市川準が、学校でのいじめの問題に取り組んだ作品。「メールといじめ」というテーマはあまりに現代的で、ストレート過ぎて退いてしまう。教育映画ではないんだから、とは思うが、映画はいつもの市川準で、こういう社会問題を扱っても、全く変わる事はない。緊張感のある素晴らしい映画だ。メッセージ性云々よりも、与えられた題材をいつもの自分の世界で描いただけという印象が残る。だから素晴らしい。
小学校6年のシーンから始まる。中2、そして、高1、と3つの時間が描かれる。2人の女の子たちの物語。
本当の自分を隠して演技していく。みんなにばれないように、みんなに受け入れられるように、自分を作っていく。そんなふうにしなくては生きていけない。学校という舞台で生き残るためには、自分を偽ってでも、この場所に溶け込むしかない。しかし、そんな自分に疲れる。当たり前のことだ。だが、いつ虐められる側に回ることになるか分からない。ほんの少しのことがきっかけになり、立場が変わっていく。自分だけは標的になんてならない、という保証は何処にもない。怖いから、いつも周囲の目を気にして怯えながら生きていくしかない。
それは家に帰っても同じである。演技しなくてはならないのは学校だけではない。父と母はいつもいがみ合っている。喧嘩が絶える事はない。2人の機嫌を損ねないように、家でも自分を偽っていい子を演じる。これでは気が休まるはずがない。気付けば、無意識の内に心が病んでいる。
2人の主人公たちは、小学校の卒業式の日に始めて心を交わす。みんなから逃れた図書館で偶然に会う。クラスの中心人物だった聡明な少女。彼女はある日、虐められる側に追い込まれる。そんな彼女を遠くから見ていたもう一人の少女。2人はそれまで交錯することなく教室にいた。そして、その日以来また話すこともなかった。
転校して行った彼女に匿名のメールを送る。新しい学校でやり直すための方法をメールで教える。メールを通して新しい自分を作ろうとする。今度はみんなに受け入れられる理想の自分となる。そのための戦いが始まる。確かにここではうまくいき、みんなと仲良く暮らしていける。しかし、そんなふうにして、生き易い人生を作ったところで、それは本当の自分ではない。そんな自分に疲れてしまうことになる。
成海璃子がとてもいい。彼女がずっと自分を隠して生きていく姿を映画は淡々と描いていく。彼女が前田敦子の転校した少女にメールでアドバイスを送りながらも、それが彼女への応援ではなく、自分を生かすためでしかないというのが、痛々しい。彼女の行為は偽善ではない。彼女にとって切実な問題なのだ。『ことりとヒナの物語』を通して彼女自体が生きる術を摑んでいく。この映画の視点は、虐めている側でも虐められている側でもない地点にある。市川準が描こうとしたのは、ありのまま生きていくことの困難さ、というとてもシンプルな問題である。虐めの構造とか、それにどう立ち向かうのか、といった問題はこの際後景に沈むことになる。
教室は戦場で、生き残るためには、絶えず周囲に目を配り、演じ続けなくてはならない。疲れるけど、それが生きることなら受け入れざる得ない。でも、そんなふうにして生きていったいどうなるのだろうか。映画はすべてを認めたうえで、そんな自分を受け止めて行こうとする。つらいけどそうするしか方法はない。2人の少女は、それぞれが自分と戦い自分なりの答えを見つける。別々の場所にいて匿名のメールのやり取りだけの関係なのに、それが拠りどころになり、なんとか生きていこうとすることが出来る。とても感動的な映画である。
小学校6年のシーンから始まる。中2、そして、高1、と3つの時間が描かれる。2人の女の子たちの物語。
本当の自分を隠して演技していく。みんなにばれないように、みんなに受け入れられるように、自分を作っていく。そんなふうにしなくては生きていけない。学校という舞台で生き残るためには、自分を偽ってでも、この場所に溶け込むしかない。しかし、そんな自分に疲れる。当たり前のことだ。だが、いつ虐められる側に回ることになるか分からない。ほんの少しのことがきっかけになり、立場が変わっていく。自分だけは標的になんてならない、という保証は何処にもない。怖いから、いつも周囲の目を気にして怯えながら生きていくしかない。
それは家に帰っても同じである。演技しなくてはならないのは学校だけではない。父と母はいつもいがみ合っている。喧嘩が絶える事はない。2人の機嫌を損ねないように、家でも自分を偽っていい子を演じる。これでは気が休まるはずがない。気付けば、無意識の内に心が病んでいる。
2人の主人公たちは、小学校の卒業式の日に始めて心を交わす。みんなから逃れた図書館で偶然に会う。クラスの中心人物だった聡明な少女。彼女はある日、虐められる側に追い込まれる。そんな彼女を遠くから見ていたもう一人の少女。2人はそれまで交錯することなく教室にいた。そして、その日以来また話すこともなかった。
転校して行った彼女に匿名のメールを送る。新しい学校でやり直すための方法をメールで教える。メールを通して新しい自分を作ろうとする。今度はみんなに受け入れられる理想の自分となる。そのための戦いが始まる。確かにここではうまくいき、みんなと仲良く暮らしていける。しかし、そんなふうにして、生き易い人生を作ったところで、それは本当の自分ではない。そんな自分に疲れてしまうことになる。
成海璃子がとてもいい。彼女がずっと自分を隠して生きていく姿を映画は淡々と描いていく。彼女が前田敦子の転校した少女にメールでアドバイスを送りながらも、それが彼女への応援ではなく、自分を生かすためでしかないというのが、痛々しい。彼女の行為は偽善ではない。彼女にとって切実な問題なのだ。『ことりとヒナの物語』を通して彼女自体が生きる術を摑んでいく。この映画の視点は、虐めている側でも虐められている側でもない地点にある。市川準が描こうとしたのは、ありのまま生きていくことの困難さ、というとてもシンプルな問題である。虐めの構造とか、それにどう立ち向かうのか、といった問題はこの際後景に沈むことになる。
教室は戦場で、生き残るためには、絶えず周囲に目を配り、演じ続けなくてはならない。疲れるけど、それが生きることなら受け入れざる得ない。でも、そんなふうにして生きていったいどうなるのだろうか。映画はすべてを認めたうえで、そんな自分を受け止めて行こうとする。つらいけどそうするしか方法はない。2人の少女は、それぞれが自分と戦い自分なりの答えを見つける。別々の場所にいて匿名のメールのやり取りだけの関係なのに、それが拠りどころになり、なんとか生きていこうとすることが出来る。とても感動的な映画である。