先日の蘆花公園の見学記録を書かなくてはなりません。
しかし、ここで知ったことをいろいろ書かなくてはいけないと思うとなかなか大変で、
結局、おおざっぱにしてしまえ、ということになり、
とりあえず、撮った写真を見た順番にべたべたと載せてみます。
まずは母屋です。
この家を見て、あまりの古さと地味さに驚いてしまいました。
この地に蘆花が最初に買った家。
以前の持ち主についてなど、この説明書きのとおり、蘆花の作品中に書かれているようです。
直前に住んでいたのは、大工の妾ですが、手入れもされていなくて、粗末な家だったようで。
しかし、蘆花は、住むのは草ぶき屋根の家と決めていたそうです。
中に入ってみると、土間にご飯を炊くかまどなどがあり、こじんまりとした質素な家でした。
奥には五右衛門風呂があり、珍しいなあと思いました。
そこから渡り廊下でつながって、別棟があります。母屋よりあとで建てたものです。
説明書き通り、「梅花書屋」という名前です。
回り廊下にぐるりと囲まれた和室で、書斎になっていました。西側の押入れの壁をぶちぬいて窓にしてあり、そこにテーブルと椅子を置いてありました。そこから明りをとりいれたとのことです。
この部屋は作家らしいです。
これらの2つの家の位置関係はこんな感じです。
それから「秋水書院」
3番目に建てられたもので、一番広く立派な感じです。この写真は西側から写しました。
室内にはベッドや大きなテーブルなどの家具が配置されていました。
それから、座右の銘のような言葉をしるした立派な額縁も飾ってありましたが、言葉を忘れてしまいました。
秋水書院の名前の由来は「幸徳秋水」から来たもので、この家の建て前の日に、幸徳秋水らが大逆事件で処刑されたのだそうです。
「幸徳秋水」という名前は聞いたことがありますが「大逆事件」とは何なのか?私はそれさえも知りませんでした。
いまだによくわかりませんが、この事件は、皇族の暗殺をたくらんだものだそうです。そしてそれに関与したとされる12人が処刑されましたが、実際に加担していたのは4名のみであり、その他の幸徳秋水ら8人は、単に社会主義者ということで、一掃されたらしいです。
徳冨蘆花は、幸徳秋水を救う運動をしていましたが、かなわなかったそうです。
この家に、その名をつけたのは、ものごとを真剣に受け止めてないがしろにしない蘆花の性格が表れているなと思いました。
この家の中には、朝鮮の独立運動家の安重根(アンジュングン)の書もありました。中国を旅行した時に知人から譲り受けたそうですが、伊藤博文を暗殺して処刑された人に対して、どういう思いを持っていたのか興味深いです。
なんだか、いろんな思いがつまっている家だなあと思いました。
家の中の見学を終えると、また、母屋の玄関に戻って外にでました。紅葉がきれいです。
家の周囲の樹木はとても大きくうっそうとしています。だから、天気が良くても暗い。
でも、蘆花が暮らしていたころは、こんなに木が大きくはなかったはずですね。もっと日当たりがよかったでしょう。
家の北側に行くと、ドングリが落ちていました。
柑橘類の黄色い実もなっていました。
ここで、「恒春園」についての説明がありました。
それから、蘆花の死後、愛子夫人が住んでいた家がありました。これだけは、かやぶきではありません。
しかし、近くにゴミ処理場があって臭いがひどくなったため、あまり長くは住まなかったそうです。
亡くなったのは熱海の家でした。
蘆花記念館前より「秋水書院」を見たところです。竹林があります。
蘆花記念館では、蘆花のおいたちや作品や、生き方について展示されていました。
兄の蘇峰のことや、妻のこともありました。
蘆花公園には、家しかないと思っていたので、数々の遺品や資料、ビデオ上映などもあり、びっくりでした。
「不如帰」(ほととぎす)は有名ですが、内容は知りませんでした。
肺病になった軍人の妻が、夫の出征中に姑に追い出されてしまうという悲劇だそうです。
逗子にいたときに、人から聞いた実話をもとに造った小説だそうです。
そのほか、「八重の桜」に出ていた山本久栄との恋愛を後になって描いた作品もあるようです。(「黒い眼と茶色の目」)
読んでみたいとは思いますが、たぶん昔風で読みにくいだろうな、と思いました。
お墓と家を見て、それから最後に記念館を見学し、北側に出て初めてわかったのは、私は入り口から入らないで逆から入り、最後に入り口から出たということでした。
いつもやることがなんか変。
しかも、蘆花恒春園についてはNHKの「八重の桜」で紹介されたそうですが、見た記憶がない。
ドラマが終わった途端に消しちゃったんだろう・・・。
それを見てたら、正門から入ってたはず。
ここに、詳しく載っていますね。ご参考に。
