三崎亜記の小説と白石ちえこの写真とのコラボ。小説の中に散りばれられた近未来のイメージが具体的な現実の風景写真と連動することで、このとてもリアルな幻想の世界がさらに広がる。9つの短編はそれぞれ終末の風景を描いた近未来の物語だ。そこにはもうここにはない(今の現実の世界である)消えていく世界が描かれる。未来の風景のはずなのに、それが懐かしい。それは、僕たちがかつて見た幻の風景なのだ。このなんとも言い難いパラドックス。
9つの描く断片はそれぞれが独立したものであるにも関わらず、すべてがひとつの世界としてつながっている気がする。不思議なリアルがそこにはある。そしてそれぞれがみんな哀しい。この世界はもうすぐ終わる。そんな予感を抱かせる。
今では無くなった遊園地の夢を見る。そんな遊園地の存在すら知らなかったにも関わらず、である。海に沈んだ自分がかつて暮らした町を、そんな町の存在すら知らなかった妻と、見に行く。海の上から底に今もあるはずの町を幻視する。団地が船となる未来都市で生きた人々が、今ではほぼ廃墟と化した幽霊船である団地船でさすらう。夜中である4時8分のまま時間が止まった町を、案内人の少女と横切る。自分の影が自分と離れて他の人と生活する。人と人とが別々の場所で生きていながらペアとして共同で生きている。あまり使われない橋を、使用頻度が少ないという理由だけでわざわざ小さな橋に架け替える。鳥が巣を作ると、世界の秩序が乱れるから、巣箱を取り除かなくてはならない。絶滅寸前のニュータウンを保護するために莫大な税金を使う。
とてもシンプルで、ありえない。でも、なんだかとてもリアル。現実ではないけど、こんな現実ならそこここにある。そんな気分にさせられる。これはいつもの三崎亜記さんのお決まりのパターンである。だが、長編とは違ったこの軽さがとてもいい。軽くて、重い。その矛盾する気分がこの作品の魅力だ。
9つの描く断片はそれぞれが独立したものであるにも関わらず、すべてがひとつの世界としてつながっている気がする。不思議なリアルがそこにはある。そしてそれぞれがみんな哀しい。この世界はもうすぐ終わる。そんな予感を抱かせる。
今では無くなった遊園地の夢を見る。そんな遊園地の存在すら知らなかったにも関わらず、である。海に沈んだ自分がかつて暮らした町を、そんな町の存在すら知らなかった妻と、見に行く。海の上から底に今もあるはずの町を幻視する。団地が船となる未来都市で生きた人々が、今ではほぼ廃墟と化した幽霊船である団地船でさすらう。夜中である4時8分のまま時間が止まった町を、案内人の少女と横切る。自分の影が自分と離れて他の人と生活する。人と人とが別々の場所で生きていながらペアとして共同で生きている。あまり使われない橋を、使用頻度が少ないという理由だけでわざわざ小さな橋に架け替える。鳥が巣を作ると、世界の秩序が乱れるから、巣箱を取り除かなくてはならない。絶滅寸前のニュータウンを保護するために莫大な税金を使う。
とてもシンプルで、ありえない。でも、なんだかとてもリアル。現実ではないけど、こんな現実ならそこここにある。そんな気分にさせられる。これはいつもの三崎亜記さんのお決まりのパターンである。だが、長編とは違ったこの軽さがとてもいい。軽くて、重い。その矛盾する気分がこの作品の魅力だ。