こんな映画を夏休みに見た。とても人気の高いコミックの映画化らしい。でも、僕はまるで読んでないし、もしあるのならだが、TVアニメも見ていない。じゃぁ、なんで見たのか、と言われると、TOHOの1カ月フリーパスがあったからだ、としか言いようがない。この夏そのせいで普通なら見ないタイプの映画をたくさん楽しませてもらった。これはそんな映画の中の1本なのだ。
見たとき、かなり笑えたし、おもしろかった。こういうのが、今の世の中のトレンドなんだぁ、と感心した。サブカルがこういう形でメジャーになるのか、と思った。冗談をどこまでも追及する姿勢がよかった。ふざけているのではなく、ちゃんと現状を見つめている。だから、こうなる。そう思えた。でも、見終えて、そのことを書きたいとは思わなかったし、時間もなかったから、そのままにして1カ月以上が過ぎた。今、姜尚中の『心』という小説(のようなもの)を読んで、この映画のことをたまたま思い出した。まるで違うではないか、と言われそうだが、僕の中でこの2作品はなんだかゆくわからないけど、どこかでつながる。冗談の先の本気と、本気の先の冗談。いや、姜尚中が冗談なんか書いていないから、その言い方はよくない。だが、本気と冗談は紙一重である。とても怖いことだ。
この映画の冒頭で「映画泥棒」が登場する。あり得ない話だ。映画泥棒とはあの悪名高き、映画館に必ず出没し、映画が始まる前に毎度毎度「盗撮は犯罪です!」と警告を発していく、あれである。もういいかげんやめろ、と思うけど、映画を観る前には必ずあのコマーシャルが入る。だから、この映画の始まる前にも、当然出てくる。だが、この映画はそのあと、本編が始まった時にもまた、アニメとして、あのキャラクターが登場するのだ。そしてお決まりのパフォーマンスを披露してくれる。あきれた。しかも、それをいらいらするほど何度も繰り返す。なんじゃ、これは! と思う。それはもちろんこの映画の狙いだ。いつまでたっても始まらない映画に主人公の銀魂くん(というか、もちろんそんな名前ではない)が怒り出す。そこから映画が動き出す。こんな冗談みたいな映画は普通ない。これ、いいんかぁ、と思う。まぁ、おもしろければなんでもありです。
お話の本題に入っても重要人物として映画泥棒くんは活躍するのだが、この映画の基本姿勢がそこから十分伝わってくるのがいい。詳しいことは書かない。というか、書く能力はない。マニアに任せる。でも、まるでこの漫画のことも、主人公たちの設定や、これまでのお話も何も知らない僕が、こんなにも楽しめる。これはこれで凄いことだと思った。
見たとき、かなり笑えたし、おもしろかった。こういうのが、今の世の中のトレンドなんだぁ、と感心した。サブカルがこういう形でメジャーになるのか、と思った。冗談をどこまでも追及する姿勢がよかった。ふざけているのではなく、ちゃんと現状を見つめている。だから、こうなる。そう思えた。でも、見終えて、そのことを書きたいとは思わなかったし、時間もなかったから、そのままにして1カ月以上が過ぎた。今、姜尚中の『心』という小説(のようなもの)を読んで、この映画のことをたまたま思い出した。まるで違うではないか、と言われそうだが、僕の中でこの2作品はなんだかゆくわからないけど、どこかでつながる。冗談の先の本気と、本気の先の冗談。いや、姜尚中が冗談なんか書いていないから、その言い方はよくない。だが、本気と冗談は紙一重である。とても怖いことだ。
この映画の冒頭で「映画泥棒」が登場する。あり得ない話だ。映画泥棒とはあの悪名高き、映画館に必ず出没し、映画が始まる前に毎度毎度「盗撮は犯罪です!」と警告を発していく、あれである。もういいかげんやめろ、と思うけど、映画を観る前には必ずあのコマーシャルが入る。だから、この映画の始まる前にも、当然出てくる。だが、この映画はそのあと、本編が始まった時にもまた、アニメとして、あのキャラクターが登場するのだ。そしてお決まりのパフォーマンスを披露してくれる。あきれた。しかも、それをいらいらするほど何度も繰り返す。なんじゃ、これは! と思う。それはもちろんこの映画の狙いだ。いつまでたっても始まらない映画に主人公の銀魂くん(というか、もちろんそんな名前ではない)が怒り出す。そこから映画が動き出す。こんな冗談みたいな映画は普通ない。これ、いいんかぁ、と思う。まぁ、おもしろければなんでもありです。
お話の本題に入っても重要人物として映画泥棒くんは活躍するのだが、この映画の基本姿勢がそこから十分伝わってくるのがいい。詳しいことは書かない。というか、書く能力はない。マニアに任せる。でも、まるでこの漫画のことも、主人公たちの設定や、これまでのお話も何も知らない僕が、こんなにも楽しめる。これはこれで凄いことだと思った。