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映画・演劇のレビュー

姜尚中『心』

2013-09-05 20:07:15 | その他
これは凄過ぎて震える。ここまでの「とんでも」小説はなかなかない経験だった。森身氏をはじめて読んだ時の衝撃を凌ぐ。ということは万城目の鹿男なんて目じゃない。というか、これを小説に分類してよいものやら、よくわからない。自伝的小説なのか? 『母 オモニ』という自伝的小説を書いているから、今回のこれもそのラインから書かれたものなのか?

ふざけて書いたものではない。だが、本気であればあるほど、この真面目さが、僕には不思議なのだ。こういう形でしか書けないことがある、と言われたなら、納得しないわけではない。だが、少し照れる。ド・ストライクにテーマと向き合い、『生きろ』と絶叫する。ごめんなさい、と思わず謝らざる得ない。別に何も悪いことしてないけど、相手があまりに熱くなっていると、自分のテンションの低さが恥ずかしいからだ。冗談ではないことは、重々わかりながらも、でも、いくらなんでもこのスタイルはないよな、と僕は思う。やはりこれは気恥ずかしい。

漱石の『こころ』にインスパイアされたものだが、それにしても、これはあまりといえばあまりにあからさま過ぎないか。最初はジョークか、と思った。でも、そうではないことは明らかだ。

親友が死んだ。その親友を自分は裏切っていたのではないか、と思う。彼が好きだった女の子を、自分も好きだった。彼からの手紙を彼女に渡せなかった。自分は彼に彼女を盗られるのではないかと不安だった。もちろん彼はKではない。(でも与次郎はないよな。ちゃんと『三四郎』に触れてあるけど)自殺でもない。病気、という設定だ。

先生(姜尚中、として登場!)は、そんな内容の彼からの手紙を受けとる。(彼とはもちろん死んだ友人の方ではない)そこから始まる先生と彼との往復書簡だ。「なんだ、これは!」と最初は思った。だが、作品はただの3角関係の恋愛ものではなく、意外な展開を遂げる。3・11、東日本大震災が起きるのだ。そこで、たくさんの死者が出る。彼は被災地に向かう。ライフセーバーとして水死体の捜索、引き揚げ、をする。ボランティア活動の一環としてそういう活動もあることはわかる。だが、これはきつい仕事だ。死者と向き合う、と口で言うのは簡単だが、実際その現場で起きる様々な出来事が彼の手紙の中から語られていく。与次郎の死の呪縛から解放されるための行為だった。だが、そこで受けた心の痛みは大きい。

こんなふうに話はいきなり重くなる。(というか、もともとかなり重かったのに、それに輪をかけるのだ)『こころ』の3人を姜尚中が先生としてさらにその外から見守る。その先には何があるのか。『こころ』の先生は(私でもあるが)最終的に自殺を選ぶ。だが、この小説の彼は死なない。当然の結末だろう。だが、終盤唐突に登場する、死んでしまった姜尚中本人の息子の話に、戸惑うしかない。こんな個人的な問題がこの作品の根底にある。あまりといえばあんまりな展開だ。しかも、実名で自分を登場させてある以上、これは完全なフィクションではないはず。

作者の「生きろ」というメッセージは、わからないでもない。だが、描き方があまりにストレート、かつ、あからさま過ぎて、きつい。しかも終盤彼女がドイツに帰るエピソードが出てきた瞬間、今度は『舞姫』か、と勘繰ってしまう。別にそうでもいいけど、これを「鴎外と漱石に捧ぐ」なんて献辞でも入れられた日には、それはいくらなんでもないでしょ、と言いたくなる。(まぁ、そんな献辞はさすがにないけど。)古典を下敷きにするにしても、ここまでそのまま使うことはない。

これを平成の『こころ』だ、とはきっと口が裂けても誰も言わないだろう。そこは敢えて流すとことだ。それが大人の流儀だろう。だが、僕は子供だからついついそこに目を瞑れなかった。どうしてこんなにもあからさまなのか、不思議でならない。えぐい。


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