習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『あなたへ』

2012-08-21 21:31:18 | 映画
 高倉健6年振りの新作である。老齢になり体調がすぐれないから映画に出なかったわけではないらしい。もちろん仕事がなくて開店休業というわけでもない。ただ、本人が映画に出る気分にはなれなかった、というのが理由らしい。チャン・イーモウとの仕事を経て、いろんなことが、よくわからなくなった、なんてインタビューで話していた。

 本人じゃないから、そんなこんなはわからないし、そんなことはどうでもいい。だが、高倉健が銀幕に復帰してくれたことはただそれだけでうれしい。この先、もう何本彼の映画が見れるか、、わからない。これが遺作になる可能性もある。建さんが出る映画は、映画である以前にまず「建さんそのもの」になる。今の日本映画界でそんな存在の役者はいない。

 ロードムービーである。富山から長崎までの旅。行く先々で出会う人たちとのふれあい。亡き妻との思い出。15年という短い時間だったが、人生の最後で彼女と出逢い、一緒に過ごすことが出来た日々。再びたったひとりになって、この先何をして生きていけばいいのかわからない。妻は53歳だった。本当ならこれから共に人生を過ごすはずだった。刑務官として、ずっと生きてきた。結婚もせずに、ただ黙々と(建さんだもの)仕事をこなす。慰問に来ていた童謡歌手が、彼女(田中裕子)だった。きっとその頃彼は(建さんではなく主人公である)もう50歳は過ぎていたのではないか。今更恋なんか、という年齢で、彼女と出逢い、結婚する。そのへんのいきさつは描かれない。だが。朴訥とした建さんが、自分より10歳以上若い彼女にどう告白して、結ばれたのか、想像するだけで、微笑ましい。慰問に来なくなった彼女と偶然、再会し、(と、いっても刑務所の物販コーナーで、だが)バス停まで見送るエピソードだけで、その後は、夫婦として、過ごす時間しか、描かれない。

 「さよなら」と書かれた手紙を、海に帰すシーンが印象的だ。散骨のシーンよりも、身に沁みた。何かが吹っ切れる瞬間が、理屈じゃなく、とてもリアルに描かれる。写真館に飾られた幼い日の妻に写真をみつけ、彼女がここで生きた時間を想う。自分の知らない歴史がそこにはある。ずっと一緒だったから、なんでも知っているわけではない。きっと、自分だって、無口だし(建さんだもの)妻に自分のことをすべて話してきたわけではないはずだ。だから、愛していないとか、愛が足りないとか、そんなことはない。

 人はそれぞれ、自分の胸に、人には言えない様々な想いを抱え込んでいる。隠しているのではない。ただ言いたくはないことや、言う必要のないことだからだ。言っても詮無いこともある。それぞれの事情は夫婦であっても侵犯出来ない。

 これはささやかな映画である。任侠映画から足を洗い、新生建さん第1作となった『新幹線大爆破』以降、様々な作品に出てきた建さんが、こんなささやかな作品に主演したのは、久しぶりのことだろう。『冬の華』も考えようによればささやかなものかもしれないが、あれは過去の遺産からの発想だったし、『幸福の黄色いハンカチ』は、山田洋次との仕事だから、別格だ。もちろんこの作品だって、気心の知れた降旗康男とのコラボだし、建さんでなくては成立しない企画だ。そういう意味でやはり別格であることには変わりがない。ただ建さんが出るだけで映画は大作になる。『八甲田山』以降大作映画の代名詞と化した建さんにとって、この映画は最期の映画に向けての第1歩となる記念すべき作品となったはずだ。80歳になり、演じる役柄に制限が出来、でも、それでも、建さんは建さんだ。特別な彼が特別ではない映画に出ることで、新しい第1歩を踏み出した。どこまででも、行ける。

 

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