山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

初ドライブスルー

2020-10-12 22:20:47 | 車・運転・道路・駐車場2020

昨日、生まれて初めてマクドナルドのドライブスルーを利用してみました。

週末ドライバーの私は、週に1度しか車を動かさないので、せめて50kmは走ろうと思っています。

昨日は、美術館に行くのに、中村橋駅のそばの駐車場に車を置きました。(そういえば、あそこは練馬駅ではないのですね。あ、練馬美術館ではなく、練馬区立美術館です。名前が微妙に違うと、ナビに入れても出てきません。)

そうしたら、全然走行距離が足りないんですよ。こんなに近所だったんかい。確かに自転車ででも行けますからね。

これじゃあ、もっと走らねばダメだと、仙川通りから青梅街道に出るつもりが、新青梅街道でした。

たしかに、新青梅街道の方が北を走っているのですから、右に曲がった道路は新青梅街道だったのですね。

練馬区あたりの新青梅街道は片側1車線で60km/hでは走れないし、それにすごく混んでいました。やはり雨が続いていたので、日曜日になってみんな外に出てきたんでしょう。なんかすごく長い気がする。

そうして、やっと北原交差点に出て、そのまま進み、ニトリに行って、布団カバーと枕カバーを2組買いました。

・・・

思いだしたのは、運転免許を取って初めてニトリに行ったときのことです。新青梅街道沿いのニトリ田無店の入り口が見つからなかった。

今だったら信じられないですよ。大きな看板も出ているし、通り過ぎるなんてことはありえません。駐車場にも入りやすいです。入りたくなくてもニトリの前で車列が詰まっちゃっいますからね。

ところが、あの時は開店時刻の直前だったようで、ニトリに入っていく車がなかったんでしょう。

そうして、今回中村橋からの経路を間違えないように車のナビをニトリにセットして行ってわかったんですが、うちのナビは、ガソリンスタンドのある交差点を左へ曲がれと案内するんです。初めて行ったときは、それに従って、ニトリの前を通り越し、細い道に入っちゃって、搬入口みたいなところにいっちゃったのでした。

その先は、狭い道が続いており、脱出するのがとても大変でした。
その時はニトリには入ることができず、あきらめて帰りました。

あれから10年も経つと、もう何度もニトリに行っています。
昨日も屋上まで上って、駐車して、買い物をしてきました。

ニトリのアプリをスマホに入れたんですが、自分のよく利用する店を選ぶ画面が出ます。そこに田無店を入れたいんですが、ダメなんですね。

自宅からの距離の近いほうから何店舗も出てくるんです。だいたい5kmくらいの距離で、駅に近いお店です。

田無店はうちからは10km以上離れているからか、そのお店を利用するのは想定外になっちゃってるんですよね。

でも、私は田無店以外は、ほとんど利用したことはないんですよ。しかたがないので、行ったこともない店を選びました。あのアプリは困るなあ。

・・・

さて、ニトリから引き返しても全然走行距離が足りないじゃないですか、こうなったら片道25kmのところまで行ってから戻ってくれば50kmになるだろうと思い、新青梅街道をずっとずっと走っていきました。

府中街道のところでも、まだ25kmにはならないんですが、その先だと、うまく曲がる道がないような気がするので、ちょっと足りないけどそこから府中街道を南に進むことにしました。

その先、ブリジストンがあります。1度行ってみたいのですが、以前駐車場が見つからず断念したことがあり、そのままになっています。

そうして、府中街道をずっと南に進んで、東八道路を東に向かって走ることにしました。

・・・

そうそう、マクドナルドのドライブスルーの話だった。

マクドナルドは、色々な幹線道路沿いにあります。だいたいどこでも入りやすいです。

一度ドライブスルーで買ってみたいと思っていたのです。

しかし、買ったハンバーガーセットをどこで食べるかって?
例えば、小金井公園でたべるとすると、駐車料金が要るじゃないですか。考えたら、車を無料で駐車するところがないんですよね。

