
いつまで経っても『うさぎパン』の瀧羽麻子、と呼んでしまうのは、それくらいにあの作品のインパクトが強いからだ。確かに彼女はいろんなタイプの小説を書いている。でも、その核心部分はいつも同じだ。今回だってそう。ただ、だんだんそれはシンプルになって来た気がする。いちばん最初の『うさぎパン』に戻っていくようなのだ。
今回の姉妹のお話なんてまさにそうだ。だれかを好きになると人は寂しい。相手のことを思いすぎて、自分を見失う。もちろん、そんなことに気付かないまま過ごしている。いや、気付いても、それを認めたくはない。よく出来た姉と、少し劣る妹。でも、そんなレッテル、誰が貼ったのだろう。何も知らない周囲の人たちの勝手な思い込み。でも、それに傷つく自分がいる。でも、本当はそうじゃない。みんな同じように無理して頑張っている。そんなに頑張らなくてもいいのに、となまけものの僕は思う。
姉が実家に帰ってくる。東京で何かあったのだ。だが、彼女は何も言わない。だから、聞かない。もうすぐ結婚する妹は無邪気に「お姉ちゃんが実家にしばらくいるのなら、その間自分が東京に行って暮らしてもいいか、」という。ふたりは、住む場所を交換する。
お話を語るのではない。彼女たちのそれぞれの気分を語るのだ。姉に何があったのかは、いつまで経っても描かれない。どちらかというと、描く必要もないほどだ。(まぁ、さすがに描くけど)妹の今の想いも、ことばとしては描かない。これは描く必要はない。(描かなくてもわかる)
事件が解決して終わり、というようなお話ではないけど、このささやかな「人生の夏休み」を通して、彼女たちは一歩踏み出す。ちょうどこの小説は、僕の娘たちのようなふたりのお話で、彼女たちの今をこの小説に重ね合わせて読んでいた。それだけに、ここに描かれるひとつひとつが必要以上に胸に沁みる。(余談だが、東京で暮らすうちの娘はもうすぐ出産する。)