
石井克人監督の『茶の味』は傑作である。あんなに凄い映画を撮った人がその後『ナイスの森』のような呆れたおおバカ映画を平気で撮る。なにがなんだか分からない。そのへんもまたこの人の凄さかもしれない。
今回、清水宏監督が昭和16年に撮った映画をリメイクするというこんなぶっ飛んだ企画を実現してしまったことに対して、僕は驚かない。この人ならなんでもやる、ともう最初からわかっているからだ。だが、それにしても、見終えて2週間くらいが経ったのに、まだ、なんだか釈然としない。なぜ、この映画を撮る必要があったのか。いくら考えてもよくわからないのだ。だから、何を書いていいのかもはっきりしない。単純に「つまらない」なんて言うつもりはないが、だが、「なら、なんなんだ」の答えは用意できない。これだけ手の込んだ映画である。(山の中の温泉街を再現するなんて!)今これをするにはかなりの困難を伴ったことだろう。
なのに、それが単純な癒し映画でもないし、これを通して今、何を見せたかったのかが、見えてこないのがもどかしい。映画なんだから、面白ければいいやん、とも思う。だが、これは単純に面白いとは言い切れない。かと言ってつまらないわけではない。
オリジナルは65分の中篇映画らしい。それを寸分変わらずに当時のままに再現する。何から何まで同じに作ったらしい。石井克人の心情は一切込められることなく、かって作られたものをそのまんまカラー作品として作り直す。台本はもとより、カメラの構図、役者の演技まで、コピーするのである。そこまでして、見せたかった昭和10年代の空気と感触が、この21世紀を生きる我々にどう受け止められると思ったのだろうか。
のんびりした雰囲気、でも按摩とか、妾とか、盗人とか、時代を象徴する人物、風俗が出てくる。温泉宿というものも、ただノスタルジーではなく、自然なものとして描き込む。『徳市の恋』というサブタイトが見せるようにこれはひとつのラブストーリーであることを強調する。しかし、按摩と妾の女の叶わない恋を切なく描く映画、なんていうくくりにはなっていない。ノスタルジーでもない、ラブストーリーでもないのなら、これは一体何なんだ?
結局それが全く見えてこないから、気持ち悪いのだ。丁寧に作られたいい映画だとは思う。それだけにこの居心地の悪さが気になる。
今回、清水宏監督が昭和16年に撮った映画をリメイクするというこんなぶっ飛んだ企画を実現してしまったことに対して、僕は驚かない。この人ならなんでもやる、ともう最初からわかっているからだ。だが、それにしても、見終えて2週間くらいが経ったのに、まだ、なんだか釈然としない。なぜ、この映画を撮る必要があったのか。いくら考えてもよくわからないのだ。だから、何を書いていいのかもはっきりしない。単純に「つまらない」なんて言うつもりはないが、だが、「なら、なんなんだ」の答えは用意できない。これだけ手の込んだ映画である。(山の中の温泉街を再現するなんて!)今これをするにはかなりの困難を伴ったことだろう。
なのに、それが単純な癒し映画でもないし、これを通して今、何を見せたかったのかが、見えてこないのがもどかしい。映画なんだから、面白ければいいやん、とも思う。だが、これは単純に面白いとは言い切れない。かと言ってつまらないわけではない。
オリジナルは65分の中篇映画らしい。それを寸分変わらずに当時のままに再現する。何から何まで同じに作ったらしい。石井克人の心情は一切込められることなく、かって作られたものをそのまんまカラー作品として作り直す。台本はもとより、カメラの構図、役者の演技まで、コピーするのである。そこまでして、見せたかった昭和10年代の空気と感触が、この21世紀を生きる我々にどう受け止められると思ったのだろうか。
のんびりした雰囲気、でも按摩とか、妾とか、盗人とか、時代を象徴する人物、風俗が出てくる。温泉宿というものも、ただノスタルジーではなく、自然なものとして描き込む。『徳市の恋』というサブタイトが見せるようにこれはひとつのラブストーリーであることを強調する。しかし、按摩と妾の女の叶わない恋を切なく描く映画、なんていうくくりにはなっていない。ノスタルジーでもない、ラブストーリーでもないのなら、これは一体何なんだ?
結局それが全く見えてこないから、気持ち悪いのだ。丁寧に作られたいい映画だとは思う。それだけにこの居心地の悪さが気になる。