マックだったら、駐車場に置いて店に入って注文して、駐車場の車の中で食べるというのもあるかもしれませんが・・・、それだったら店の中で食べるのが普通ですよね。

新型コロナ感染予防のためには、車から降りないほうがいいです。それに、ドライブスルーというのものを体験してみたいわけですよ。

ということで、できるだけ家に近いマックで買ってから、家に持ち帰って食べようと考えました。じゃないと冷めちゃう。

そうして、家まで25分くらいのところにあるマックのドライブスルーに入っていきました。

いったいどうやって注文するんだろうね。

前に1台車が止まっていて注文をしていました。

その車が注文を終えて前に進んだので、私もその場所まで進みました。
メニューが表示されていて、音声のやり取りができる装置みたいなのがありました。

こっちが何か言う前に、店の人の声がしてきました。
メニューを見て注文を考えながらしばらくお待ちください、というようなことを言ってましたので、その通りにしました。

しばらくすると、またお店の人の声がしてきて注文を聞いてくれました。

フィレオフィッシュとポテトとカフェラテを注文しました。

すると前に進むように案内されたので、お店をぐるっと回るように進んでいきました。

前にさっきの車が止まっていたので、その後ろについて待ちました。

そして私の順番がきたので、車をお店の人のところまで進ませました。

紙袋2つに入った品物を受け取りました。
それを助手席の上におきましたが、飲み物が倒れたら困りますね。
私は、車の中に食べものを持ち込んだりしないので、どこに置いたらよいものか、今後は倒れないような方法を考えとかないといけません。

飲み物は、その後、袋から出してドリンクホルダーに置きました。

代金を払うと、ポイントカードがあるかと聞かれました。Rポイントカードを持っているのですが、財布の中から探すのに時間がかかりそうなので、出すのをやめました。それはうっかりしてました。

そうして、走り出そうとすると、車が動かない・・・

そうだ、サイドブレーキをかけていたのです。

いや、普通やっぱりサイドブレーキをかけるでしょう。ブレーキを踏む足が緩んだりして急に動きだしたりしたら危ないですから。

でも、サイドブレーキを解除するのを忘れて走り出そうとするってのが、ボケてます。というか、やはりドライブスルーという初体験で緊張してたのかもしれません。

そこから、車列が途切れるのを待って道路に出て無事帰宅。

カフェラテは大部分運転中に飲んでしまいました。
フィレオフィッシュとフライドポテトは、帰宅後もなんとかまだ温かい状態で食べることができました。

10時頃家を出て、美術館に行き、ニトリに行き、ドライブスルーでランチを買って帰宅して、食べる頃には4時頃になってました。

結局50kmに達せず、49kmしか走れなかった。

 

 

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ゴッホの椅子に遭遇(式場隆三郎[脳室反射鏡])

2020-10-12 00:19:34 | 美術・美術館

練馬区立美術館の「式場隆三郎 脳室反射鏡」にたまたま行ってみたら、そこで「ゴッホの椅子」に出会ってしまった。

私は、このあまりの偶然に鳥肌が立ってしまったのだった。

というのは、私はつい一昨日「椅子クラフツ文化の社会経済学」という放送大学の科目を勉強し始めたばかりなのだが、そこに「ゴッホの椅子」が出てきたのだった。

その時、「ゴッホの椅子」とは、ゴッホの描いた絵の中にある椅子であることを知った。

ゴーギャンと共同生活をしていた家で使っていたスペイン椅子である。
しかし「ゴッホの椅子」とは、そこに現存した特別な椅子を示すわけではなく、いわゆるその当時のそういうタイプのありふれた椅子を「ゴッホの椅子」と言うのである。

当時の椅子として典型的だったものなのかもしれない。

その椅子というのは、職人が道具を使って手で作った椅子であり、それほど高価ではなく、一般人が使っていたものである。手作業ではあるものの、同じものを多数生産していたようだ。

ゴッホの絵があまりにも有名だから、「ゴッホの椅子」と言われるのであろう。
生木で作られており、背もたれがあり、足が4本あり、座面は藁でできている。

・・・

この式場隆三郎は、ゴッホを日本に広めた人物であり、相当ゴッホが好きだったようだが、中でもこの「ゴッホの椅子」がとても気に入っていたようである。

「ゴッホの椅子」やゴッホの他の絵をモチーフにした柄の浴衣や服が展示されていた。
「ゴッホの椅子」をモチーフにしたデザインは、椅子の柄が重なっていて一見椅子には見えないほど見事だった。これを作ったのは式場氏である。

私は、浴衣もぜひとも欲しいものだと思ったけど、さらには女性のワンピースまで展示されていて、これがまたさらに素敵なのである。

ゴッホの椅子模様の浴衣や服を再現して売るのは無理にしても、手ぬぐいやタオルハンカチやスカーフとか、作れないものかな~~~

・・・

横道にそれたが、美術館の展示の一番最後のところに置かれていた一脚の「ゴッホの椅子」を見たときには、これがあの絵の中の椅子の現物か・・と思ったのだが・・、待てよ、そんなわけないだろうと思って再確認。

