
この2本を昨日見た。定年後の憂鬱と向き合うこと。母の死と向き合うこと。今自分が直面している問題をシミュレーションした2作品ということになる。いささか甘いコメディといくぶん甘いシリアスドラマという相違はあるけど、どちらもしっかり現実と向き合っている。僕にはいい刺激になった。
まず、『体操しようよ』から。定年退職した男が時間を持て余す。毎日することがなく退屈していて、暗い気分になっている。今の自分と同じ境遇なので感情移入させられた。身につまされる。今まで忙しく働いてきた身にとって、仕事がないのはきつい。それがこんなにもきついとは思わなかった。自由に何をしてもいい、と言われてもこのコロナ禍である。ステイホームを強いられて旅行にも行けないし、映画を見に行ったり、遊んで暮らすわけにもいかない。ただ、家にこもり、毎日本を読んでネットフリックスやhuluやアマゾンプライムで浴びるように映画を見ているのだけれど、さすがに飽きてきた。せっかくいつでも自由な時間に映画館に行けるという特権を手にしたはずなのに、緊急事態宣言で映画館に行けないのが一番つらい。映画を自宅のTVで見るのには限界がある。4月に入ってすでに40本自宅で映画を見た。月の前半2週間は忙しかったけど、この2週間ほとんど家を出る用事がなかったから、1日3本のペースだ。本は1日、1,5冊のペースで読んでいる。
この映画の主人公はラジオ体操にはまる。さらには便利屋でバイトをすることになる。僕もそろそろバイトでもしようかとも思っているけど、僕にできる仕事なんかあるのか、と不安だ。いや、それより、まずはせっかくの機会だから思いっきり遊んで暮らしたのだけれど。
さて、この映画である。(いつまでたっても映画の話にならない!)
たわいない映画である。見ながらもう少しシリアスで説得力にあるお話にしてくれたなら、これからの人生の参考になるのだが、なんて思いつつ、まぁ、こんなゆる~い映画をなんとなく見てるのも今はいいことか、なんて思いつつ。思い切り好きして、時間を無駄にしてもいい、ってなんだか複雑だ。恋あり、友情あり、娘との絆もあるし、地域のつながりとかもありで、もうてんこ盛りである。映画自体はたいしたものではないのだけど、今はこんなのもありかも、と思い見た。
続けて見たのは、大森立嗣監督の『母を失くしたとき、僕は遺骨を食べようと思った。』母親が倒れて90日が経ち、入院の日々が続く。この7年間ずっと介護してきた。4月からは退職して今までよりももっといろんなことをしてあげれる、と思っていた。なのに、病院で寝たきりである。もちろん、自分のお話でこの映画の話ではない。
これも身につまされる映画だ。ここまで母親に尽くす息子ってどうよ、と思いつつも、彼の気持ちがわからないではない。こちらはシリアスなのだけど、安田顕が笑わせてくれる。彼が母のために必死になっている姿が笑えるし、それが泣ける。マザコンだ、とは思わない。自分を大切に育ててくれた母親を大事にしたいし、死なせたくないという気持ちが痛いほど伝わってくる。
あまり、書く気がしないから、ここでやめる。