習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

江國香織『がらくた』

2007-06-09 07:16:51 | その他
 この小説には乗り切れなかった。主人公たちに全く共感できないからである。今まで江國香織の小説を全部読んできて、こんな感想を抱いたことって初めてではないか。少し動揺している。どんな作品でも、出来不出来はあっても、いつも共感できていたからだ。出てくる主人公は、たとえどんなに嫌な女だと思っても、なぜか受け入れてしまうことが出来ていた。

 ある意味では、今回の2人も今までの作品の流れを踏んだ人物造形がなされているのかも知れない。なのに、2人の悲しみに共鳴できないのだ。しかも、これを帯にあるように「完璧な恋愛小説」と、もし、作者が思っているのなら、僕は完全に彼女の考え方から取り残されてしまったことになる。今までなら、いくら不幸な女を描いても、その中で分かり合えるものを見出してしまっていたのにどうしたことか。

さて、主人公は45歳の女性、柊子である。夫は彼女を心から愛してくれている。そして何より彼女が彼の事を誰よりも深く愛している。だから、彼女は寂しい。いつも満たされない思いを抱きながら、これが幸せなのだと思い生きている。夫は彼女以外に何人もの恋人を持っている。ドンファンを気取っているのではなく、心のままに女たちと繋がってしまう。しかし、帰ってくるのはいつも妻である彼女のところである。彼は他の女を愛しているわけではない。どんなに遠くにいても、彼女を一番愛してる。彼女もそんな夫の気持ちがわかっているから彼を責めたりしない。夫は彼女にも、好きなように生きていいからね、と言う。しかし、彼女は夫以外の男には全く興味ないから、浮気なんてする気は毛頭ない。こんな2人の関係は健全な「完璧な恋愛」というべきものなのか。

 40代になっても人前でべたべた出来てしまって、それが厭らしくない、なんていうのも凄いことだが、それがこんなふうな関係をベースにしているなら、それって偽りの愛ではないか、と潔癖症の子供みたく言うつもりはない。しかし、こんな状況でしか愛し合っているといえない彼女は、不幸な女と言うしかあるまい。老いた母の面倒を見ながらも、それは夫に構ってもらえない寂しさを癒すための方便に過ぎない、ようにも思える。結局はみんな一人だし、人は寂しいものだなんてわかったようなことを言うつもりもないただ、なんだか割り切れないものがある。

 もうひとりの主人公は15歳の少女美海。他人を完全にシャットアウトして、自分ひとりの世界に生きているハードボイルドな女の子。背伸びしているのでも、人生を諦めているのでもない。ただ、ありのままにこの世界を受け止めて生きているのだ。この子が15歳だなんて、信じられない。だから、ラストこの子が柊子の夫と寝てしまっても「それって犯罪やんけ」なんて思わずに自然に受け入れてしまう。年上の素敵な男性への憧れとか、そんなものではない。ただ、寝ただけのことなのだ。柊子に対する対抗心とか、そんなものはない。美海が自分の父親と柊子をくっつけようとしたのも、父親が彼女を気に入ったみたいだから、というただそれだけ。彼女に対する感慨なんてない。もちろん2人がその後どうなったか、なんて興味ない。

 そんな彼女が柊子の母親に接して、そのあげく彼女の夫にも近付いていくのは、大人の世界への好奇心ではない。この人たちが自分に対して必要以上に興味を持たないそっけなさが、心地いいからだ。こんなにもクールな少女を描いたことは興味深い。

 この2人による話が交互に語られていく4章仕立ての長編。最初にも書いたが、この2人のありかたには納得はいかない。しかし、この冷めた人間関係はとても気になる。人と接していく上での新しいスタンスがここに提示されている気もする。それが良いか悪いかはよくわからないが。

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