式場隆三郎はゴッホの椅子が好きだったが、その実物をコレクションにしていたわけではないのだ。

説明を読むと、昭和39年に浜田庄司が、スペインやメキシコで集めた家具5000点を日本橋三越で展示即売したそうである。

その中にスペインのアンダルシア村のグァディスの椅子というのがあり、それは、無垢材と藁で作られた素朴な、背もたれのある椅子あるが、それが「ゴッホの椅子」と同様のものであった。

では、そこに展示されている椅子がその中にあったもの?
いや、それも違うようだ。

展示即売されたスペインの椅子を元に、木工家の黒田辰秋などが模作し、日本製の「ゴッホの椅子」が作られたとのこと。それを式場隆三郎が大切に使っていたということだ。

そして、式場隆三郎自身が描いた「ゴッホの椅子」の絵も展示されていた。
だが、この絵の中のゴッホの椅子は、すぐそばに展示されているゴッホの椅子とは背もたれの数などが違うので、その絵のモデルになった椅子というわけではなく、似た椅子のようだった。

だが、式場隆三郎が大切にしていたゴッホの椅子には違いないのだろう。

・・・

あ、そうそう、そこで放送大学の授業と「ゴッホの椅子」と、この展示と関連性のあったのが「柳宗悦」である。私は昔からこの人は「リュウソウエツ」と読むのだと思っていたが、放送大学で初めて「やなぎむねよし」と読むことを知った。

展示では、柳宗悦は、式場隆三郎と行動を共にし、影響しあい、深い交流を持った人であることがわかった。柳の木喰の仏像研究に、式場が協力したことなども展示されていた。

放送大学の放送で知ったのは次のようなことだ。
「ゴッホの椅子」のようなものは、手作り部分が多く機械生産と違って生産性が低いが、製作技術を持った職人が労働として多量に生産している。芸術品のように芸術家が個性を出して一つだけ作ったり、装飾や美を追求したりする高価なものでもないのだが、飾り物ではない実用目的の工芸品には「用の美」というものが存在するとのこと。(習ったことをうまく表現できないが・・・。)この「用の美」について分析しているのが柳宗悦である。

「用」とは生活性のことで、生活で用いられる日用品の中に「美」がある。これらの実用的な工芸品は「生活を豊かにするもの、温めるもの、潤すもの、健やかにするもの」であると柳宗悦は言っているようだ。

これはおそらく実際に使う食器などもそうであろう。授業では絣の織物なども例に挙げられていた。

用途も材料も工程も決まっているものだから、そういうことには拘束されている。しかし、同じものを同じように作っても、自然素材を使い、手作りであるがゆえに、完璧でない部分が生まれ、そこがむしろそのものの味わいになり価値となっているのかもしれない。

だから、ゴッホが描いたスペインの椅子も、絵の中で何かとても味わい深いものになっているような気がするので、あの絵もまた魅力があり、式場隆太郎氏も椅子のとりこになってしまったのかもしれない、などと思った。

・・・

私の父は木工職人であった。大正生まれの父は叔父の元に弟子入りして木工の技術を身に着けたのである。だから私にとって木や家具というのはなじみの深いものである。私の勉強机や洋服ダンスは父が作ったものであった。

私が子供のころ、父はよく「室内」という雑誌を読んでいた。父は、美術の勉強をしたことはないが、自己流の点描で、ベニヤ板に油絵もどきの水彩画を描いていた。

そんなこともあり、私は木や家具が好きである。

今日も、どこに行こうかと考え、八王子の村内家具に行こうかと思ったくらいだ。あそこの美術館には素敵な椅子が展示されているのだ。

でも、八王子は遠いので、ふと練馬美術館に行こうと思いついた。まるで知らない内容の企画展だけど、何でもいいやと思ってでかけた。よく行く世田谷美術館はコロナの影響か、企画展は来年までない。

そうして、練馬に行ってみたら、「柳宗悦」や「ゴッホの椅子」が出てきて、本当に驚いてしまった。

この偶然のタイミングは、いったいなんなんだ!?

・・・

この企画展の名前「脳室反射鏡」って意味不明だが・・・

式場隆三郎は精神科の医師だから、脳のことが専門である。反射鏡とは、何かに反応して何かが出てくること? いったい何がどうしてそれが関連して出てくるのか、不明であるが、脳とはそういうものなのか?

だから、私も私の中で、いろんな思いが反射して関連付けられたのでしょう。

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