っていたが、なんとなく落ち着かない。

普段ならこのくらい踏み込めば、前の車についていくという感覚が、今日は違っていた。
最初は、エアコンにエネルギーを取られるからそれだけアクセル踏まないとダメなんだろうと思った。
それで、エアコンは早めに止めた。

ところがそれでもなんとなく落ち着かないのである。
そういえば、これは周囲の車が、通常よりも5~10キロくらい速く走ってるぞ、と気がついた。

つまり、車の量は通常通りだが、渋滞していないのである。速やかすぎるくらい流れているのだ。
普段は第2車線で法定速度を出していれば流れに乗っているところ、今日は10キロくらい多く出ているので、ついていくのに忙しかった。信号は結構頻繁にあるので、あまり速いスピードで走っていると、黄色になったときなど、止まるのが大変だ。

これでは、第1車線を走ろうかと思ったが、意外に第1車線も全く車間距離なく車が連なっているので、車線変更をするタイミングも難しい。どうしても動く必要がある場合でなければ入れない雰囲気なのだ。
そして、駐車車両でもあれば、その先で左に移りやすいのだが、ないのだ。

そこで、わかったことは、道路際の商業施設がまだ開業時間前であり、駐車場に出入りする車や待機する車がまるでなく、第1車線の流れをせきとめるものがないのだということだった。

第1、第2車線とも、ほとんど同じ速さで進んでいくし、第1車線がせき止められて、第2車線に移る車もないため、車はスムーズに流れていくのだった。

目的地まであと3キロくらいになってから、第1車線に移ってみた。すると、前のほうの車が右に移動しているので何かと思ったら、珍しく自転車が走っていた。この場合、自転車を抜いても、また信号で抜かれて切りがなくなるので、再び第2車線に移り、しばらくして第1車線に戻った。やはり、今日は第1車線が走りやすい。

道は簡単にわかった。本町1丁目を曲がると急に車列が連なっていた。イオンモールに行く車が多いようだった。
入り口がどこかと思ったけど、前の車も入って行ったのでわかった。
地上駐車場もあるが屋上に上った。着いたのは10時ちょっとすぎだった。


地上駐車場は10時すぎに既に満車状態。富士山が見えた。(この写真には写ってません。)

この施設はかなり大きい。迷子になってしまいそうだ。
駐車した場所とそこに戻るために、いろいろと番号などを一生懸命覚えておいた。



買うものはろくにない。専門店にも用は無く、イオンのスーパーのほうで食料品を買った。

11時ころ屋上に戻ると駐車場はかなり満杯になってきていた。



帰りの新青梅街道は第1車線を走った。第2車線は右折車でせき止められることがあるからだ。
そうしたら、交差点で、第2車線の車が右折車をよけて、第1車線側に接近してくる場合があり、ぶつかりはしないものの、ちょっと怖かった。

普段は、田無の北原交差点で、青梅街道に進むが、今日はそのまま新青梅街道を走ってみた。
速度が40キロになってしまうので、やはり到着が遅くなるのだろうか?
しかし、このくらいの速度が私にはちょうどよかった。

自宅についたのは12時半ころ。とりあえず午前中で事が済んだのだが、
疲れて午後は爆睡し、起きたら日も暮れて6時だった。

家には12時20分ころついた。走行距離は53km。



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保留

2013-12-01 23:03:54 | 日記
昨日、見学した蘆花恒春園と世田谷文学館の記録を本日、ブログに載せたいと思っていたのですが、
結構、手間暇がかかるために、後日にまわしたいと思います。

ああ、もう年だな~~

というか、私の脳みそがついていけないだけか・・・

後日改めて。

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蘆花の墓で猫に出会う

2013-12-01 00:49:28 | 旅行・街歩き


墓に近付いていくと、猫がいた。



(前記事で、写真の中に猫をみつけましたか?
左側のテーブルの上に写っています。)



カメラを向けると警戒する猫が多いが、この野良さんは逃げる様子もなかった。
何か猫が食べるものでも持ってなかったかな?とカバンの中を探すが何もなし。
そのまま、墓参りに行った。



墓から戻ってくると、今度は地面にいる。まるで枯れ葉のような色だね。



くつろいで、お腹の手入れをしている。
写真に写るとまずいところはちゃんと手で隠しているのだ。

元気でね。
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徳冨蘆花夫妻の墓

2013-12-01 00:25:17 | 旅行・街歩き
まず、家を見る前に徳冨蘆花夫妻のお墓を見た。ここに家があると聞いていたが、まさかお墓まであるとは知らなかった。



墓石は近くでは写していない。石塔ではなく、自然石に文字が書いてある。
その両側には墓誌があった。

徳冨健次郎(蘆花)墓誌



その一部
「蘆花は生まれつき真面目で意志強く妥協を排し、世間の動きに左右されることがなかった。また、与える事が多く、愛情を持って人々に接した。
文章を作るにあたっては、様々な思いが泉のように湧き出て、次々と言葉が流れ出るようであった。
蘆花の生涯は、終始自らを偽らず、思うままに行動し、ひたすら真善美を追求することに努めた人生であった。
遺骸は、粕谷恒春園の林の中に持ち帰り埋葬された。これは自身の生前からの願いであり、また粕谷の村人たちの希望するところであった。」

これは、兄、徳富蘇峰が65歳の時に書いた墓誌である。蘆花は60歳で亡くなったそうだ。生前は、兄と絶交していた時期もあったが、亡くなる直前に再会和解していた。
この墓誌の内容からも、蘆花と兄の人格がうかがえる。

徳冨愛子墓誌



さらには妻の墓誌も蘇峰が書いている。
その一部
「女史は才色ともに恵まれ、態度はつつしみ深く、精神はしっかりしていて、動揺することがない。夫婦生活34年間、心は1つとなり、相愛し、相たすけた。蘆花が大をなし得たのは、女史の内助によるところが大きい。
蘆花死去後、20余年をひとり生きて自身の病弱をおして、蘆花の遺著を整理刊行し、また後々の計画を定めた。すなわち、10年後に、恒春園の土地と邸宅一切を東京都に寄贈し、蘆花記念公園としたのである。」

奥さんもとても立派な人だったようだ。

蘆花の妻は74歳で熱海の仮の住まいで亡くなったそうだが、遺骨を蘆花の墓の左隣に埋葬したそうである。この時、蘆花の兄、蘇峰は85歳だったようだ。

蘆花は7人兄弟の末子であり、この兄とは5歳違いだったようだ。両親が年を取ってからの子だが、両親は90歳を超える年齢まで生きたようだ。しかし蘆花は60歳という短い生涯だった。

この土地の自然を愛し、畑を耕して、晴耕雨読の生活をしながら執筆活動をした。
自然の中で生きることはトルストイの影響らしい。

NHKドラマ「八重の桜」では、徳冨蘆花が山本覚馬の娘久栄と恋愛関係になるが、結局結ばれず、蘆花は後に別のふさわしい人と結婚したということだ。(ちなみに久栄は22歳で病死したらしい。)

蘆花夫婦は、そろって素晴らしい人だったようだ。

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