蘆花恒春園(坂本建設株式会社)
しかし、ここで知ったことをいろいろ書かなくてはいけないと思うとなかなか大変で、
結局、おおざっぱにしてしまえ、ということになり、
とりあえず、撮った写真を見た順番にべたべたと載せてみます。
まずは母屋です。
この家を見て、あまりの古さと地味さに驚いてしまいました。
この地に蘆花が最初に買った家。
以前の持ち主についてなど、この説明書きのとおり、蘆花の作品中に書かれているようです。
直前に住んでいたのは、大工の妾ですが、手入れもされていなくて、粗末な家だったようで。
しかし、蘆花は、住むのは草ぶき屋根の家と決めていたそうです。
中に入ってみると、土間にご飯を炊くかまどなどがあり、こじんまりとした質素な家でした。
奥には五右衛門風呂があり、珍しいなあと思いました。
そこから渡り廊下でつながって、別棟があります。母屋よりあとで建てたものです。
説明書き通り、「梅花書屋」という名前です。
回り廊下にぐるりと囲まれた和室で、書斎になっていました。西側の押入れの壁をぶちぬいて窓にしてあり、そこにテーブルと椅子を置いてありました。そこから明りをとりいれたとのことです。
この部屋は作家らしいです。
これらの2つの家の位置関係はこんな感じです。
それから「秋水書院」
3番目に建てられたもので、一番広く立派な感じです。この写真は西側から写しました。
室内にはベッドや大きなテーブルなどの家具が配置されていました。
それから、座右の銘のような言葉をしるした立派な額縁も飾ってありましたが、言葉を忘れてしまいました。
秋水書院の名前の由来は「幸徳秋水」から来たもので、この家の建て前の日に、幸徳秋水らが大逆事件で処刑されたのだそうです。
「幸徳秋水」という名前は聞いたことがありますが「大逆事件」とは何なのか?私はそれさえも知りませんでした。
いまだによくわかりませんが、この事件は、皇族の暗殺をたくらんだものだそうです。そしてそれに関与したとされる12人が処刑されましたが、実際に加担していたのは4名のみであり、その他の幸徳秋水ら8人は、単に社会主義者ということで、一掃されたらしいです。
徳冨蘆花は、幸徳秋水を救う運動をしていましたが、かなわなかったそうです。
この家に、その名をつけたのは、ものごとを真剣に受け止めてないがしろにしない蘆花の性格が表れているなと思いました。
この家の中には、朝鮮の独立運動家の安重根(アンジュングン)の書もありました。中国を旅行した時に知人から譲り受けたそうですが、伊藤博文を暗殺して処刑された人に対して、どういう思いを持っていたのか興味深いです。
なんだか、いろんな思いがつまっている家だなあと思いました。
家の中の見学を終えると、また、母屋の玄関に戻って外にでました。紅葉がきれいです。
家の周囲の樹木はとても大きくうっそうとしています。だから、天気が良くても暗い。
でも、蘆花が暮らしていたころは、こんなに木が大きくはなかったはずですね。もっと日当たりがよかったでしょう。
家の北側に行くと、ドングリが落ちていました。
柑橘類の黄色い実もなっていました。
ここで、「恒春園」についての説明がありました。
それから、蘆花の死後、愛子夫人が住んでいた家がありました。これだけは、かやぶきではありません。
しかし、近くにゴミ処理場があって臭いがひどくなったため、あまり長くは住まなかったそうです。
亡くなったのは熱海の家でした。
蘆花記念館前より「秋水書院」を見たところです。竹林があります。
蘆花記念館では、蘆花のおいたちや作品や、生き方について展示されていました。
兄の蘇峰のことや、妻のこともありました。
蘆花公園には、家しかないと思っていたので、数々の遺品や資料、ビデオ上映などもあり、びっくりでした。
「不如帰」(ほととぎす)は有名ですが、内容は知りませんでした。
肺病になった軍人の妻が、夫の出征中に姑に追い出されてしまうという悲劇だそうです。
逗子にいたときに、人から聞いた実話をもとに造った小説だそうです。
そのほか、「八重の桜」に出ていた山本久栄との恋愛を後になって描いた作品もあるようです。(「黒い眼と茶色の目」)
読んでみたいとは思いますが、たぶん昔風で読みにくいだろうな、と思いました。
お墓と家を見て、それから最後に記念館を見学し、北側に出て初めてわかったのは、私は入り口から入らないで逆から入り、最後に入り口から出たということでした。
いつもやることがなんか変。
しかも、蘆花恒春園についてはNHKの「八重の桜」で紹介されたそうですが、見た記憶がない。
ドラマが終わった途端に消しちゃったんだろう・・・。
それを見てたら、正門から入ってたはず。
ここに、詳しく載っていますね。ご参考に。
蘆花恒春園(坂本建設株式会社)